母の嘘 

「リハビリの先生が、どうしても家族の人に
練習を見てもらってほしいって言ってるのよ」

以前から何度かそんなふうに、母は言っていた。

そして先週末、姉が病院へ行くと、
いつもは月曜の午前中のリハビリが、2日の日だけ午後に変更になったとのことで、
「晶子が見学に来ることになっている」と母は明言したそうだ。

土曜の晩に姉から電話をもらい、私はそんな話を初めて聞いた。
勝手にスケジュールを決められてしまったよ。

私は半信半疑のまま、とりあえず今日、
いつもよりもだいぶ早くに家を出たのだった。

病室の母は、昼食が終わったばかりだというのに、私の顔を見るなり
「お腹空いちゃったぁ」と言い、それから
リハビリ室に行くために、黒地に金のビーズのついたよそゆきカーディガンを
着るのだと言ってみたり、ふわふわモヘアのカーディガンを
「それは寒い」などと言ってみたり、今着ているピンクの病院おそろいの
パジャマの襟についた食べこぼしのシミを恥じて、
「一年もこれを着てるのよ!」と不愉快そうに顔を歪めたりと、
なんだかワケのわからないことになってしまっている。

1時を少し過ぎてリハビリの先生(おそらく40代男性、結構ハンサム)が
お迎えに来ると、私の顔を見るなり、「おや??」という顔をする。
やっぱりね、って思う。

「そうですね。ご家族の方もたまにご覧になってもいいですね」って言う。
ほらね。どうしても家族にリハビリ風景を見てほしいのは、
先生じゃなくって母のほうなのだ。

車椅子に移動した母とリハビリの先生と一緒に、
エレベータで2階のリハビリ室に移動した。

以前も先生にリハビリについての説明を受けるために
訪れたことはあるけれど、リハビリ室はとっても広くて開放的で、
たくさんの入院患者さんが、いろんなことをしている、
っていうか、されている。

母はそんな中でもナンバーワンに身体の硬直が激しい患者なので、
周りで足を軽々と上下しているおじいさんや
トコトコ歩いてぬいぐるみをかがんで取ってくるなんていう動作をしている
おばあさんなんかを見ると、なんて幸せそうなんだろうって思う。

マットの台に座ったままで、次は仰向けで、
先生は母の身体を少しずつ曲げて、ちょっとずつ捩じり、伸ばしていく。
やっぱりプロだなあと感心する。
そして他のどのスタッフもそうだけれど、患者さんの身体に触れながら、
常に言葉がけをしている。いろんな話をしながら、笑顔を向ける。
ほとんどが20代くらいの若い男女スタッフだ。
立派な仕事だなあと思う。

「これは見てもらって、ご家族に覚えておいてもらってもいいですね」って
母の手首と指のストレッチ方法を教えてくれる。

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ふむふむ。なるほどと思う。

先生が、「いつもじゃなくていいから、
お嬢さんがいらしたときに
時々やってもらうといいですね」って言うと、
「すぐ帰っちゃうから、そんな時間ない」
だなんて、憎らしいことを母は言う。
えぇ~、結構しっかり滞在してるじゃないですか…。


母いわく、リハビリ室にはいつも、家族がたくさん見に来ているんだって。
お金持ちそうな家族は、皆、いつも見に来てるんだって。

広いリハビリ室のどこにも、誰ひとりとして、
患者の家族の姿なんか、なかったわよ。

最近母の隣のベッドに新しく、80代後半くらいのおばあさんが入院してきた。
おばあさんの二人の娘が毎日かわるがわるやってきて、
とても優しく接していくのだ。
二人ともとても上品で感じのいい、50代後半~60歳くらいの女性だ。
身につけている服もバッグも高価そうで、それでいてさりげない。

「綺麗な人たち!金持ちそうね」と、入院当日私に囁いた母は、
その女性たちの前では殊更に気遣いを見せ、作り笑いまでして見せる。
帰り際には「お気をつけて」なんて言葉までかける。
母はとことん見栄っ張りなのだ。

隣のおばあさんの入院後まもなく、
「入院の荷物を、クレーン車で吊り上げて窓から搬入してた。
そんなのって信じられないわ」と妄想爆裂の母だったので、
かなりの羨望をもって、日々を過ごしていたらしいのだ。

リハビリ室の母は実際、私の存在など気にもとめず、
結局母の嘘は、「私だって、大切にされてるのよ」っていう、
隣の二人の娘さんたちへのアピールだったのかもしれない。

金持ちの家族がリハビリ室に同伴するらしいから、
「私だって金持ちなのよ」ってアピールしたかったってこともあるのかも。

ああ、お母さん、ごめんなさいね。
私、今日着てたカーディガン、毛玉とかついてて、
貧乏くさかったかもしれないわ。

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母の手紙

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みちこちゃん


お葉書ありがとう。
お葉書をいただきっぱなしで、お返事を書けなくてごめんなさい。

あなたはお家のことを一生懸命にやっていらっしゃるご様子ですが、
私は返事も書けない有り様です。

第一、手が痺れて、ベッドから起き上がれないんです。
昔のように、元気に歩きたいです。

こんな泣き言を聞かせて、ごめんね。


あなたと私は、何か運命で繋がっているような気がします。
六年生の時、同じ名前のきょうだいが生まれ、
よく喧嘩もしましたね。
小学校の時の想い出は、やはり、あなたでした。

この歳になって同じような(脳の)病気になって、不思議なものです。


二人のやすこちゃんが先にいなくなってしまってから、
ほんとうに淋しくなりましたね。
昔みんなで旅行に行ったことを想い出しています。
楽しかったです。


あなたも身体を大切にしてください。

書けたら、また書きます。

さようなら。


ふみこ


2009年10月26日(月) 午後3時10分


******************************************************

手紙を書きたいと母が言うので、
ノートとサインペンを渡した。

ベッドを起こして、老眼鏡をかけ、ペンを手にするけれど、
何もついていないノートの端を手で撫でながら、
「ここにプラスティックがついている」と、妙にこだわってみせる。

どうにか文字を書き始めるものの、
もう、まったく判読不可能な、米粒のような文字しか書けなくなっている。
これも病気の症状のひとつで、文字がどんどん小さくなってしまうのだ。

4行くらい綴った後に、
「なんて書いたんだか、読めないわ」と、哀しそうに顔を歪める。

「思っていることと書けることは違うのよ」と言うので、
口頭で母が語り、それを私がノートに書き綴ることにした。

母は暗い暗い顔をして、みちこちゃんへの手紙文を静かに語り、
語り終わると、「読んでちょうだい」と言う。

私は棒読みではなく、でもあまり感情をこめすぎないように読む。

「OK?バッチリ? これ、みちこちゃんに送る?」と訊くと、
母は、満足げに頷く。

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秋、進む

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これは、巻雲って呼ぶのかな。
空の高いところに漂っている雲。
田無駅、アスタ専門店街に続くデッキの上で。

秋は空が高いのだ。


先週の金曜日、
母の病院へ行くつもりで身支度をしていたら、
姉から電話があった。

母が前日の晩に熱を出し、
インフルエンザの可能性も否定できないため
病室を移動して、様子を見ているとのこと。

翌朝確認の電話を入れると、
母の熱はすでに下がっていて、新型インフルエンザも陰性だったという。
それでも万が一を考慮して、母は熱のある人を集めた病室に
カーテンを引いて隔離されていたらしい。
週明けまで家族の面会も控えてほしいとのことだった。

やはり病院側も時期が時期だけに、
対応が過敏になっているのは仕方のないことだし、有難いことでもある。


先週は姉の都合やらで、結局5日間、娘の誰とも面会できなかった母は、
今日私が病室を訪れると、眉を八の字にして喜ぶ。
「やっぱり、家族が来てくれると嬉しいね」と言う。

丸一週間お風呂に入っていない母は、
あっという間に薄汚れた感じになってしまっていた。
娘たちが持参する、高カロリーの美味しいおやつを食べることも
なかったせいか、いくらか頬がこけたように見える。

顔を何度も拭いたり、耳を掃除したり、手足の爪を切ったり、
顔の毛を剃ったり、足をもんだり首をもんだり、
今日はやることがたくさんあった。

「今度はいつ来るの?」と母が訊くので、
「たぶん、金曜日に来ると思うけど」と答えると、
「金曜日って何曜日?」と言う。

「金曜は金曜よぉ~」と私が言うと、
「違うよわ。何日なのよ?」と母は言う。

「この頃、何曜日が何日か、わかんなくなっちゃった…」
母は大切なものを失くしてしまったように呟く。

「そんなもん、私だって、いつだってわかんないわよ」
それは事実だ。

だけど私たちは、カレンダーや手帳を見て、
いつだって容易に確認することができるし、
時間も曜日もすべてのことが、自分の掌に握られていると、
自分の思いのままに操ることができると、
そんなふうに思っているだけだ。

行きたいところへ歩いて行ったり、
欲しいものを手にしたりすることができないどころか、
枕の位置が気に入らなくてもどうしようもないとか、
布団がズレて足元が冷えても直せないとか、
背中のあたりで下着とパジャマの裾がまるまって
モソモソするのを我慢するしかないとか、そんなふうに
自発的に何かをする身体の自由がほとんど奪われた状態で、
見当識が少しずつ狂いはじめ、
今日が何曜日の何日なのか、
あの人が来たのが昨日だったのか一昨日だったのか、
そういうことが少しずつ「わからなくなってしまった」と感じることの
本当の意味や不安や怖れを実感するのは、
間違いなく本人しかできないことだろうと思う。


母と話をしている最中に、ふいに母が右手をかざす。
「なに?」と訊くと、「爪」と言う。

ああ、爪を切ってほしいのね。
しばらく独りだったから、何かと要求が多いのね。淋しかったのね。

そしてまた母と何かの話題で話していると、
ふいに、「今、何してるか? おしっこ」
と、自分で訊いて、自分で即答している。
私と話していることの内容よりも、自分が今、オムツの中に
放っているおしっこのことに、気持ちが集中していたのだろう。
考えてみれば、ごく自然なことかもしれない。

「くっだらないわねぇ~」と、軽く笑い飛ばしておいた。

少しずつ少しずつ、でも確実に、母の認知症は進行しているんだなと思う。

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サーターアンダギー

息子の修学旅行のお土産。
おばあちゃんのために、サーターアンダギー。

手に取った瞬間から、「こりゃ母には無理だわ」と思った私だが、
息子に気の毒なので、とりあえず今日、そのまま母のもとへ持参した。

「硬そうだけど、食べてみる?」と齧らせてみると、
歯でひとくち食いちぎるのもやっとの様子で、母は苦痛に顔を歪ませる。

「カタイ…」

確かにやたらに硬くって、誤嚥されても困るので、ひとくちだけでやめておいた。

「ひとくちでやめたなんて言ったら、気を悪くするわ」って、
孫に妙な気を遣う。

「1個食べたことにしておくわよ」と、私も無駄な気を遣ってみる。

「きっとチンしたら、軟らかくなるわよ」って母は言う。

家へ帰って、ほとんど減っていないサーターアンダギーの袋を見た息子は、
「あっ…」と、落胆の声をあげる。

「美味しいけど、おばあちゃんにはちょっと硬いって」と、
これまたへんに気を遣いながら、試しにひとつ、レンジでチンしてみた。

チンしてみたけどやっぱり硬かった。
うん。これはこういうもんだな。

「試食で食ったときは、もっと軟らかかった…」と、
モソモソを食べながら息子が呟く。

まあ、お土産なんて、そんなもんだよ。
現地でいただく、出来立てのサーターアンダギーってやつは
きっともっともっと美味かろう。


関係ないけど、今日息子から聞いた衝撃の告白。

「1年で8キロ太ったけど、1ヶ月で4キロ痩せた…」

8キロってあなた…、どうりで太ってたはずよ。

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半分は気持ち

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先日母の病院で、リハビリの担当医と話をした。

今現在の様子と、今後の見通し、
それから家族の意向や希望等を
聞いたり話したり、した。

私は今まで、母の足は自分の意思では
ほとんど動かすことができないと思ってきた。
このブログでも何度もそんなふうに書いてきたし、
実際ベッドの上に投げ出された母の両足は、いつ見てもびくとも動かず、
私がヨイショと持ち上げてはじめて移動することができていた。

たとえば右足の親指の先が左足の甲に当たっていて、
動かすと赤く痕がつくほどに固まっていたりした。
自分の意思だけでは、足の位置ひとつ動かすことのできない母を、
本当に痛々しく感じてきたのだ。

ところがリハビリの担当医は、
「足を動かすかどうかも、半分は本人の意思なんですよねぇ」と言った。

そういうもんかなあ、でも母の場合はそうでもないだろう、
そんなふうに、半信半疑で聴いていた。

ところが今日、何気なく母に、
「お母さん、自分じゃ足、動かせないんでしょ?」と訊いてみたところ、
これだよ、これ。

今日はリハビリが行われた日だったので、
そのせいで調子がいいのかどうかは知らない。

リハビリの後に、膝が曲がらない日だってあるし、
かと思えばこんなふうに、
両足を高々と宙で泳がせることができるだなんて。

それにしてもびっくりした。
右足なんか、クルクルと回転させて見せてくれもした。

日内変動の激しいこの病気。
たまたま今日、調子がいいだけとは思うけれど、
なんだか騙されたような気がしてならないのは、
私が今日、とっても疲れていたからかもしれない。

先週の金曜日は田無の西友で病院へ向かう直前に、
今日は小手指の駅前ドラッグストアでバスに乗る直前に、
栄養ドリンクを飲んで自分を鼓舞する私だったわけよ。

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「アンタッチャブル!」

「じゃあ、またね。ごきげんよう」
母にそう言って握手をし、病室を去ろうとしたら、

「そういう言葉は言わないで」 って母が言う。

ごきげんようがダメなのかと思って、
「じゃ、また来るね」 と言い直してみたら、

「それもダメよ」 って言う。

「じゃあ、See You Again !」 って言ってみたけど、
母はまだ納得しない。

「何て言えばいいのよ?」 って訊くと、
平べったい角材みたいな細くて長い両腕をいくらか上にあげて、

「アンタッチャブル!! みたいな、ワケのわからない言葉よ!」

と、確かに思いきりワケのわからないことを言う。
母も自分で笑っている。

あまりに可笑しいので、「じゃ、アンタッチャブル!」
と言って、病室を去った。

「最近、アンタたちが帰っちゃうと、すごく淋しいのよ」
だそうだ。


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今日の夕焼け。

いつのまにか、
すっかり日が短くなった。

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病床で語る物語

自分がもっと歳をとって、なんらかの病に冒されて、身体の自由も奪われて、
あとどれくらい生きるのだろうかという日々を過ごしているときに。

私だったらどんなことを想うだろうか。
どんなことを考えて、たとえば娘に、どんな言葉を語りたいと思うだろうか。

今日は「母の懺悔」に続く、第二話。
「母の残酷物語」である。


若いころ、母はなかなかの美人であった。
背も高くスラリとして、明らかに人目を引いただろうことは間違いない。

母を嫁にもらおうと、あらゆる策略を練ったらしい父の周辺の人間が、
「横綱とまではいかないが、大関クラスの女だ」と表現したそうな。

十代後半の大関・母が、東大生をふったのは、前回のお話。
今日語られたのは、早稲田大学に通う布団屋の息子とのエピソードである。

早大生の青年は、たまたま母の友人Tちゃんの幼なじみだった。
高校の夏休みに英語の宿題の和訳だか英訳だかが全然できなかった母に
Tちゃんが、早大生にやってもらおうと提案。
母は3日後に、早大生が済ませてくれたノート1冊分の宿題を受け取った。

お礼を言わなきゃと思っていたある日、自転車で追いかけてきた早大生から、
母はいきなり手紙を手渡された。
母    「こんなもの、受け取れません」
早大生 「いいから、受け取って」

家に帰って封を開けると、それはラブレターという文面ではなく、
「○月○日○時に、○○橋の真ん中で待っていてください」
といったことだけが記されていた。

さんざん悩んだ母は、「こんなのもらっちゃって、どうしよう」と、
約束の当日、実家が風呂屋のTちゃんにその手紙を見せた。
「私が突っ返してきてやる!」と、チャキチャキ江戸っ子のTちゃんは、
早大生の家の部屋まであがり、机の引き出しの中に手紙をしまってきた。

それを見つけた早大生の厳格な母が手紙を読み、
「この相手はいったい誰なの!?」と怒り、
早大生が外に出られないよう家に閉じ込めてしまった。

っていうお話。

どこまでが本当かはわからない。
だってはじめは「高校2年のときよ」だったのが、
約束の当日、「自分で仕立てたばっかりのワンピースを着て、
Tちゃんの所へ行ったの」だなんて言う。
「それってもう、文化服装に通っているときじゃない?」と言うと、
「あら?へんね」と母は悩み、「ああ、それは違うときだったわ」と誤魔化す。

「困ったとか言いながらちゃっかりお洒落して、
○○橋まで行く気満々だったんじゃないの?」
思わずそんな厭味まで言ってしまった。


さらに。
前回の懺悔話の東大生にも、様々なエピドードがでてきた。
東大生は母よりも2センチ背が低く、逢うたびに「身長何センチ?」と訊いた。
映画を見た帰りの夜道、歩きながら東大生はいつのまにか母のほうに近づき、
母はそのたびスッと身体を離した。

東大生は親の在宅中に、何度か母の家にも遊びにやってきたという。
外で映画などを観たのは5回だという。
「それって、つきあってる、って言うのよ」と私が言うと、
「そんなんじゃないわよ。私、好きじゃなかったんだから」と母は応える。

どうやら東大生は相当母に入れ込んでいて、本人は当然、
すっかりつきあっているつもりだったに違いない。
頭の中は妄想が渦巻いていたに決まってる。
「そういう人じゃなかったのよ」と、「ウブ」な母は言う。

ある日東大生は母に、「一緒にスキーに行こう」と誘った。
と言いながら、
「おかしいわね、季節が合わないわ。ああ、ピクニックだったかな」と
えらくいい加減なことを言う。

東大生があまりにしつこくピクニックに誘うので、
「私、そのころはもう、お父さんと結婚が決まっていたから」
これはもう、ちゃんと話したほうがいいと思い、
「『私、もうすぐ結婚するの』って言ったのよ。そうしたらその人、固まっちゃって…」

「お母さん!そういうのって、男を弄ぶ最低の女っていうのよ」
思わず私は(一応笑顔で)言ってしまったよ。

「私、そういうの、何もわからなかったのよ」と、母は純情ぶる。

確かにそういったこと全般に、無知だったのは仕方ない。
それでもね、自分のことをきれいだと思って惚れて寄ってきた男が、
自分に好意を持って、様々な妄想を膨らませて、
なんとかモノにしようと必死になっている姿を目の当たりにしてて、
そういったことが全くわからないはずがない。

綺麗な女は、自分が男からどんなふうに視線を投げかけられているか、
誰よりも敏感に感じ取って生きてきたはずなのよ。
相手の気持ちを知りながら、好きでもないのに断らず、ダラダラとつき合って、
それって、いい子でいたかっただけなのよ。

母の物語にはかなりファンタジーが含まれていることも、
そして実際時系列がめちゃくちゃなのでウソが多いことも解ってはいるが、
それでも同性から見た最悪の「このテの女」にはさすがに呆れてしまって、
「ひどいわねぇ、ほんと!」と、(一応笑顔で)言ってしまった。


このテの女を誰よりも上手に描写できるのは、林真理子だと私は思っている。
狡猾さを自覚して、堂々と生きているならそれはそれで潔い。
無自覚な狡猾さ、これが私は一番怖いと思っている。


「話さなければよかった…!」と、母はちょっと哀しそうな顔で言う。

罪悪感がちらりと胸をかすめたので、忘れちゃったけど適当な慰めを言っておいた。


しかし、面白いなあと思う。
77歳の女性が、晩年に病床で思い巡らせることって、
案外こんなことだったりするんだろうかって。
もちろん一応は認知症だっていうことも、多少は影響してはいるだろう。
認知症がなければ、自分が死んだあとのことや私たちのこと、
自分が管理していたマンションのことなど、
そんなことばかりが気になっていたのかもしれない。

母の一部は今、60年前の、「穢れを知らないウブで綺麗なフミちゃん」なのだ。
幸せなことかもしれないわ。

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母の懺悔

謝りたい人がいるのよ。
私よりひとつ年上の、東大に行っていた人。
私の家の前を通るとき、「You are my sunshine~♪」
って歌っていた人。

K子ちゃんに言われたの。
「あの人、フミちゃんに相当お熱よ。悪いわねぇ」って。
夜になると、私の家の前でじっと立っていたりして。

5回くらい、一緒に出かけたの。
デート?そんなんじゃないわよ。映画を観たりとか、その程度。

「カルメン」を観た帰り道よ。
横断歩道のところで、きっとずっと考えてたのね、
その人が手を差し出して、
「じゃ、おやすみ」って言って、握手を求めたのよ。
私、そりゃ今だったら何でもないけど、その当時は驚いちゃって、
「結構です!」って言っちゃったのよ。

悪いことしたなって。
どんなに傷つけちゃったんだろうって。

その人? 嫌いじゃなかったわよ。
顔は良かったの。
でも、背が低かったのよ。


*******

以上が、本日私が帰り際、ベッドサイドで母から聴いた懺悔話である。

「私、自分が背が高かったから、背の高い人がよかったのよ」
といつも口にする母だが、実際に結婚したのは
自分より2センチほどしか高くない男性だった。

「私、目のいい人が好きだったのよ」
私とは違って母は、眼鏡をかけてない男性が好みのタイプのようで。

「でも、お父さん(夫)が目が悪いって、結婚してから知ったのよ」
父は片目の視力がだいぶ悪かったようで。

まったく…。
自分のタイプではない男性と、5回もデートしておいて、
その気にさせておいて、いきなり「結構です!」って、
そっりゃあ、ひどい女だと思うわ。
でもちょっとストーカーっぽい人だから、別れてよかったのかも。

昨日あたりから母はまた、幻視が続いているらしい。
ゆうべは人形が枕を並べて隣に寝ていたって。
夜中ふと眼を開けると、ベッド脇の椅子に人形が座っていて、
じっと母を見ていたんだって。

ちょっと、怖いね。

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台風と策略家

なんだか拍子抜けした一日である。
まあ、だいたいこういうパターンが多いんだけれど。

台風だ台風だ!関東上陸か?と騒がれて、
確かに午前中はかなりの雨で、
午後も時に弱まったりしながらも結構な雨で。

昼過ぎから夕方がピーク、だとか、
夕方から夜半にかけてがすごい、だとか、
そんな言葉を信じて私、今日は母の病院行きを見送ったのだ。

雨の嫌いな母は以前から、大雨の日は来なくてもいいと
言ってくれていたのだが、雨を理由に行かないということは、今までなかった。

ひょっとしてものすごいことになって電車が止まるとか、
バスも超遅れちゃうとか、全身びしょぬれなんかで病棟を歩いていたら、
それこそまた主治医に「な~に?こんな日に来てるの~!?」と
呆れられてしまうだろうし、等々考えて、
今日は11時ごろに病院へ電話を入れ、
「今日行くはずだった三女は、台風のために行かない」の伝言を頼んだ。


主治医の言葉も受けて、どこかで「病院に行かなくてもいい正当な口実」
を探している自分がいる。
行かない、のではなく、行けない、という状況を。

先週の金曜日、母が私に
「ナースステーションの前を通るときは、胸を張って、笑顔で歩くんだよ」って言う。
私が疲れた顔して歩いていたら、またもや主治医に見つかって
「来なくていい!」って言われることを恐れているのだ。

母は部分的に冴えている頭で、あらゆる策略を練る。
自分にとって都合のいい人、何かを頼むのに都合のいいスタッフ、
たとえば摘便するなら指の細いAさん。
夜の薬を頼むなら時間に正確なBさん。
枕を直してもらうには神経の細やかなCさん。
落ちたものを拾ってもらうには気楽に頼みやすいDさん、等々…。

三人の娘にも、それぞれ担当すべき分野があって、
母が要求するものも変わってくる。
母は手足の爪切りは、長女や次女には任せない。
それは三女である私の担当と決め込んでいるのだ。

長女体質、しきりやの姉は
「最近やたらしきられるのが、すごく不愉快なんだけどっ!」と怒っている。
母は長女に、様々な事務仕事に対する事細かな指示を与えるからだ。

沢山の患者が共存する病院という場で、母の策略どおりに事が運ばないのは
当然のことなので、母は日々ストレスを溜めこんでいる。
この頃は私が病室に着くなり、苦々しい表情で愚痴を言い始めることが増えた。
説教もせず、適当に聞き流し、甘くてやわらかいおやつで
母の気分を脇道のほうによっこいしょとずらして誤魔化す。

台風の今日はそれがなかったから、
母はきっと一日中小さな不満を溜めこんで、暗い目をしているに違いない。

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晩夏

今日みたいに一日爽やかな風が吹く夏の終わり。
昨日からちょっとマズイんじゃないかと思うくらい肩と首のコリがひどいけれど。

それでも今日は、なんだかとっても気分がいい。

日曜日にはいつも、切々と訴えるお悩みの回答原稿を書いていて、
その翌日の月曜日、毎週必ず母の病院に行くのだけれど。

日曜の夕方、西友リビンの食品売り場を廻りながら、
『ああ、明日はまた病院だった…』と、思い出す瞬間の、
なんとなく心の固くガサついたあの感じ。それが昨日はなかったから。

今日はとても久しぶりに、母の病院へ行かなかった。
週に1回ずつで、なんていうことは、いつのまにか聞いたこともないような顔をする母。
昨日日曜の病院当番である姉が夜電話をかけてきて、
母はちゃっかり前と同じ様に、「いつ、誰が来るのか?」と執拗に問うのだという。

心身ともに病弱?な二番目の姉は、週に1度とほぼ決めたようだけれど、
基本的に健康な上の姉と私は、「どうのこうのいって、いきなり週1は無理よね」
と語り合っている。せめて、母がもう少し呆けてくれるまでは。

それでも、どうしても用事ができたような時には、
無理をせず、罪悪感を持たずに、気持ちよく電話をして病院行きをサボろうと、
姉と話し合っている。

そして今日、私は久しぶりに病院へ行かない日となった。
諸事情から、仕事を入れてしまった。
「どうしても仕事があって、月曜日は来れないからね」と、先週の金曜日、
堂々と母に伝えることができたのだった。

そのことを忘れて、「晶子が来ない!」と当日騒いでスタッフに迷惑をかけると
申し訳ないので、先日枕もとに、
「24日(月)、晶子は仕事で来られません」と書いた紙を置いてきた。
母の目の前にかざして確認させると、「何て書いてあるの?」と訊くので、
声高らかに読み上げてみた。


今日は朝から澄みきった空で、
カーテンを揺らす風はすっかり秋の気配で。

免罪符を与えられたみたいな気持ちの私は、気持ちよく仕事をして、
夕方気持ちよく外へ出て、
少し前とは明らかに様変わりしている雲の様子を見上げながら、
いつもと同じところで買い物をする。

風が心地良い。
心なしか夕飯も、いつもより食が進んだわ。

昼間からずっと、バルコニーの近くのどこかで
途切れ途切れに瀕死の鳴き声をあげていた蝉が、
いつのまにかおとなしくなったことに今、気づく。
やっと、逝けたのかな。

夏が、もうすぐ終わるわね。

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媚態

昨日母の病室に向う病棟の廊下を歩いていたら、
またもや主治医に呼び止められた。

先日母に、「お嬢さんたちのお見舞いの回数を減らすよう」に話したと。
「お母さん、言ってた?」と主治医が訊く。

「ひとり週に1回で、週に3日は誰かしらが来るんでしょ?じゅーぶんっ!」
と主治医は大きな声で言う。そして
「まだまだ先は長いからね」と、ニヤリと横目で私を見て、笑う。


病室へ行くと、母が目をぱっちりと見開いて、
妙に可愛らしい顔つきで私をじっと見る。
「来ないかと思った…!」 なんて言う。

それから片手を前に突き出し、「握手よ!」と言う。

おやつに私が持参した白玉あずきをムシャムシャと食べながら、
「1回でいいなんて言ったけど、やっぱり淋しいねぇ…」と言う。

「ご飯が食べられなくなっちゃった」と、同情をひくような顔つきで言う。
「スプーンが上手く持てなくて…」と言うので
「ああ、食べさせてもらえばいいのよ」と軽く流した。

「痩せちゃった…。141.5キロ」
「へえ~、141.5キロもあるの?」と私が言っても、
どうやら自分の言葉の間違いにすら気付かない様子だ。

母はどうやら、子供が来ない日があると、おやつをあまり食べられずに
(病院からもヨーグルトやゼリーなどのおやつが出る)
自分が痩せてしまったと言いたいようなのだ。

主治医の言葉を受けて気が緩んだのか、
体調を崩した姉(次女)がたまたま先週と先々週の2回、
病院に来ない日があったことと、
日曜日にヴァカンス中の姉(長女)が1日だけ来なかっただけで、
もうすっかり孤独に堪え続けているかのような言いっぷりである。


白玉あずきの次に、「何かほかに食べるものないかな?」と訊き、
さらに私が持参したシュークリーム(結構な大きさ)を
「あんまり甘くなくて美味しい」などと呟きながらペロリと食べ、
そうして私の顔をじーーーっと見つめる。

「何よ?」と訊くと、
「子供の顔を見てるのは嬉しいものだね」などと、
小賢しい捨て犬のような眼差しでさらに私を見つめる。

母、媚びている。
もう、見え見えの媚び媚びよ。

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受け入れ態勢

母は今、哀しみに堪えている。
様々なことを、受け入れなくてはいけないという現実に。


先週の金曜日、ちょうど一週間前のことだ。
母の担当医の50代と思われる女性が、病棟内で私を見かけ、
「ちょっとぉ、疲れてるんじゃな~い?」と大きく声掛けをしてくれた。

私たち三姉妹が代わる代わる毎日のように病院を訪れることについて、担当医は、
「毎日来ることない。1週間に一度でいいわよ!」と言う。
ひとり週に2回通っている病院を1回に減らしていいのであれば、
そりゃ私たちだってものすごく助かる。正直、とっても嬉しい。

介護ってものは、みんなが同じように我慢しなくちゃいけない、
家族も我慢するけれど、本人も我慢しなくちゃいけない、と、担当医は言う。
「お母さん、元気バリバリなんだから、大丈夫よ。少しは我慢してもらわなきゃ」
担当医は笑いながら言う。

去年の10月、今の病院に移ってきたときは、
正直、あと1年くらいの命ではないかと覚悟していた。
中野の病院で最後には完全に寝たきりとなり、その進行のあまりの早さ、
度々の発熱、衰弱を見て、そう長くはないと感じていた。
担当医にも覚悟のほどを話してあった。

それでもこの病院では、できる限り前向きに、可能な限り自分の力で、
入浴も恐れることなく、リハビリもして、というふうに話されていた。
すると実際母は、今でも頻繁に意識消失はするものの、
車椅子に乗せられて食堂へ行き、自分の手でどうにかこうにか
食事をするまでに回復したのだった。
環境がどれほど人間の生命力に作用するか、思い知らされた一年だった。
もしあの病院に長くとどまっていたら、もしかしたらもう母は、
この世に存在していないかもしれないと思う。


母はものすごく食欲があり、満腹中枢が壊れかけているのかもしれないが、
それにしてもよく食べる。
私が行くと、「お腹が空いた~」とすぐに言う。
食べられるうちは生きられる。食べられなくなったらお終いだ。
だからまだまだ長期戦の覚悟が要る。


今週の火曜だか水曜だかに、担当医が母に話をしたらしい。
「これからは、週に1回ずつでいいわよ。
無理してそんなに疲れさせて、病気にでもなったら困るもの」と母は言う。
「お腹が空いたなんて、そんなことくらい、我慢しなくちゃ」とも言う。

それぞれが行けるタイミングで週に1回行けばよいというならもっと楽だが、
母にとってそんなことは堪えがたい。
「今日は来る」「明日は来ない」と、きっちり予定を把握していないと
落ち着かない人なのだ。来ると思ったら一日中必死に待ってしまう人なのだ。
想定外のアクシデントを楽しむなんてことは、絶対にできない人。

だから母は新しい当番表を欲している。
いつ誰が来るのか、早く決めてほしいのだ。


そして母は担当医に、自分の病気についても訊ねたのだという。
以前にも私の口から優しく、師長さんからは結構シビアに、
話されていたはずなのに、母は忘れてしまったのか受け入れられないのか
自分の病状、予後について知りたがっているようだった。

「私の病気は脳の病気なんだって。だから幻覚が見えたりするのは仕方ないんだって」
と、母は言う。今さらどうした?と、私は心の中で思う。

「この病気が原因で死ぬってことはないんだって。
でも人は誰でもみんな、必ず死ぬんだからって。どんな人でも死ぬんだからって。
先生がそう言うの。そんなこと聞いたら、なんだか哀しくなっちゃった…」
母は虚ろな目をして、聞き取れないくらいの小さな声で言う。

夜間せん妄で徘徊し、トイレで失神したことをきっかけに拘束され、
ベッドに括りつけられ、高熱が出て、点滴だけで何週間も生き長らえて、
その後退院して高級老人ホームに入所して、具合が悪化して再入院して、
ホーム滞在を断念して今の病院に移ってきて。
すでに自力ではほとんどまったく排便できなくて、
身体の向きを変えることもできなくて、曲げた足を自力で伸ばすことすらできなくて、
それでもまだまだ、やがて来るだろう死を、受け入れることができないものなのかと、
なんとも表現しがたい想いで胸がモヤモヤする。

私たち娘には、母がそこまで生に執着するほど、
楽しそうに人生を生きていたようには見えなかったからだと思う。
それでも子供の中の真実と、母の中の真実は違うのだから、
母は母なりに、楽しく幸せな時も多かったのかなと考えてみる。


「夢だけどさ…」と、帰りがけの私に向って母が言う。
「朝から晩まで、ずっと一緒にいてくれたらなって…」
母がちょっと甘えた顔で言うので、私は思いきりきっぱりと明るく、
「そっりゃあ~、無理ね! 私にも仕事だとかいろいろあるし!」
って、言ってあげたよ。

母にとって娘が病気になったら「困る」のは、娘や娘の家族じゃなくって
母自身、なんだということは、昔から知っている。


私に拒まれた可哀想な母だが、
今日もおやつに大きなエクレアをひとつと、小さめのおはぎをひとつ、
ティーラテを1本、ペロリと完食。

まだ3口分くらい残っているエクレアを、
「最後、ひと口でいこう!」と意気込む母。

そりゃデカすぎますって…。

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母のアイディア

今日は小手指の病院へ行く日。

私が母にすることっていえば、そうね、飲み物をあげて、
おやつを食べさせて、化粧水で顔を拭いて、麺棒で耳を掃除して、
手足の爪をチェックして、伸びていたら切る、
ひっかかるところがあればヤスリで削る。

それからスースーする筋肉痛用の固形ジェルを両足に塗りこんで、
マッサージ。

時々ナースや介護士や担当医や師長に愛想を振りまいて、
掃除のおじさんおばさんにも挨拶して、
車椅子のわりと元気なおじいさんに笑顔で会釈などして。

そして基本的には母の話し相手。
母いわく、向いのお婆さんのベッドの両脇に
猫が潜っている穴があるとかで、
私は「へえ~」とか「あらそう」とか、最近はどんどん
相槌がいいかげんになっていく。

私が違うことを言っても、聴いていないのか
この頃の母は他人の意見などまったく受け付ける気がないらしく、
自説を繰り返すので、私も流れに逆らう気はない。

とにかく私は、何か面白いネタを母に提供することだけを考えているので、
息子のくだらなさだとか自分の愚かさだとか
田無の街の不思議だとか、アスタの地下の八百屋のメンバーの
私が勝手に考えている家族構成だとかを、
面白おかしく語ることが一番の仕事だと自負している。

私は最近自分が財布を忘れることを母に相談?した。
「まったくどうしてかしらねぇ?」と投げかけてみると、
母は渋い顔をして、
「私は財布忘れるなんてこと、一度もなかったわね」と冷たく言い放つ。
共感ゼロだよ。

「財布に紐つけて、首からぶら下げておきな!」と
ぴしゃりと言われてしまった。

ハ、ハア…。
それも良きアイディアですな。

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母の服と靴

母の部屋にずらりと並んだ、数えきれないほどの服を、
プラスティックの衣装ケースに入った、腐るほどの服を、
玄関収納の中にずらりと並んだ靴を、
どうにかしなくてはいけない。

母の三人の娘たちも、たった一人の母の妹も、
皆150センチか152~3センチほどしか身長がないから、
160センチで13号サイズ、その後いくらか痩せてから11号サイズを
しっかり着こなしていた母の服を、
誰ひとりとしてそのまま着ることができない。

裾丈や袖丈が長すぎるし、肩幅も大きすぎるし、
それにデザイン的にも似合わないものばかりだ。

一年以上ほったらかしの服たちを、いいかげん処分しなくてはいけないだろうと、
長いこと姉と途方に暮れている。

母の服は皆、どれもそこそこに高級だ。
高級ではあるけれど、いわゆるブランド物ではなく、
買い取りに値がつくようなことはおそらくないはずだ。
それでも捨てるにはあまりにも、あまりにももったいなくて、
ほとんどが数えるほども着ていないものばかりだと思う。

「私のクローゼットの中にある、確か三越で買った、
黒のリボンレースの、シャツとブラウスとスカートとパンツのセットがあるのよ。
まだ一度も着てないの。あれを陰干ししておいてほしいのよ」

などと、ついこの間も急に思いついて口に出す母だ。
服への執着だけは強い。
だから間違っても、「全部処分しちゃおうよ」なんてことは言えない。
だって母はまだ、病気が治ったら素敵な服を着て
どこへ行こうかと思い巡らしているのだ。

母が突然「あの服を持ってきて!」などと言い出す可能性もあるわけで、
その記憶力の確かさと執着の強さから、まだ処分できずにいる。
しかし母の服の一部は、すでに確実にカビが発生してきていて、
このまま放置することは難しいとも思われる。

母が入院して、はや一年以上が経った。
母が部屋に戻ることはない。
やっぱりこの夏に、決断、実行に移すしかないかなぁ。

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犬みたいな猿みたいな奴等

母、久しぶりに幻視、爆裂。

「アンタにいいもの見せてあげる」と言って、病室の天井の、
埋め込み型エアコンを指さす。

「ほら、エレベーターみたいのがあるでしょ?」
「エアコンの吹き出し口のこと?」
「そうよ。吹き出し口のところに、犬みたいな猿みたいなヤツが、
ぶら下がったり中覗いたりしてるでしょ?」

母いわく、
その吹き出し口の中には、虎が鼻先を覗かせて待ち構えているので、
犬みたいな猿みたいな奴等は、怖くて中に入れないんだそうだ。

「いやだっ。眼鏡かけてるわ」と、母はほんとうに可笑しそうに笑う。
「犬みたいな猿みたいなヤツが?」と私が訊くと、
「そうよ」と答える。

そのうち吹き出し口の中に控えているのは、
いつのまにか虎ではなくて、「大型犬ね」に変わってしまう。

「ずいぶん小さい大型犬ね」と私が言うと、
「そうよ。これくらい」と、指で10センチくらいの幅をつくって見せる。

ああ、前にもおんなじようなことがあったわね~。
確かカーテンレールのところに、眼鏡をかけた小さな円鏡に似た人が
いたんだったっけね。

母はよく曲がらない首を私のほうに向けて、
「見えないのっ!?」と、ちょっとイラついた声を出す。

「そんなに可愛い奴等、私も見たいわよ、残念だわ」と、
相変わらず同じような、調子のいいことを言って返す。

今日、母の両足は驚くほど固く硬直していて、マッサージをしても
なかなか膝が曲がらない。いつものように屈伸させようとしても、
「痛い…」と言うだけで、曲がらない。
母の顔が曇る。

月曜の午前はリハビリの日なので、今日も母はとても頑張ったらしいのだが。
「リハビリ頑張りすぎたんじゃない?反動なのかな」
と、これまた適当なことを言うと、母の顔はどんどん暗くなっていく。

リハビリを重ねて、いつか歩けることを夢見ているのに、
努力の結果余計に強い硬直がおきてしまったことが、ショックだったのだろう。

「今日はすごくよく曲がったのよ」
リハビリ中は、とても調子が良かったらしい。

「今日もマットの上を転がったの?」と訊くと、「そうよ」と言う。
母は頑張っているのだ。

「頑張りすぎると、そのあとに硬直がひどくなるなら、
そのことを今度先生に言ったほうがいいかもね。
そこそこ頑張る程度のほうが、いいのかもよ。頑張り過ぎないほうが…」

私のとってつけたような慰めは、母の心を癒しはしない。
母はどんよりとしている。

もともと身体の健康な人が、なんらかのきっかけで機能が衰えたのであれば、
リハビリをすることでどんどん回復につながるのは当然のことだろう。
母の場合は、心のリハビリにすぎない。
枝のようだった足が、石のようになっている。

P7130121

いつもいつも、同じような写真ばかりを
どうして私は撮りたがるのか。

だってそれでも見るたび私は、
心を動かされてしまうんだよ。

今日の午後6時58分の西の空。
山の向こうに陽が沈んでも、
まだまだ空はこんなにも、
美しい余韻を残している。

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声なき笑い

一年前の今日は、こんな感じの母だった。

妄想爆裂で、面白いやら哀しいやらせつないやら、
でも今と比べたら、ずいぶんしっかりとした声で、たくさん話せていたな。

最近の母は、声がどんどん小さくなっていく。
これもまた、パーキンソン症候群の症状のひとつだ。

去年の、夢見る少女のように瞳をキラキラさせながら
様々な妄想ストーリーを語る母は、今思えばずいぶんパワーがあったな。
今と比べたら声も大きく、はっきりとしていた。

この頃ふと、昔の母を想い出す。
私が子供だった頃の母。
太っていて大きくて(今も大きいけど)、高くて明るい声で、
ニワトリみたいにひきつり笑いをする人だった。
ココココココケーーーッコッコッコ!

そういえば母はよく笑う人だった。
くだらないことを言っては笑ったり、子供を笑わせたりするのが好きな人だった。

子供の私には、母の抱える暗さだとか、
誰かに対する不快な感情だとか人生に対するつまらなさだとか諦めだとか、
そんなものを推し量ることは到底できなかったから、
子供の私にとっての母は、
いつも明るくて優しくて、楽しい人だったように思う。

最近の母がいちばん顔をくしゃくしゃにさせて笑うのは、
私がベッドの上の母の身体を、上方に移動させる瞬間だ。
おやつを食べるためにベッドを起こしていると、どうしても身体が
下方にずれていくので、いったんベッドを平らにしてから、
母の両脇に手を差し込んで、力いっぱい母の身体を
持ち上げるようにして移動させるのだ。

その時に私がかける掛け声が、母は可笑しくてたまらない。
「いくわよ!」と呼びかけると、母はもう、笑いをこらえて顔をひきつらせている。

「…へっっ!!」
とお腹に力をこめて、母を持ち上げる。

私の「へっ!」が可笑しいと、母は顔を歪めて笑うのだけれど、声が出ない。
だからなんだか痛々しい。

この頃は「へっ!」じゃなくって「ふうぅぅ…んんん…!」に変わった。
別に変えようと思ったわけじゃない。
力の入れ具合が微妙に変化しただけだ。

そうか。
母は笑い声を失ったのだな。
声をあげて笑うということが、なくなってしまったのだ。
そもそも、声をあげて笑うほどの楽しいことが、あるはずもないか。

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バルコニーから眺めた
早朝の空。

マンション廊下から眺めた
夕刻の空。

どちらも、美しいよ。

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願いごと

今日は七夕だってねぇ。

どうなの?今は外、晴れているのかしら?

雲は多めだったけれど、時折強い日差しが照りつけて、
今日は空の青いきれいな一日だった。

息子は期末試験の真っ最中で、いつもと同様よく寝ている。
前回「夜中の12時から2時間、狂ったように集中してやったら、
8時間勉強したヤツより成績が良かった」とかいう妙な自信を身につけ、
なんとなく余裕の息子である。
午後、5時間以上爆睡し、今は将棋を指す駒音が聞こえる。
試験中になるときまって将棋を指したくなる男なんだな。

娘はライブ、バイト、ライブ、バイトバイトバイトバイト。みたいな日々で。
バイト週6日のこともあったりして、
「それはちょっと働き過ぎじゃないの?」なんて言おうものなら、
「美容師やってたと思ってごらんよ。みんなもっと長く働いてるんだよ」
と反撃してくる。

だってあなた、それがイヤで、
美容師やめたっていうのもあったんじゃなかったっけ?
なんて言おうものなら間違いなく怒りそうだから、言わずにおく。

バイト先で、どうやら娘は売上トップを誇るらしく、
店側からできるだけ出勤するよう頼まれているらしい。
注文の際にさりげなく「店イチオシの商品」を勧め、
客がそれを注文することによって得られる売上高が、
娘の接客時が一番多いということらしい。

「言い方だよ」と、娘はきっぱりと自信に満ちて言う。
どんなに素敵な言い方をしているのか、私にも聞かせてほしいよ。
娘はきっと、お得意の最高に可愛らしいつくり笑顔でお客に向うんだろうな。

ああ、高いお金をかけて矯正をして、良かったとつくづく思うよ。
綺麗な歯並びは、売上も伸ばすんだ。(←思い込み)

P7070103_2

来年50歳を迎える日本国内の女性は、
どんな願いごとを胸に秘めるているのかな。

みんな、何をどうしたいって願っているの?
誰の何を、祈っているの?


昨日母の病棟の廊下に、
七夕飾りがあった。
患者さんに答えてもらった願いごとを、
スタッフが短冊に書いて、吊るしてあった。

「病気が直りますように」
母の短冊にはそう書いてあった。

「治る」ではなく「直る」と書いた、スタッフのささやかな誤字に、
母は気分がよくないらしい。


私はね、しあわせになりたいよ。
今でも充分しあわせだけど、もっとしあわせになりたいよ。

どんなしあわせかっていったら…
そんなのは秘密だわよ。

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母が欲しかったもの

母の隣のベッドに、新しい患者さんが入った。

総入れ歯をはずした顔はどう見ても80代後半かと思われ、
だけど指には指輪が光り、爪にはマニキュアが施されている。
時々腕を伸ばして宙を泳がせている以外は、ずっと静かに横たわっている。

時々顔を見せるという男性を、母は隣の女性の旦那だという。

「いい歳して気持ち悪いのよ。手なんか握っちゃって、
『お母さん、すっごくいい顔してるよ。ほんとにきれいだね、きれいだきれいだ』
って、べた惚れなのよ。馬鹿みたい!」 と吐き捨てるように言う。

私は先日、その「旦那」とやらを見た。
どう見ても60代前半。まだまだ動きも軽やかな、隣の女性の「息子」である。

確かに息子、やたらに口が上手くって、
「お母さん、ずいぶん元気な顔になったよ。入院したときより
ずっといい顔してるよ。早く治って、ご飯を食べられるようにしようねぇ」
そう言いながら、母親の手を握り、擦っている。

「何よ、息子じゃない。どう見たって息子よ、あれは」と
私は母の耳元に顔を近付けて、小声で囁く。すると母は、
「息子があんなふうに、母親の手なんか握るわけないでしょ。あれは旦那よ」
と言い張る。

「お母さんって呼んでるじゃない」と私がさらに言うと、
「そう呼ぶ夫婦だっているでしょ」と、どうにも「夫婦説」を曲げない。

母いわく、隣の女性は老けて見えるが自分よりも年下にちがいない。
あれは間違いなく夫だ。

私もそこまで否定する気もないので、「ふ~ん、そうなの?」ってことにした。

「息子」は口が上手いだけあって、さすがに調子がよく、
「ああ、お母さん、眠たいんだね。そうなんだねぇ。
じゃあもう帰るからね。ゆっくり休むんだよぉ」などと甘く呼びかけ、
あっという間に病室を去っていった。 ふ~ん…


今日母の元を訪れると、母は昨日隣にもう一人の男がやってきたと話す。
「旦那の弟らしいの」って母は言う。
母の中ではなんとしてでも「旦那」なのだ。

「旦那の弟」は大男で目がギョロリとしていて、汗臭いんだそうだ。
「兄の妻」が目を覚まさないのでなんとなく居場所がなく、
部屋の真ん中に突っ立っていたんだそうだ。

「私、何かされるんじゃないかって、ドキドキしちゃった」と
母は乙女の恥じらい?を見せる。
今でも時々、自分がまだまだ若くて綺麗で、
そういう対象になり得るとでも思っているみたいだ。

母はとなりの「旦那」が、優しく「妻」の手を握り、
褒めまくっていることがどうやら気に入らないらしい。
母がかつて夫からもらうことのできなかった類いの愛情表現を、
溢れんばかりに受け取っている隣の「妻」のことが、
妬ましくて仕方ないのだ。

「でも、お父さんだって私に言ったもんね。
お父さんが死ぬちょっと前よ。病室で私に、
『おまえと一緒になって、本当によかったよ』って」

母が父からプレゼントされた、最初で最後の、愛の言葉だったのかな。


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リハビリに燃える

この頃の母は、またひと味風情が変わってきていて。
なんていったらいいのか…、
馬鹿っぽいときの表情が、ほんとに馬鹿っぽいっていうか…。

正常な部分とおかしい部分の差が、どんどん際立ってきている。

今週の月曜日から、念願のリハビリが始まったのだ。
今までもリハビリの先生がベッドサイドに見えて、
硬直した足の曲げ伸ばし運動なんかは定期的にしていた。

母は病院の2階にある、「リハビリ室」へ行って、本格的なリハビリをしたいと
ずっと思っていたのだ。
よくテレビなんかで見かけるような、バーが2本あって、
両脇を支えながら歩行訓練をするようなやつ、
ああいったことを想像したいたに違いないと思う。  

リハビリ室に通えば、自分もやがて歩くことができるようになると、
どこかできっちりと信じている。

リハビリ室に行く日が決まってから、母は大騒ぎをしていた。
リハビリ用の服が要るとか、リハビリ室に出かける時の小さな手提げが要るとか。
そのためだけにスタッフの手を煩わせて着替えを要求するのはあまりにも迷惑だし、
第一みんなパジャマのまま行くもんなんだよと、
何度言っても納得しない様子だった。

いつの何時からリハビリ室に行くかをメモしてもらった紙を、
母は何度も確認したがる。風で飛んでいかないかと私に訊ねる。
「6月22日、月曜日の10時から…」と私がメモを読み上げると、
10時、の文字を指さして、「何て書いてあるの?読めないわ」と母は言う。

「10時、よ」と私が言うと、母は目を凝らし、
「肝腫瘍…。肝腫瘍って書いてあるでしょ?私怖くなっちゃった。
私、肝腫瘍なのかと思って…」と言う。

まったく【10時】のどこが【肝腫瘍】なんだかね。
よくそんな難しい文字に見えるものだわね。
幻視って本当に不思議。


月曜日、直前になって、母は時々あるように曜日の感覚を失い、
当日がリハビリスタートの日であることを忘れていたという。
お迎えが来てビックリしてしまい、慌ててティシュボックスの中から
ティシュを大胆に束で抜き取り、二つに折って
リハビリ室まで持参しようとしたらしい。
「ポケットティシュを持ってなかったから」という理由。

私がその日の午後病室へ行くと、ベッドサイドに二つ折の
ティシュの束が置かれてあった。
「アンタもリハビリに行ってごらん。いい男がたくさんいるのよ」
と母は言う。作業療法士だとかの若い男性スタッフが、
みななかなかのイケメンだというのだ。


木曜日、母は二度目のリハビリを行った。
今日母のところへ行くと、母は顔をパッと輝かせて、得意げに話し出す。

昨日、自走式の車椅子に乗って、手で車輪を押してみたのだという。
車椅子は滑らかに動いて、母は自力で何メートルかの距離を
車椅子で移動することに成功した。
それを担当の女医に伝えると、「すごいじゃない!」とべた褒めされたのだと、
母は目をキラキラさせて私に報告する。
母の瞳には、明るい未来が映っている。

廊下で今日、私は担当医に声をかけられた。
「本人にとっては、私たちが100メートル全力疾走したくらいの
エネルギーを使ったんでしょうね。昨日の晩はぐっすりだったって」
どんどん頑張りましょうと、担当医は明るく言う。

母のよく解らない意欲だとか前向きな姿勢だとかは、
母の一部が壊れているからこそ出てきているものだと思う。
昔のまったく正常な母だったら、おそらくそんなふうなやる気は
絶対におこらなかったと断言できる。

人間、何かを失うと、代わりに何かを得るってこと、あるのかもしれないわね。

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ベッドの上で想うこと

なんとなく今日は、気分的に「休日」。

っていっても朝は5時45分に起きてお弁当などつくってるし、
特に何が違うってことじゃないんだけど。
今日は面談のお客さんが見えないっていうだけのこと。

「ああ、明日は久しぶりにお休みだわ~!」と
ゆうべ何気なく喜んでいると、娘がすかさず
「病院通いは仕事のうちに入ってるんだね」と指摘してくる。

ああ、そうだったわね。
母の病院へ通う月曜と金曜も、私はしっかり「仕事」としてカウントしてるのね。
私の中でそれは、週に二日のお勤めなのよ。

先日から、母の隣のベッドが空いた。
夜中に隣のお婆さんの異状に気づき、ナースコールをしたのはうちの母だ。
「娘も駆けつけてきたのよ」と母は言う。

「具合が悪いから、二人部屋に移ったんだって」
母はそう言って、それ以上詮索しようとはしない。
真実を知りたくないという気持ちも、働いているのかもしれない。

周りから見ると、実にあっさりと、命は途切れる。
だけど長いこと患い続けてきたという隣のお婆さんの家族にとっては、
それはそれは長い、苦悩の歴史があったのだと思う。
お婆さんにも家族にも、「お疲れさま」だ。


「早く、歩けるようにならないかなあっ!?」と、
眉を八の字にしかめて、出ない声を振り絞って母が言う。
「せめて、立つだけでもいいの。
もうこの先一生ずっと、立てないままなのかなあっ!?」

強い語尾に、母のやり場のない苦しさや、
どうにもならない現実への、憤りのようなものを感じる。
この先…? 一生ずっと…?
私の胸には、複雑な想いが巡る。

「そうねぇ。もっとリハビリして、足を太くしないと、
そのデカイ頭は支えられないわよね」
と、いつものように私は、笑って誤魔化す。
母を笑わせて、誤魔化す。

母は私が病室を去る時刻ばかり気にする。
「楽しい時間は短いね」と呟く。

「この間、夢を見たのよ。『あっちゃん、泊まっていきなよ』って
アンタに言うのよ。アンタが『泊まるとこなんかないじゃない』って言うから、
『ここに寝ればいいのよ』って。ベッドの脇のところに…」

…そりゃあ、淋しいよなぁ。
淋しくないはずがないよなぁ。

私が歳をとって、同じように身体の自由を失ったとしたら、
こんなに毎日淋しさを抱いたまま、
病院のベッドの上で生きていけるかなぁと考えてみる。

「惚ける」ということは、神様からの素敵なプレゼントなのかな。

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喜の字の齢

昨日は母の誕生日だった。

どうのこうので、母も77歳を迎えた。
「喜寿」だってことで母自身も実は前から、
今年の誕生日には結構な思い入れがあったようなのだ。

なんやかんや多少姉ともめて、
結局姉がバースデーケーキをつくり、娘を連れて旦那の車で、
私はプレゼントを持参してひとりで、病院へ行った。
ひとまわり年下の、母の妹もすでに病室に来ていた。

母は大勢からちやほやされることが大好きなので、
5人に囲まれて車椅子で、
病院の2階にある家族談話室ってところに移動した。

ケーキとフラワーアレンジメントとプレゼントを前にして、
私と姉が構えたカメラに向って、母は懸命に笑顔をつくる。
無理やり口角を上げるので、ほうれい線と鼻の穴が目立ってしまい、
森進一の物真似みたいな表情になってしまう。

最近また1キロ痩せたという母は、
車椅子に乗って上体が起きると、いきなり頬が垂れさがって
老けこんで見える。

それでも姉のつくった夕張メロンのショートケーキを
母はぺろりとたいらげ、カフェのマスターである義兄が淹れてきたコーヒーを
「美味しいわ」と言って飲み干す。そして
「もう、戻ろう。ちょうどいいわ」と母は言う。あっという間だった。

週に1回水曜日に、民間企業の介護サービスを頼んでいる。
「淋しい」と言う母のお話し相手をしてもらっている。
母といろんな話をしたり、マッサージをしてもらったりして、
2時間を病院で過ごすという契約だ。

その方と昨日、初めて私たちは顔を合わせた。
とても丁寧で上品な方。
母の誕生日に家族が集ってお祝いをしたのだと知ると、
「幸せですね、飯田さん。とっても幸せですね」と熱く母に語りかける。
その場の空気が急にドラマティックになって、母は顔を歪めて泣きかける。

そこへ姉が、「じゃあ、私は明日また来るわね」と母に言い、
さらに私が母の手を取って、「私はあさってよ」などと言ってみる。

「まあ、毎日毎日、ほんとうに幸せですね、飯田さん」
などと、女性がいっそう盛り上げてくれるので、
私たちは素晴らしき心優しい娘たちのふりをして、
病室を去ることが出来た。

「やっぱり私たちに足りないのは、ああいう演技力よね」
と、姉と語らう。
そうなのだ。母はもっとウソ臭い世界が好きなのだ。

「大丈夫よ、お母さん。きっと良くなるわ」
「早く退院して、今度こそみんなでハワイに行こうね」
「歩けるようになったら、のんびり温泉に行こうね」

母はきっと、そんな言葉を待っている。

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天井の世界

こんなに母が暗いのは、久しぶりだろうか。

母の顔は動かなくて、目はずっと天井を見つめている。
唇はわずかに開いたままだ。
私の話を聴きながら(耳だけは異常に良い)、時々少しだけ
眉間を曇らせたりする。以前は笑ってくれたような話にも、
母がちょっと不快そうに顔を歪めるので、
なんだか悪いことを言ってしまったような気がしたりもする。

おそらく頬の筋肉も、口の周りの筋肉も、
いろんなところの硬直が進んでいるのだろう。
家族の前では気を遣わないから、母の表情は固まったまま、
自分からあまり言葉も発しない。

それでも誰か他人がやってくると、
母は一瞬口角を上げて、笑顔をつくろうとする。
だけどそのつくり笑顔は、どこから見てもあまりにもぎこちなくて、
下手くそな漫画が貼りついたみたいに見える。

「どうしてずっと天井ばっかり見てるのって、看護婦さんに訊かれるのよ。
こっちは一日寝てるのよ。天井しか見ることできないじゃないのよ」

顔を近づけないと聞き取れないほどの小さな声で、母は愚痴る。

久しぶりに今日は、病室にいろんなものが見える。
いつも見えるのだろうけれど、あまり口にしないこともあるのだ。
天井にたくさんの蜘蛛。斜め向かいのベッドの下に3匹の猫。
向いのお婆さんは、口にネズミを頬張った。
それから自分の車椅子の引出し(なんてものはあるはずなく)に
カセットテープが入っているだろうと言い張る。

「いつ、歩けるようになるんだろう。早く、歩きたいなぁ…」

と、天井を見つめたまま無表情の、
わずかに哀しそうな顔をした母が呟く。

「そうね。熱が下がった!みたいに、急には無理だよね。
少しずつ、訓練していって…、だよね」

私がわざとらしくそんなふうに言うと、
母は瞬きをして、YESの合図をする。

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嘘つき

いつの間にか私、嘘をつくのが上手くなった。

実は先月のはじめに、母の部屋を姉と3人で整理したのだ。
長いこと家主不在の部屋は、姉が時々換気してくれるとはいえ
クローゼットの中の服や玄関収納の中にも、
カビが生えたり、し始めていた。

もともと整理の下手な母。掃除をしない母。物を買い込むのが好きな母だ。
使いきらないうちにどんどん買い足されたものたち、
使ってみようかといういっときの気まぐれで試し買いされたものたち、
母がいた場所は、とにかく物が溢れていた。

母がもう、この部屋に戻ってこれることはないと、
私たちは一大決心をして、粗大ゴミ引き取り処分業者を呼び、
要らないものを片っ端から処分してもらったのだ。

事前に引き出しの中や箪笥の中のものを全部出し、
貴重なものや想い出のもの、私たちが欲しいものなどはきちんと取り分け、
どうしようもない多くのものを、一度に処分した。

とはいってもまだまだ、処分しきれないままの食器や
最も多く場所をとっている母の洋服、靴はそのまま手つかずだ。

ベッドについては母自ら「捨てて」と言うので、これも処分した。
桐の和箪笥と仏壇は長女の部屋に、という母の要望ももその通りに叶えた。
だけどそれ以外は、元のままの自分の部屋が
元のとおりにそこに在ると、母は信じている。

母は時々思い出して、アレを持ってきて、コレを持ってきてと言う。
「私の部屋のテレビの横の、千代紙を貼った小引き出しの中に、
鳩居堂で買ったきれいな葉書があるのよ。
友達に手紙を書きたいから持ってきて」だとか、

「鏡のある箪笥の真ん中の引出しに、練馬のもう潰れちゃった化粧品やで買った、
資生堂の香水があるのよ。寝汗をかいて気持ち悪いから、
それを持ってきて」だとか、言う。

そういう言葉を聞くたびに私は、頭の中で
『私がもらったアレのことか?姉と捨てちゃったアノ辺のものか?』と
記憶を手繰りよせ、だけど面倒臭くなって適当なことを言う。

「ああ、どうだったかなぁ。罫の入ったやつ?
今度お姉ちゃんに探してもらってみるね。もしなかったら、
綺麗なのを買ってくるよ」とかなんとか。

「もしかして、オレンジっぽい色の瓶のやつ?あれはオーデコロンかな?
でもそんなのつけたら匂っちゃって余計に臭くなるかもよ?
シャワーミストっていうやつがいいんじゃない?
バラの花のいい匂いのやつが売ってるよ。買ってこようか?」とかなんとか。

嘘をつくのは好きではないし、決して上手い方ではないと思っている。
でも母に対してだけは、この頃上手に嘘を重ねる。

「お母さんの部屋はもう、ガラガラのぐちゃぐちゃよ」
「お母さんはもう、二度とあの部屋に戻れないのよ」
「お母さんの病気は治ることはないのよ」
「お母さんはもう二度と、歩くことなんかできないのよ」
「お母さんは、認知症なのよ」

母を絶望に追いやる言葉は、いくらでもある。
とても簡単で、簡潔な言葉だ。

それだから私は、日ごとに誤魔化しのプロになり、
嘘つき名人になっていくのだ。

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中三日

久しぶりよ、母ネタ。

私が母の病院へ行くのは、基本的に月曜と金曜。
この中三日をどう過ごすかで、すごく間が空いたように感じる時と、
「また行くのかぁ…」とちょっとげっそりする時とがある。

その中三日の間に、自分がどれだけ充実しているか、
たとえば仕事がいい感じに入っていたり、人と逢っていたり、
ちょっとイベントがあったり、でずいぶんと心持ちが変わるってこと。

連休明けから仕事がほどよく入っているので、
私も精神的にいくらか安定している。
何かと気も紛れるしね。

月曜日の日に私が病室へ行くと、母は半べそをかいて訴える。
お昼御飯のときに、いつも向かいに座っている女性がいて、
その人とはアイコンタクトでやりとりできていたらしいのだが、
その人の具合が悪く、食堂に来なくなった。その代りに母の目の前に
座った女性が、ものすごく意地悪だったという話。

「私がこぼしてるのを見て、ずーっといちいち指摘するのよ。
『ほら落ちた。ほらまたこぼした。ここからここまでこぼれてる』って。
『昔だったら、這いつくばってでもこぼしたものは食べるもんだ』って」
どうやら達者な方らしく、自分はお箸ですいすいとご飯を食べるらしい。
最近とみに手の機能が落ちている母が
ぼろぼろとこぼしながら食べている様子を、箸で指して非難するのだという。

「あんな目にあうなら、もう食堂へ行って食べたくないわ」と
母は泣きそうな顔をする。ご飯も半分しか食べられなかったのだという。
「じゃあ席を替えてもらうように言ってくるよ」と、
私はさっそくナースのほうへ出向いた。

どうのこうの話しているうちに、担当医の女医がやってきて、
「そうそう。今日のお昼ね。あれはかわいそうだったわよ。
今度は絶対に一緒にしないから」と、きっぱりと言ってくださった。

それからナースと医師と私の3人で少し話をした。
最近母が食べ物の多くをこぼしてしまうことを、
ひどく気に病んでいることについて。食べやすくするために、
食事の形体を以前のように戻したほうがいいのではないか?ということ。

どんなにこぼしても少しも構わない。こぼす分も考えて食事量が決められている。
自分の力で、食べたいものを食べるのが一番。
本人がそう希望しているなら変更するが、そうでなければ応じない。

そして最近とみに、母は食事中に失神するらしいのだが、それについても、

どんなに失神しても構わない。スタッフがいるから大丈夫。
安心して失神すればいい。

さらに、

入院時から、症状が進行したようには感じない。
むしろできることが増えた。今後も可能な限り、できることは自分でやり、
リハビリを続けていくという方針でいく。

っていうこと。

医師から言われたことを、戻って母にゆっくりと話す。
「そう言ってもらえれば、安心するのよ」と、母はいくらかホッとした表情を見せる。

月曜の母は無口で静かで暗くって、まったく表情が動かない。
それでも馴染みの掃除のおじさんが手を振ってくれると、
母は無理に口角をあげて笑顔をつくり、ぎこちなく手をわずかに上げて振って見せる。

母の両足は、関節に極太の針金が入ってしまったようにしか動かない。
ガチガチに固まっていて、不自然な形で硬直したままベッドのエアマットの上に
投げ出されている。長い脚だ。脛が長い。
「看護婦さんがみんなそう言うのよ」と母は言う。
150センチもないような女性が多い中で、母の足は妙に目立つのだろう。

母は筋の強張る痛みに堪えられず、時々鎮痛剤をもらう。
「薬は効くの?」と尋ねると、「効くわよ」と答える。
薬が効くのはありがたいと思う。

毎回足のマッサージをする。鎮痛効果のある薬剤を塗り塗りして、
ふくらはぎや足首、関節をマッサージする。
きゅっきゅっとつまむようにすると、「ああ、気持ちいい」と母は言う。

病気の症状のひとつのせいで、最近母の声はますます小さくなってしまった。
何度も訊き直さないと、何を言っているのかわからない。
そんな小さな声で、母は語る。

「ほんとにね、ほんとに我儘な願いだってことは解ってるの。
でももっと病院側もね、患者の声に耳を傾けて、意見を聴く日だとかを
設けるべきだと思うわ。傍に来た時に、ちょっとでも声をかけてくれて、
話をしてくるだけで違うのよ。それができてる人もいるわ」

こんな母だが、病気の括りとしては「認知症」なのだ。

…ああ、月曜日のことなんか振り返って描写してたら、
せっかく中三日の爽やかな気分が薄れてしまったじゃないの。

しっぱいしっぱい。

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欲しいもの

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もっと天気が崩れてくるのかと
思っていたのに、
意外と薄く陽も射したりして、
この大型連休のさなか、
小手指の田舎の風景も
なんとなく長閑に、幸せに映ってみえる。

今日は息子を連れて母の病院へ。

母はこの頃表情が特に乏しくて、
頭は冴えているのに
顔が固まっているものだから、
なんともちぐはぐで、やるせない。

頭の中の、記憶をつかさどっている部分だとか
いろんなことを判断する部分だとかは
今までとなんら変わりなく機能しているのに、
目の前のどこか一部分が、ヘンなのである。

大脳皮質の神経細胞内にレビー小体という物質が出現する、
それがレビー小体病(レビー小体型認知症)だ。
いくら説明を読んでも、いまいち分からないんだけどね。

母はボーーッとしていて(いるように見えて)、
心がどこにあるのか、私のことが見えているのか
私の声が聞こえているのか、それすら判断つかないような表情をする。

それでも次に出てくる言葉が、
「そうそう。固定資産税のことだけど。もうすぐ支払の紙が届くわよ。
きちんとやるのよ。もしわからなかったら、
私の部屋の納戸の棚に、「平成○年確定申告」っていうファイルがあるから、
それを見て~~」云々、しゃべり出すのである。

ほんとうに、この病気が不思議なんだか
母が不思議なんだか、両方なんだか、よくわからない。

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「もうすぐ母の日だね。
何か欲しいものない?」
と私が訊くと、
「何もないわよ」と答える。

そうだろうな。
生きているなかで
自力でできることの範囲が、
ここまで狭くなってしまった今、
何を欲しがればいいっていうんだろ。

「何かを欲しい」と人間が思うときっていうのは、
自分の中にたくさんの可能性を
感じているっていう証拠なのかもしれないな。

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想い出話

「この間はありがとう。楽しかったわぁ…」

今日、病室で母にそう言われた。
ほんとうにそんなに楽しかったのかどうか、
その日の母の表情からはまったくわからなかったけれど、
それでも娘やら孫やらに囲まれて、
久しぶりに病院の外に長いこと出ることができたのだから、
やはり嬉しかったのだろうとは思う。

去年の夏からの母の境遇を、自分のこととして置き換えて
想像してみたら、どれだけ哀しく辛いことかと、
改めて想ってみたりする。

年齢は違うし、家族環境も違うのだから比べようがないかもしれないけれど、
もし自分がこんなにも短期間に変わり果て、
あらゆる身体の自由を奪われてしまったら、
はたして今の母のように気丈でいられるかどうか、分からないと思う。

パーキンソン症状の強い母は、大きな声が出ない。
ナースに向って囁くような声で褒め言葉を投げかけ、冗談を言う。
スタッフの名前をフルネームでほとんど記憶し、
その人のキャラクターに合わせて、自分の対応をきちんと変える。
キツイ人には従順に、明るくユーモアのある人には自分もおどけて見せる。
母の特殊な才能だと思う。

母は、自分の父親のことが大好きだった。
私もお爺ちゃんが大好きだった。
お爺ちゃんは私がものごころついたころには総入れ歯だったから、
いったいいつからそうだったのか母に訊いてみた。
母も憶えてはいないけれど、
「おじいちゃんが歯を磨いている姿なんて見たことないわ」と笑う。

幼稚園入園前の私は、毎日のように迎えに来てくれるお爺ちゃんに連れられて、
散歩に出かけた。
お爺ちゃんは優しくて、いつもお菓子やさんで、お菓子を買ってくれた。
猫の容れものに入った金平糖(逆さまにするとニャーと泣いた)だとか
電車セット(中に切符とか切符切りハサミが入ってた)だとかを買ってもらった。

甘いものが好きだったお爺ちゃんは、私にも気前よく甘いものを与えたから、
私は3歳の頃には前歯がほとんど虫食い状態の味噌っ歯だった。

お爺ちゃんは「おんぶ」と私が言えばいつまでもおんぶをしてくれたし、
公園の前を通れば公園で遊ばせてくれたし、
お爺ちゃんに怒られたことなんか一度もなかった。

そんな話を母にすると、母は嬉しそうに微笑んで、遠い目をする。
「そうよ。私も一度も怒られたことなかったもの」と、母は言う。

母のお気に入りのエピソードを、私はいくつか知っている。
母の中の記憶の宝石箱を、もっと頻繁に開いてあげたいと思う。

「ブルーの鳥がいるのよ」
母は天井のほうを見て、目をぱっちりと開く。

「ピンクの鳥じゃなくって?」と私が訊くと、
「ピンクの鳥はあそこ。あっちにブルーの鳥よ」と、
新しく美しいものを見るような眼差しで、天井を見つめる。

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母と遠足

どこかに出かけたいという母の願いを叶えるべく、
姉が企画した母とのお出かけ。

介護タクシーを頼んで、病院にお迎えに来てもらい、
そこから車で十数分の西武園まで。

母が初めて父とデートしたという狭山湖へ行こうかと思ったが、
車椅子の母とだったら、ご飯を食べる場所の整った西武園遊園地のほうが
都合がいいのではないかと、姉が言い出した。

地元の介護タクシーのおじちゃんもその案に賛成したので、
介護タクシーに母と姉と私が乗って、
義兄の車に姉の息子と娘と、それから私の娘が同乗して、
皆で西武園遊園地へ向かった。

姉と私は所沢で朝待ち合わせて、西武百貨店でお弁当やデザートの買い物をし、
それから病院へ着くと、もっと早く来るかと思ってたと案の定、
せっかちな母は待ちくたびれていたようだった。

母は何日も前から病院のスタッフに、出かけることを言いふらしていた。
まるでどこか遠いところへ旅行にでも出かけるような騒ぎぶりだった。
「私が心配なのはオムツのことよ」などと、心配性の母はあれこれと気を回し、
かなり緊張していたようだった。

お昼の分の薬と、一応替えのオムツを用意していただき、
母は介護タクシーに乗り込んだ。

西武園は淋しくないほどには混んでいて、
でもGW中とはとても思えないほどのつつましやかな人の出で、
とてもラッキーな感じだった。
介護タクシーの方には駐車場あたりで待っていただいて、
何かあればすぐに携帯で連絡を取るということになっていた。

着いてすぐに景色のいい席でお弁当を囲んだ。
最近は普通食を食べている母だが、やはり市販のお弁当では少々硬いようで、
おにぎりもあまり進まなかった。おかずもそれほどは食べられなかった。
「噛むのが疲れちゃった…」と顔が暗い。

それでも孫たちと写真を撮るときには、精一杯笑おうとする。
母を囲んで、何枚も写真を撮った。
こんなことはもう、もしかしたらこれが最後かなとも思う。

昨日西武が買ったからという理由で、入園チケットに乗り物券がサービスされた。
私も娘もコワイ乗り物には乗れない。
姉が空中ブランコを見て、「アレ、大好き!アレ乗ろうよ!楽しいよ~!」と言うので、
アレなら乗れると、私も張り切って乗ることにした。

娘はブランコに座ってから、周りの小学生低学年の女の子に
「これ怖くない?」と何度も訊いた。女の子たちは呆れたように首を横に振る。

いざブランコが動き始めると、私は騙されたことに気づいた。
低い位置をゆっくり廻るだけだと勝手に想っていたブランコは、
中心の筒状の部分がぐんぐんと上にせりあがって、
ものすごく高い空中に浮かびあがった。

ブランコのスピートも動きも、すべて想定外のものだった。
あまりにも怖くて、どうしようもなく辛くて、何周かしているうちに泪が頬を伝って
風に飛ばされていくことに気づいた。
自分が泣いていることに気づいたら、なんだか哀しくなってしまって、
どうしてこんな拷問みたいなことを自ら望んでしてしまったのだろうと、
辛さばかりがこみあげてきて、こっそりとすすり泣いてしまった。

私の後ろでは娘が大騒ぎをしていた。
「うわぁーー! 怖いじゃないかーーー!」とか
「無理だーーー!うわあーーー!」とか
「うわーー!怖くない怖くない怖くないーーーー!!」とか、
最初から最後まで、大絶叫をしていた。

周りの小学生が、どれだけ引いたことか。
「何か叫んでないと、怖くて気が狂いそうになるんだよ」と娘は言う。

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ブランコから降りた私はボロボロに傷ついていて、
「つらかった、つらかった…」と軽くしゃくりあげていたら、
「なぁんでぇ~?」と、姉が心底不思議そうに私を見た。

「怖かったね、辛かったね」と、娘と肩を抱き合ってしばらく歩いた。

降りてから初めて、廻っているブランコを眺めた。
これはもう、ありえない。
はじめに動いているのを見ておけば、絶対に乗らなかったのに。

そうそう。
で、母はだんだんと表情が固まってしまい、腰が痛くなったり
足がだるくなったりしてきて、タオルを当てたりマッサージしたり、
やっぱりこれくらいが限界かしらと、結局2時間ほどで介護タクシーに戻った。

病院に戻った母は、かなり疲れた様子だった。
スタッフの方々は本当に優しくて、いろいろと褒めたり励ましたりしてくださる。

帰るときになって母は、「ありがとう。今後はもっと、遠いところへ行きましょう」
と私たちに言う。
「これから暑くなるから、涼しくなったらまた行こうね。
紅葉の頃に、どこか行こうね」と、私は調子のいいことを言いながら、
それが本当に叶うことかどうか、半信半疑でいた。

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病室にある現実

このところの母はゆっくりゆっくりと、坂を下っているように見える。

少し話しこめば、驚くほど様々なことを覚えていて、まだまだ頭の一部分は
怖いほどに冴えわたっていることに気づかされる。

それでもベッドに横たわっている母の表情はまったいらで、
小鼻に力が入っていて、どことはなく辛そうな哀しそうな風情だ。
だけど目をぱっちりと見開いて、見えないものを見続けているときの母は、
好奇心いっぱいの少女のようで可愛らしい。

「そこのカーテンの後ろに、生魚や生肉がぶら下がってるでしょ?」
と母は言う。
「あら?ハムとソーセージじゃなかった?」と訊くと、
「そうよ。ハムもあるわよ」と言う。

母は天井にUの字に固定されているカーテンレールと
ベッドを区切るピンクのカーテンに、異常に執着する。
ベッドに仰向けになっていれば、一日の大半は天井を見て過ごすのだから
当たり前といえば当たり前なのかもしれない。

今日母の見たものは、ぶら下がった生肉から血が滴っている様子。
カーテンレールにねずみがぶら下がっている様子。
離れた方のカーテンレールにはズラリとパンが並んでいる。
そして右隣のカーテンのところに、たくさん並んでいるピンク色の小鳥。

「今日は円鏡に似た人が座って落語してないの?
顔が3センチの人よ」と訊くと、母はもちろんしっかりと憶えていて、
顔をしわしわにして笑う。

母は私が帰る頃の時刻に近づくと、必死に首を傾けてベッドサイドの時計を見る。
「もう3時!」と、悲痛な表情で言う。

母はいつも、「もう帰るんでしょ?」と、わざと早めに私に言い、
「あらまだよ」という言葉を聞きたがっている。
その言葉を聞きたいがためにわざと言っているのだと、
一瞬幸せを感じたくて、そしてもし本当に私が帰ると言った時に
なるべく傷つかずにすむようにわざと言っているのだと、
先日そんなふうに言っていた。

もちろん私だってそれは気づいていて、
でも母自身がしっかりとそんなことまで自覚できていることに、
「まだまだ大丈夫」と喜ぶことのできないせつなさを感じる。

少し前から、斜め向かいのJ子さんの容体がよろしくない。
もう口から食事を摂れなくなってしまったので、
姉いわく胃ろうにしたそうだ。鼻からチューブを入れているので、
実際どんなふうなことが施されているのか、よくわからない。
あまり直視できない風情だからだ。

J子さんはおそらくとっても綺麗な人で、今はもう一日中口を開いて
横たわっているだけで、自力では微動だにできない。
二人の息子が献身的に見舞に訪れているそうだが、
私はわりと早く来て早く帰るので、出くわしたことがない。

時々J子さんのご主人が訪れて、「J子、J子」としきりに声をかける。
今日もご主人は「J子、どうした?J子?」と、
幾度も幾度もJ子さんの肩をぽんぽんと叩いている。
いつものJ子さんの反応と違うのだろう。
ご主人にしかわからないJ子さんの反応が。

ご主人は「J子、J子」と繰り返しながら、ずっとJ子さんの胸をさすり、
肩を撫で、腕を緩く、クルクルと回したりしている。
私は遠くから眼鏡もかけずに見ていただけだけれど、
J子さんはしきりに瞬きをして、ご主人の声掛けに反応しているように見えた。

「ずいぶん悪いらしいのよ」と、母は横目で眺めながら言う。
母は二人の息子のやることなすことをすべてしっかり観察していて、
長男はどうだとか次男はどうだとか、細かく描写する。
時々そこに、とんでもなく気味の悪い妄想が入る。

家族に愛され、大切にされているJ子さん。
きっとものすごく綺麗で優しくて、自慢の妻、母だったんだろう。
まだうちの母よりもお若いのに、どうしてそんな姿になってしまったんだろう。
どうしてよりによって、そんなふうになる病気になってしまったんだろう。
自分の妻がこんなふうになってしまうだなんて、誰が想像しただろう。

肌理の細かそうなJ子さんの顔は、いつも肌が張り詰めていて、
蝋細工のように固まって動かない。
開かれた口は、まったく閉じられることもない。

「この間J子さんが、『パパ』ってはっきり言ったのよ。感動しちゃったわよ」
と母が言う。

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小手指に向う帰りのバスの中、
J子さんのことを想っていたら、
久しぶりに泪がこぼれた。

ご主人の胸の内を想ったら、
泪がこぼれた。

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今日はいつもより少し早めに、母の病院へ行った。

この間母が、
「夢だけどね。車椅子で、どこか桜だとかのお花見に行ってみたい。
夢だけどね…」
と言った。
車椅子ごと車に乗って、どこか景色のいいところへ
出かけたいという意味だ。

姉が今、それを実現しようかと画策しているところだが、
それはさておき、桜の開花もピークを迎えた今日あたり、
病院の近くを散歩に連れて行こうと思ったのだ。

車椅子に乗せて病室を出ると、
「出かける前に顔を見せて」と言うので、
母の正面にまわって笑顔などを向けてみたら、
そうじゃなかった。母は自分の顔を鏡に映して見たかったのだ。

病院の敷地内にあるソメイヨシノはまだ五分咲きで、
近所をノロノロと歩いてバスの通る広い道路に出た。
白とピンクの八重咲きの枝垂桜がとっても綺麗で、
私はひとり「きれい、きれい」を連発していたけれど、
母の顔は苦しげに固まっている。

別に哀しいわけでも辛いわけでも、不機嫌なわけでもない。
ただ表情が固まってしまうのだ。
寝ていると頬も張って案外若く見えるけれど、
車椅子に乗って重力に逆らわない状態になると、頬はたるみ、
瞼も下がり、一気に老け込んで見える。

桜をバックに、携帯で写母の写真を撮った。
撮った写真を確認して、愕然とした。
去年の夏の、中野の病院に入院した頃の母の写真と比べて、
まるで別人のようだと思った。
九ヶ月の間に、驚くほど母は老けた。

病室に戻って、他のと一緒に母の顔写真を見せたら、
「ヘンな顔ね。そんなの捨ててよ」と言う。
上体を起こしてるときの自分の顔をしみじみと見たら、
母はどれだけ絶望するだろうかと想う。

最近の母は、斜め向かいの患者さんが、毎日通ってくる息子に
血を吸われているという妄想がどうしても消えない。
血を吸われたあとの女性の顔は真っ赤で、
帰って行くときの息子の手も、血で真っ赤に染まっているのだと言う。
「ゾーっとするの。気持ち悪くって…」と、母は怯えながらも
その光景から目を離すことができないようだ。

正面のお婆さんのところには、夕方になると
犬がたくさん遊びに来る。白やグレーの可愛い犬たち。
「(お婆さんの)お友達なのよ」と言う。

今日はお婆さんのところのカーテンを見つめて、
「カーテンの上半分が、レースになっているでしょ?
あそこにね、舞台があるの、見えるでしょ?
そこに、円鏡みたいな眼鏡かけてる人が、落語やってるわ」

円鏡っていうのは、月の家円鏡のことだろう。
今は橘家圓蔵っていうらしいけれど。

「そしたら、ずいぶん小さい人じゃない?」と私が訊くと、
「そうよ。顔が3センチくらいね」と言う。

「そりゃ可愛いわね。じゃ、全身でこれくらいね?」と
7~8センチほど指を開いて母に見せると、
「そうね。そんなもんよ」と答える。

母の顔は強力糊で接着したみたいに動かない。
顔筋もが硬直してしまっているんだろう。

何も解らないような顔をしているからといって、
頭の中もそうであろうと思うのは大きな間違いなのだと
最近になってようやく知った。

口を開けて、ただ寝ているだけに見えるお婆さんたちも、
だからきっと同じなんだ。

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ゴールデンフリージア

今日は息子の終業式。
なんやかや、暗くて孤独な高校一年が終わったな。
4月からは高2か。
高2っていえば、なんだかぐっと大人なカンジ。
強く、逞しく成長してほしい。
心から…、ほんとに心から、母はそう願っているんだよ。

私はこの軟弱な息子を、早く過保護な私の手から、
飛び立たせたいと思っている。
飛び立たせなくちゃいけないと、思っている。

娘は今夜も夜中までバイト。
地元で妥協して選んだバイト。
実は嫌で嫌でたまらないバイト。
お金のためにと割り切って、しばらくの間頑張るしかないかと
諦めて取り組み始めたバイト。

明日はディズニーランドへ遊びに行って、
あさってはライブだとか?
今回のライブには取材が入って、なんとかいうマイナーな雑誌に
バンドとして取り上げられることになったそう。

大阪のインディーズでは結構有名らしいバンドからお呼びがかかって、
9月に行われるライブに東京から招待されるんだって。

ごくごく狭い世界の中だけだけど、じわじわとファンが増えているらしい。
自主制作のCDは、今DISK UNIONにも置いてもらえてる。
このところ、娘の精神状態はいくらか上向き。
上向きなぶん、若干攻撃的。ちょっと怖いよ。
「そんなに怖く言わないでよ!泣いちゃうわよ!」と私は怒る。


今日は母の元へ。
週に2回のペースは定着している。

相変わらず幻覚と、それに伴う妄想がいくらか。
だけどそれ以外の頭はいたって正常。
スタッフの名前を覚える早さ、記憶力の良さに、私は今でも舌を巻く。

それなのにどういうわけか、「ナースコール」だけは忘れがち。

今日も帰り際、「コレ、な~んだ?」と訊いてみたら、
「なんだっけ…。ゴールデンフリージア?」と言う。

さすがにウソ臭く、ウケ狙いかと感じたので、
「ウソばっかり!」と返すと、
「わかった!フリースコールよ!」と、今度は確信に満ちた表情で言う。

どこまでが本気でどこからが冗談なのか、わからない。

病院脇のバス停で、バスを待つ間の寒いことったら…。
強風ビュービューの中、足踏みしながら待ったわよ。

明日からは寒のもどりだっていう。
ゴールデンフリージアは、どこかに咲いているかしら。

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道ありき

今日は息子を連れて、母の病院へ行った。
孫がお見舞いに行くと、やっぱり母は喜ぶ。

今日は春分の日。
私はすぐ近くの小さな和菓子屋さんでおはぎを5個買って持っていった。
母はこしあんのおはぎときなこ(中にアンコ入り)を食べ、
お腹の空いた息子はきなこ1個と胡麻(中にアンコ入り)を2個食べた。

食べるだけ食べて、母の問いかけにも「まあ…」とか「さあ…」とかで
なんとも愛想のない息子は、一足先に帰った。
帰りがけに恒例の、母からの握手の求めに応じて、
息子は何度も振り返って手を振りながら病室を出て行った。

そんな姿を見て母は、震えるように「…いい子だよ!」と言う。
そしてすぐに、「男の孫にだけ言う…」と、自分で突っ込みを入れる。
そうなのだ。女の孫には決してそんなことは言わないのだ。
母の年代の女性の多くは、男、というもののほうに入れ込むようだ。
男の子を生むと「でかした!」と褒められる、そんな時代に育ったせいかな。

帰りの電車で、三浦綾子の「道ありき<青春編>」を読む。
三浦綾子の若い頃の闘病生活と、その間の恋愛、信仰について綴られたもの。

三浦綾子は日本のドストエフスキーだなと、私は勝手に思っている。
登場人物についてのくどいくらいの精密な描写が似ていると思っていたら、
やはり若い頃に相当、ドストエフスキーに影響を受けていたらしいことを知る。

どうして三浦綾子の本を読むと、こんなに泣いてしまうんだろう。
決して大袈裟な描写ではなく、今風の上手い比喩とかでもなく、
つまり小手先の器用さで綴られた文章ではなくって、
もっと深いところから湧き出てくるようなもの…。
魂を揺さぶられる、っていう表現がよく似合う。

所沢から各駅電車に揺られて、小平だとか東村山だとか花小金井だとか
なんとものどかな駅名を通りながら、私はずいぶん泣いてしまったよ。
泪を抑えられないのに読むのを止められない、なんという素敵な読書。

過去に実在した、心の美しい人の生き様や在り方に触れると、
つくづく自分の愚かさを思い知るじゃないの。
半世紀近くも生きてきて、
私ってばなんてつまらなくて、そして不潔な人間かしらって。

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母と笑う

09310sora

昨日はお天気が良かったから、
母もなんとなく明るかった。

母の幻覚は変わらずで、
フェレットなんかもよく出てくる。
他の患者さんの家族が、
フェレットを持ち込んだりもするらしい。

「さっき、バカなこと言っちゃった」と、母が笑う。
洗濯した病室のカーテンを吊るしにやってきたおじさんに向って、
「あのカーテンレールに、夜になると虫がつきますでしょ」と言ってみたという。

「おじさんったらね、びっくりして『え、何の虫ですか?』って。
黒くて大きい虫ですよって言って、でも朝になると消えてるのよって言ったら、
おじさん『へぇ…そうですか?』だって。
この女頭おかしいなって顔で見られちゃったわ」

だから母は
「あそこにずっと、ハムとソーセージがぶら下がってるでしょ。
そのことを言おうと思って、ハムって言葉が出かかったんだけど、
またこの女変なこと言ってるって思われるのイヤだから、やめておいた」
と言って、顔をくしゃくしゃにして笑うのだ。

自分がおかしいということと、だけどどうしても
それを事実だと思っていることと、同時に他人からの評価を気にしていることと、
そのあたりのちぐはぐさが可笑しくて、私も大笑いをした。

天井近くのカーテンボックスにぶら下がっているという
「ハムはアンタも見えるでしょ?」と訊かれ、
「見えないなぁ」と笑うと、「見る気がないのよね」といつもの答えだ。

「ずっとぶら下がってたら腐っちゃうんじゃない?」と私が言うと、
「それがおっかしいのよねぇ…」と、真面目な顔をして首をひねっている姿が
ものすごく可愛くて、愛しかった。

三人娘の誰ひとりとして似なかったけれど、
母の目はぱっちりとした二重瞼。
病室の天井にいろんなものを見ている時の母の目は、
好奇心旺盛だった少女の頃そのままの目なんだろうと想う。

ピンク色のカーテンの、カーテンレールのところを指差して、
「ピンクのことり」 と呟く母は、とても可愛い。

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それぞれの日々

田無の町がどうのこうの、
西東京市のゴミのルールがどうのこうの、
語ってはみたが、もっと肝心なのは私等の心の具合だ。
わかってる。もちろん解っていますとも。

娘といえば、引越しの少し前からバイトをやめていたので、
最近はストレスの塊。
転居後何度か友人に会いに出かけたが、それ以外は
ほとんど引きこもっている。

昨日の朝は友人とオールをして朝帰り。
早朝に帰るなり、「遠すぎる!吉祥寺から1時間かかるなんて有り得ないし!」
とご立腹だ。「田無ってチョ~田舎!!」と怒っている。

知ってますよ。田無は田舎ですよ。

転居前は、吉祥寺まで行くバスの途中に彼の家があるんだと喜んでいたのに。
「早く引っ越したい」と待ち望んでいたくせに。
「あたし、勘違いしてた。新宿まで超遠いよ!」と言う。

快速急行っていう一番速いやつで、高田馬場まで15分。
田舎とはいえ都心へのアクセスはいいとされている田無だけれど、
今まで遠くへ通ったことのない娘にとっては、負担らしい。
終バスが早いので、地理的にはお隣の武蔵野市吉祥寺から夜帰るときは、
わざわざ新宿を廻らなくてはいけなくなる。
そりゃね。私は娘の夜のバイトや夜遊びや朝帰りのことまで考慮して、
住居を決めたわけじゃないですからね。

その点息子は文句ひとつ言わず、黙々と通学しているではないか。
前は都営大江戸線1本で行けたところを、2度も乗り換えをして
結構な負担ではないかと私は多少心苦しく思ったりするのだが、
それでもあと2年のこと。

「(以前使っていた)有楽町線や大江戸線に比べて、
なんか、西武新宿線って…」と、車内の雰囲気や乗客層の違いに
驚きを隠せない様子の息子ではあるけれど、ま、それも慣れるわよ。

この息子、花粉症のうえに私の風邪がうつったらしく、
鼻と咳がとんでもないことになってしまった。
さすがに小山耳鼻科通院を断念した私は、すぐ近所に見つけた
地元では結構有名そうな、レーザー治療をする耳鼻咽喉科を受診させた。
今までの経緯を説明するのが面倒だと息子が言うので、
私も医師とクリニック内を確認したかったために
初回だけ付き添ってみることにした。

花粉症に風邪が重なって、副鼻腔炎をおこしてる。
かなり酷い状態の様子。
「眠くなるけれど、ここまでだとこの薬を飲まないと治らない」
ということで、様々な薬を処方された。

明日から期末試験の息子。
とにかく寝てばかりいる。毎度のことだけれど、
寝ても寝ても眠いらしい。どうにもこうにも眠いらしい。
朝食を食べて寝てしまい、昼食を食べて寝てしまう。
夕飯を食べてまた寝そうになり、今はどうにか起きているけれど
集中力はゼロ。「とにかく全身がダルイ」んだそうである。

少なくとも皆、場所や環境が変わったことのストレスは、
それなりにあるんだろう。
もちろん私だって疲れている。
時々頭の中がグラッとしちゃったりするし。
寝不足がたんまりと溜まっているし。
それでも母の病院へは週に2回、行っている。

練馬を離れること、マンションを購入することを
私が事前に相談しなかったことに、母は気分を害している。
娘が自分の元を離れていくことに淋しさを、
そして娘が離れていくということはすなわち、自分がもう二度と
練馬の自宅に戻れないという意味なのではないかと、
私の転居に、母は複雑な思いを抱いているに違いないのだ。

このところの母は、特にお天気によって気分が変化するようだ。
天気が悪いと、なんとなく暗い。
私も転居前からバタバタしていたので、以前よりも少し早めに、
病院を去ることが多かった。
なんとなく、母と私の間に、薄い壁ができているような気がする。

母は遠い目をして、一点を見つめていることが多い。
その目に何が映っているのか、私にはわからない。

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気持ちの良いこと悪いこと

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一昨日オオゼキの鮮魚売り場で、
またもこっそり盗撮してきた。

口を大きく開けて横たわる魚。
オオゼキでは直立してるんだけど。

この様は、母の病室にいらっしゃる
隣のお婆さんに、よく似ている。
まあ、鮮度は違うけれど。

顎関節はいったいどうなってるんだ?と疑いたくなるくらい、
人間は意外なほど大きな口を開けられるものらしい。

口の開き方は、その時々によってもちろん変わる。
中くらいのときもあれば、母の幻覚のように、
本当にウサギが口から入ってしまうんじゃないかと思うくらい、
大きく開いていることもある。

枕元のテレビはスタッフがつけてくれる。そしてイヤホンを
耳に入れられたまま、隣のお婆さんは口を魚のように大きく開いて、
テレビに背を向けて眠っている(のだろう)。

お婆さんの耳には何が届いているのか、響いているのか、
お婆さんの眼には何が映っているのか、私にはわからない。
それでもお風呂から戻ってきたお婆さんの顔にスタッフは鏡を向け、
「ほうら、きれいになったね。さっぱりしましたねぇ」と力強く声をかける。

私には分からなくても、長いこと介護をしているスタッフには、
お婆さんの僅かな快の反応を、きちんと読み取ることができるんだと思う。
素晴らしいことだと思う。

母はどんどん認知症が進行しているみたいだ。
それは担当医からも宣告されていることだし、
当然の成り行きだと思っている。
ほんの少しでも進行を遅らせるために、あらゆる手を尽くしている方も
いらっしゃることは知っているのだが…。

母は昨日どうしても、「テレビ」という言葉が思い出せなかった。
「その中に洗濯物と人形が入ってるでしょ」と言う。
「(テレビの)蓋を引き出してごらん」と言う。「中に電気がついてるでしょ」

母は夜中に何度もナースコールをして、スタッフを困らせているようだ。
「私のパンティ、脱がせた?」と訊かれて、若い男性スタッフは焦ったらしい。
「だって私、パンティ履いてないでしょ?」
「履いてますよ。これはパンティじゃなくて、パジャマのズボン!」

などという会話が夜中に延々と繰り広げられているらしい。
母の身体感覚はだいぶ狂ってきているので、履いているとか着ているとか、
どれくらい着ているとかが、時々分からなくなるのだ。

そして不思議なのは、こういった会話の一部始終を、
ことごとく母が憶えていて、私に話して聞かせる能力があるということだ。
話しながら母は顔をくしゃくしゃにして笑う。

「パンティには右と左がありますでしょ?」
「ありますよ。でも、これはパジャマのズボン!
こっちが右でこっちが左!さあ、もう寝る!」

だなんて、忙しいスタッフを困らせていることを想像すると、
私も母に合わせて大笑いしてしまう。
まったく他人事だと思ってか、薄情な娘だと思う。
でも、深刻になったところで、どうにもならないではないか?

母には「どうしても隣に部屋があるのよ」と、病室ではなく、
何か自分が所有している部屋があるという感覚がどうにも抑えられない。

「おかしいなあ…。隣の部屋にある金魚鉢を、
どうしてもアンタに見てほしかったんだけどなあ…」と母は残念がる。

金魚鉢の中には蛇の抜け殻と、あともうひとつ、何かが入っているらしい。

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母の脳

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先週から母のいる病院に、お雛様が飾られている。
近くで見るとそれほど上等ではなさそうで、
五人囃子とか結構気持ち悪いことになっている。

最近の母は相変わらず。
冴え渡った脳とこんがらがった脳のごった煮みたいな。

天井の隙間に見える頭蓋骨にネズミが群がって
齧りついていたり、隣のお婆さんの口いっぱいに、
ウサギが入っていたりする。

キライなスタッフは自分に酷い言葉を浴びせるというし、
向かいのお婆さんは夜中に、ベッドヘッドの隙間に頭を挟まれて
顔が変色してしまっているので母が慌ててナースコールをしたら、
キライな男性スタッフが良く見もしないで「大丈夫」だと言う、
そのことが腹立たしいという。

今日は母の好きな酒まんじゅうを持っていったら、
喜んで頬張る。餡子がたくさん入っているため重たくて手が疲れるので
半分に割ってくれという。
「ウマイねっ!ウマイッ!!」と眉根を寄せて力強く呟く母を見ていると、
真面目なんだかふざけているんだか、時々本当に分からなくなる。
江戸っ子の母は昔から家の中では、時々あまり上品でない言葉を使う。

私はとりあえず、母がおどけているのだと思うことにしているので、
そんな母のコミカルな様子を見て大笑いをしている。
娘が楽しそうなら、母も楽しいだろうと思う。

母は昨日の夜中、犬と猫が病室にいるのを見た。
知らないふりをして黙って紙袋を持って廊下まで行き、扉から紙袋を
放り投げたのだという。

「紙袋の中に何が入ってたのよ?」と私が訊くと、
母は可笑しそうに、「犬と猫よ」と言う。
そうして顔をくしゃくしゃにしながら、
「でもヘンよね。廊下の扉なんて夜中に開くわけないしね」と言う。
「そうよ。お母さん、歩いていったわけ?」

夜間せん妄が怖いのは、そうやってワケがわからなくなって、
歩くどころか立つことすらできない母が、降りようとして
ベッドの柵の隙間から身体を滑らせる可能性があることだ。

混沌とした母の脳の一部分はしかし、驚くほど正確に機能している。
今週は何曜日に誰が来るかとか、長女が言った言葉、
次女との会話、スタッフの名前や家族構成などなど、
呆れるほどにきっちりと記憶されている。

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節分に想う

節分商戦。といっても、たいした売り上げではないだろう。
2月はヴァレンタインの方がメインだからね。

でも、節分の日っていえば、昔は豆まきだったでしょ。
少なくとも関東では、恵方巻きを食すなんて文化はなかったわけで。
だけどもここ数年、スーパーなんかが必死に恵方巻きとかいって、
たとえばオオゼキあたりでも、お惣菜コーナーに太巻きをたくさん並べてみたり、
店内アナウンスで恵方巻きについての解説を流してみたり、
ふと生菓子の辺りを見ると、恵方ロールとかいって、
ごっつく太いチョコのロールケーキが並んでいたり、
ほんとにすっかり定着してしまったようだ。

考えてみれば、大豆に鬼のお面をくっつけてみただけの豆まきグッズよりも、
恵方巻き云々の商品のほうが値が高いぶん、儲け幅も大きいんだろう。
だからきっと豆の立場が弱くって、だから私は今年、豆を買いそびれたのだ。
きっとそうだ。

「今年は豆まきしないんだね?」と夕飯が終わった後に息子に訊かれ、
あら!と気づいた。
そうか、毎年我が家では、結構律儀に豆をまいていたんだっけ。
「もう引越すからいいんだね」と言われ、う~ん…それもそうかなと思うことにした。

そういえば去年の今日はまだ、マンションの出入り口に私と一緒に母が立って、
息子が豆まきをする馬鹿デカイ声に大笑いしたんだっけ。
まさか一年後に、こんなことになっていようとは、ほんとに夢にも思わなかったな。

息子は今、学校が中学受験の真っ最中なので、
今週は金曜日までずっとお休み。
昨日はヒマな息子を連れて、母の病院へ行った。

相変わらず、向かいのお婆さんの枕元に、真っ白のテリア犬がはべっていたり、
隣のお婆さんの首に、蛇が巻き付いて舌で舐めていたり、
斜め向かいのおばさんの横の棚に置いてある人形が
「昨日はよく喋ったのよ。看護婦さんも『今日はよく喋るわ』って言ってたわ」
なんてふうだったり、する。

それでも息子には
「お婆ちゃんが生きているうちに、何でも言っておくんだよ」なんて、
いくらか涙目で語る。
「この子には彼女、できるかね」などと心配する。
それから、息子の顔を見て、
「誰かに似てる。誰か…女優に…」とか言う。へ?女優?

帰り際に息子に手を差し伸べ、しっかりと握手を交わす。
手を離し、「男らしい手になった」と言い、
「いい男になるんだよ」と、息子を激励する。

中野の病院にいた時みたいな、感動的なシーンとはちょっとだけ趣きが違う。
滑稽ではないし、ユーモラスというのでもない。
向こう岸からフワフワと雲に乗って降りてきた人の
言葉を夢の中で聞いているような、なんとなく、そんな感じがする。

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幻覚の品格?

外は雨が強く降っている。

私の仕事部屋は明日で一時閉鎖。本来の機能を停止する。
そしてそこは暫し、荷物置き場と化すのだ。

自宅の転居だけでなく、仕事部屋のほうの処理もあるので、
普通の引越しの1.2倍くらい面倒だったりする。
ま、たいしたことないか。
少なくとも前回の引越しよりはラクだと思う。

明日は転居先のマンションの内覧会っていうやつで、
娘も同行するという。
彼女の鋭い観察力で、細かな指摘をしてもらおうじゃないの。

今日は大雨の中、母の病院へ。
母は眼をパッチリと開いて、窓の方をじっと見つめている。
幻覚を見ているというより今日は、
ただぼんやりとしているように映る。

火曜日と金曜日は入浴日。
「今日はまだお風呂じゃないのね」と言うと、
「私は昨日入ったから…」と言う。
時々排泄の具合で身体を汚してしまい急遽入浴することがあるので、
またそんなふうだったのかと思ったら、まったくの出鱈目だった。

いつもよりも少し遅れてお風呂の順番が回ってくると、
母は眼を大きく見開いて
「私もお風呂ですか?」と看護師に訊く。
「次にお迎えにあがりますよ。待っててくださいね」と言われると、
母は驚いて眼を丸くする。
時間の感覚が、かなりおかしくなっているのだ。

「今日は何も見えないの?」と私が訊くと、
母は天井のほうを見つめ、
「今日もリスがスタンダップしてるわよ」と言う。
最近「スタンダップしたリス」がお気に入りだ。

「バカみたい。頭をおかっぱにして」と可笑しそうに笑うので、
「…リスが?」と訊ねると、母は頷く。

「立ちションベンしてるわ」と苦笑するので、
「…リスが?」と訊ねると、愉快そうに笑って頷く。

先日姉が行ったときには、パンツを履いているリスと
パンツを下ろしているリスがいたとかで…。

あまりえげつない幻覚を語り始めると、
娘としても、ちょっとせつない。

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食べて出して、見えないものを見ること

母の興味は、食べること。
そして、排泄。
人間のもうひとつの三大欲求である睡眠に関しては、
母はちょっと遠いところにいる。

寝ることに執着するより今は、
自分だけに見える世界に没頭しているようだ。

ネズミと猫と犬とリスと蛇。
そして新たに登場する、不思議な生き物。
顔が鶯色だったり頭に白いリボンを巻いていたりする新入りに、
「なかなかいいヤツ」とキャラを与えたりしている。

私が傍にいても、母はちょっと遠い眼をしていて、
部屋の正面やら隅っこやらをじっと見つめている。
時々眼で何かを追いかけていたりする。

自分の目の前で繰り広げられる動物たちの不思議な世界に、
母は今夢中になっているようだ。

「可愛い犬ねぇ…、白と黒の」と、とても穏やかな顔で見つめる。
なんだか、少しだけ羨ましいような気もする。

そして母が夢中になっているのは排便。
「ゴールドフィンガーよ!」と、母お気に入りの
摘便の名手である看護師さんがいる。反対に、
「あの人は下手!指が太くて痛いのよ」という人もいる。

母はその日摘便によって、どんなふうに排泄が為されたか、
嬉しそうに話してくれる。
実に汚い話だが、まるで美味しいご馳走を食べた時みたいに、
楽しい映画を観た時みたいに、幸せそうに話してくれる。

食欲は相変わらず。
「何も食べてないのよ~」と言うので、
「お昼ご飯、食べたでしょ?」と言うと、「ヘンなラーメンだったのよぉ」と言う。
食べた気がしないらしい。それに麺類だってほとんど刻み食なので、
実際何を食べてるのかわからないような物に違いはないのだが。

今日はたまたま往きのバスの中で叔母に遭遇。
叔母が持ってきたおにぎりとスウィートポテトを母は喜んで食べる。
満腹だったはずが、20分後くらいには
「お腹空いちゃった」と言う。
それで私が持参した栗蒸し羊羹を見せると喜んで食べる。
コンビニで買ったヤマザキの安物だったけど、
「美味しいね、コレ、どこの?」と訊く。

最近母は何を食べても、「美味しい」と言う。
幸せなことだと思う。

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特殊能力

母の幻覚はどんどんエスカレートしていく。

向かいのお婆さんの顔は血で真っ赤。
だってネズミがお婆さんの顔の上にのっかっていて、
目の中に手を突っ込んだりするからだ。

そしてその隣の女性(意外とお若いが、一日中口を開けて微動だにしない方)の
ベッドサイドの仏壇(実際は収納棚だが、仏壇として使っているのだと母は言う)
の前に、女性そっくりにつくった人形の首が昨晩は置かれてあった。
人形の顔にはきっちりと化粧をほどこしてあって、にこっと笑っているという。
「見た瞬間私、ゾッとしちゃった。いくらなんでも趣味悪いわよね」と母は言う。
「でもね、今朝見たら消えてるのよ。不思議ねえ…」

そう言いながら、「ああ!気持ち悪い!もうやめよう、こんなことばっか考えるのは」
と、僅かに身体を震わせる。気の毒だなと思う。

白い猫は入ってくるし、天井にいるピンク色のネズミが白いネズミを
飲み込む瞬間を目の当たりにしちゃうし、
部屋の隅のほうには、白と黒の犬が3匹いるらしい。
「白と黒のパンダちゃんのぬいぐるみなら置いてあるよ」と私が言うと、
「はじめはパンダみたいに丸い顔だったのよ。
いつのまにか犬の顔が長く伸びちゃって…」と言い出す。

食事の時間に車椅子に乗せてもらって食堂に向う際、
廊下の突き当たりの大きな窓の外に、男が二人立っているのだという。
「日が暮れて真っ暗なのに。あの時間にあんなところに
人が出られるわけないじゃないの。どういうわけなんだろう?」
「やだあ、霊が見えるんじゃないの?」などと適当なことを言ってみると、
「昔はこのあたり、戦場(小手指原古戦場)だったからね」と、確かなことを言う。

母はまた、ネズミが病室内の天井に沢山巣食っていることを
病院側に知らせるべきか迷っているようだ。
「知っているのに知らないふりをするのも…」と、自分が重要な秘密を握っていることを
苦しく思っているようでもある。
それでも他人には見えないらしいことも解ってはいる。
解っているけれど、現実にいるということを否定することは無理なようだ。

「アンタには見えないの?見ようとしてないからよ。
はじめから見る気がないからよ」
などと断言されてしまうと、ほんの一瞬、そうかもしれないなどと思ったりする。

「いるはずがない」と思っていると見えないけれど、
心がまっさらになれば、案外見えないものが見えてきたり…
なんてこと、あったりして。

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蛇の憂鬱

「リスがスタンダップ(stand up)!」と母がのたもうたのは一昨日のこと。

今日は蛇である。
蛇は向かいのベッドのお婆さんの頭の上で、トグロを巻いている。
「ああん、コッチに来たらどうしよう…」と母は怯える。

「ほら!見てごらん。ネズミが煎餅の袋持って歩いてる」
と、母は天井を見つめる。それってちょっと可愛いな。

母の口からは、不思議と英語がよく出てくる。
「リスがスタンダップしてたんだって?」と訊くと、
「そうよ、今だってスタンダップしてソコにいるわ」と言う。
「よくそんなに英語が出てくるわね」と私が言うと、
「自然と口から出てくるのよ」と応える。

以前はベッドの「リクライニング」という言葉がどうしても思い出せずに、
「リターンマッチ!…じゃなくって、なんだっけ?リターンマッチ?」
先日は「ナイスゴール」だったし。

母はいつでも、私が病室に着くなり「お腹空いちゃったぁ」と言う。
まるで丸一日、何も与えられてないみたいな言い方をする。
娘たちが持っていくおやつを心待ちにしているのだ。

「今日はまたコレ買って来ちゃった」と、母の大好きな
抹茶クリームどら焼きを見せると、「上出来じゃない!」と喜ぶ。
「グッジョブ!」とか言ってほしかったな。

看護師さんが他の人の用で部屋に入ってくると、
母は手にしたどら焼きを、サッと布団の中に隠す。
おやつをやたらに食べていることに、後ろめたさがあるのだ。
いつまでも隠しているので、布団カバーに抹茶クリームが付着する。

部屋の空気が乾燥しているせいもあるのか、
向かいのお婆さんはこの頃よく咳き込んでいる。
「蛇が喉に入ったんだわ。どうしよう?私のせいかしら?」と
母の眉間が不安げに曇る。

そんなことはないと母をなだめ、病室を去った。

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鼠と猫とナースコール

母はほぼ一日中、幻覚を見ているようだ。
私がベッドサイドにいるときでも、目はじっと遠くの壁や天井を見つめていて、
ネズミの行方を気にしている。

「白いハツカネズミよ。ハムスターもいるわ」
母いわく、向かいのベッドのお婆さんの顔にベッタリと、
白いネズミが張り付いてしまうのだという。
「ナースコールしようかと思ったけど、どうせまた頭がおかしいって
思われるだけだから、我慢して布団かぶって寝たの」

ネズミは主に天井から這い出てくる。
「そこの穴から出てくるのよ」
母は自分がいくら訴えても、「そんなものはいない」と頭から否定して
とりあおうとしない病院側の姿勢に疑問を抱く。

「ほら!見えるでしょ!? ネズミがズラッと並んで、下半身を出してる」
「ネズミの下半身ってどこからのことよ?」と訊くと、
「オッパイから下よ」と、母はきっぱり答える。

今日は私が病室に行くなり、「猫よ!白い猫がいるわ。尻尾の長い…」

母の目は真剣で、傍で動物が動いている様を目で追っているのがよくわかる。
誰がどう否定しようが、本当に母の目には鼠と猫が動き回っているのだ。
そのリアリティったら、本人しか分かり得ないことだ。

母は夜中に幾度も、ナースコールをすることがあるらしい。
自分の好きなスタッフと話すことを目的にナースコールをして、
別のスタッフが「どうしました?」と訊きにやってくると、
「どうしてあなたに、プライベートなことを話さなくちゃいけないの?」などと
あしらったりするようである。とんでもない話だ。

ナースコールはしっかりと、ベッドサイドのバーにひと結びして括りつけてある。
私が帰るときには、ナースコールの在り処を確認する。
「ナースコール」という言葉が、時にいろんなふうに変化する。

この間姉が行ったときには、「親の紐よ、親の紐!親の紐と子の紐!」
と、ワケのわからないことを言ったそうな。
そして一昨日私には「アレはどこ?ナイスゴール!」と言うので、
「ナイスゴールゥ~?」と笑って訊き返した。
ベッドサイドにかかっている、針金で作ったハンガーにスーパーの袋をひっかけた
簡易ゴミ箱のことかと思い訊いてみると、
「違うわよ!ナイスゴール!!」と母はイラつく。

ハッと気づき、「ナースコールね!?」と、私は大笑いしてしまった。
「親の紐?」と重ねて訊くと、「そうよ!親の紐」と言いながら、
ナースコールのコードを手で撫でて確認している。

なんだかよくわからないけれど、母の中ではきちんと筋が通っているに違いない。

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今日この頃

寒いったらありゃしない。
練馬は寒いし、小手指はもっと寒い。
吹き荒ぶ風に身を硬くしてこらえていたら、
なんだか身体のあちこちが痛むではないか。

だから今日は腰に湿布、何故か痛い左足首にも湿布で、
病院へ行く。

昨日、入院以来始めて、母の病院へ誰も見舞いに行かなかった。
ちゃんとナースステーションに電話をつなげてもらって、
その旨伝えておいたけれど。
連絡がないままだと母は心配して、まだかまだかと待ち続けてしまうから。

そのあたりの経緯はとっても複雑で、
そのあたりの面倒臭さでもってここ何日か、ブログを綴る気になれなかった。
病を抱えた姉(次女)がバランスを崩し、かなりマズイことになっていたから。
姉の動揺を受け止め、母をフォローし、いろいろ案じた末、
昨日は病院を行くことをパスした。
そして今日、母の元を訪れた。

母はやっぱり次女のことを心配していて、「どうかしたかと思った…」と言う。
一息ついてから、母に穏やかに事情を説明した。
私の話を聞いているときの母はものすごく冷静で正常で、
まったくそこいらへんの健常なオバサンよりもよほど頭が良くてしっかりとしている。
すべてに的を射たことをきちんと話す。
今後しばらくの対策を話し合い、了解してもらい、その話は終了した。

「昨日はお腹空いたでしょ?」と訊くと、
「もう、空いたなんてもんじゃなかったわよ」と母が言う。
「グーグー鳴っちゃったわよ」

今日の母は抹茶クリームどらやき三分の二(三分の一は私に勧めた)、
いよかん7房、おせんべ細いの1個と梅の香巻き1個、チョコ一口サイズ1枚、
5口くらいで食べきる練り羊羹1個、コーヒー牛乳1本。


私はこのところ、引越しに向けて少しずつ動き始めている。
一昨日は、不動産関連のインテリア会社の紹介で予約を取り、
大塚家具の有明ショールームへ。
歩きすぎたのにその足でまた、青山の方の照明のショールームへ。
しあさっては引越しの見積もりをしに、引越し会社が午前と午後にやってくる。

あさっては娘の成人式だ。
今日母が「私、あの白いフワフワの安っぽいショールが大嫌い!」と言い、
黒の毛皮を「若い人がやっても、案外素敵よ」と勧めてきた。
母の言うとおり、さっき母の自宅クローゼットの中を探ったら、
あったあった、ゴージャスな黒の毛皮のショール!
裾に尻尾のような棒状のものがいくつもぶら下がっているみょうちくりんなもの。
さっきバイトから帰宅した娘に見せたら、
ひとかけらのためらいもなく、却下された。

母のクローゼットの中には、溜息の出るような素敵な服がゴッチャリ。
毛皮のコートやら華麗なスーツやら、たくさんある。
母が全盛期だった、13号サイズのものばかりだ。
チビの娘たちは誰一人として着ることができない。
コート類のジャストサイズが5号の私には、到底無理なお話。

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ワケのわからない人たち

家にいる人=息子
家にいない人=娘と私

元旦から今日まで、出かけてばかりの私だった。
元旦以外の日は、息子をほとんど放りっぱなし状態。

それでも未だに過保護気味な私は、冷蔵庫にアレがある、
冷凍庫にはアレもある等と息子にメモを残していったりする。

簡単な昼食(焼きそばとかチャーハンとか)を用意していくこともあるが、
最近の息子は意外な時間に起床したりするので(例えば夕方5時半起床とか)
これはもう、つきあう必要はないと、私も気にしないようにしているのだ。

起きろだ食べろだと子供をコントロールしようと必死になると、
思うように動かないことに腹が立つ。
腹を立てたりイライラするよりは、彼に任せてしまったほうがいい。
自分のおバカな行動のツケは自分ではらっておくれということだ。
だから最近の息子は、ヘンな時間に起きてヘンな時間に寝ているようだ。

私は案外と規則正しい生活をしているので、夕飯だけは
ほぼ同じ時間にきちんと作る。最低限の枠さえしっかり保っていれば、
どうにかなると思っている。


母はこのところまた妄想爆裂である。
部屋を訪れた私に向かって「よく来たね!よくココがわかったね!」
と驚嘆の声を上げる。
「また倒れてしまってこの病院に入院させられることになった、
この部屋にいるっていうことがどうして分かったのか?」ということらしい。

昨日はデニーズかどこかの地下だとかに入れられてしまって家に帰れないだとか
いろんなことを言っていたらしく、夜中にも何度もナースコールをして
迷惑をかけている様子だ。
かと思うと、まったく普通に戻って、正常な会話もする。
「最近またこんなふうなのが始まったって、F先生に話したほうがいいかね?」
などと、自分を客観視することもできる。
レビー小体病というのは本当に不思議な病気だと思う。

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今日は母がお気に入りの、
若い男性介護士Sさんの誕生日だとかで。
母は日付を一日間違えていた。
母が言うので、私もすっかり
今日が7日と勘違いしてしまった。

母はペンを持って、花を描き出す。
「誕生日だから、Sくんに花束でも…」と言う。
なんとなく、その気持ちが嬉しくて、
私はほんの一瞬泣きそうになる。

花の好きな母は、長い時間ペンを走らせる。
なかなか描写が細かくて驚く。
素晴らしい集中力だ。

「ステキじゃない!フラワーアレンジメントね。花カゴなんだ」
と私が言うと、「そうよ!」と、母は自慢げに答える。

「これ、Sくんに今度見せてあげなよ」と言うと、
「もったいない。Sくんに花なんかあげないわよ。
花の価値もわかりゃしないんだから!」と冷たく言い放つ。

なんか、ワケわかんないなあ。


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美しい年始

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1月2日朝の空。
空が青い。

昨日も今日も、いいお天気。
今年はいい一年になるといいな。
去年も決して悪くはなかったけれど。

昨日の元旦は、母の病院へ。
あれほど元旦に行くと、おせちを持っていくと告げていたのに、
私が子供達と一緒に病室に入ると、驚嘆の声を上げる。
「明日じゃなかったの!?」と狂喜する。

このところ母の痴呆が進んでいて、なかなか面白いことになっている。
母は自分の好きな人に対してはやたらひょうきんに明るく振舞い、
嫌いな人に対しては、とても冷淡に振舞うようになった。
この頃好き嫌いがはっきりしている。

私達の姿を見て、母はおどけて盆踊りのように両手をくねらせる。
そして「バンザーイ、バンザーイ!!」と横たわったまま両腕を上げる。
お茶目と痴呆の境界線あたりだ。

昨日も今日も、夕焼けが綺麗だった。
このところ毎日、空が綺麗でたまらない。

昨日は病棟の廊下から、秩父の山並みとともに
富士山のシルエットをくっきりと見た。
今日は電車の中から、夕暮れに浮かぶ富士山を見た。

ああ、今年も一所懸命生きます。
一所懸命、生きたいと思います。

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健在

今週一週間は、下の姉が4日、私が3日、
母の病院を訪れることになった。
上の姉がクリスマス週間のためにケーキ作りにおおわらわで、
どうにも身動きとれなかったためだ。

一昨日のクリスマスの日には、病院の1階ホールで、
クリスマスコンサートが開かれた。
母は前から楽しみにしていて、クリスマスの日のために私は、
母のリクエストどおり母の自宅チェストの引きだしから、
黒地にゴールドビーズの刺繍がたくさんほどこされた、
派手なカーディガンを持ち出して病室に届けてあった。

私が病室に到着すると、母はすでに口紅まで塗っていて
スタンバイしていた。
「早く着替えなくちゃ」と言う。全部着替えるのだと言う母に、
一階は寒いからといってどうにかなだめ、パジャマの上から
カーディガンを羽織り、下半身にはやはりパジャマの上から
スエットのおしゃれなパンツを履かせた。

ホールには大勢の患者さんが全員車椅子で勢揃いしていた。
ガチャピンの着ぐるみを着た女性がダラ~リとした口調で進行役を務めた。
「なんでカエルの格好なんかしてるのよ?」と、母はガチャピンを認知できない。
ほとんどの患者さんがそうだと思う。「ガチャピン」なんて知らないよ。

「とりあえず現役で(でもボランティアで)歌うたってます」って感じの、
ドレスにボレロを羽織った30歳代の女性と、
「音大の声楽科卒でとりあえず今でも歌は上手いです」って感じの
50歳代の普段着の女性が歌を唄い、それとやっぱり50代かなあ、
「昔は自宅でピアノ教えてましたけど?」っていうくらいの思い切り普段着で
生活感溢れた女性がピアノを担当。

高校時代ずっとコーラス部で、入院するちょっと前までは
10年間くらいカルチャースクールのコーラスに通っていた母は
目の前で披露される歌とピアノのレベルを鼻で笑う。
「やっぱりうちの(コーラスの)先生は格が違うわ。声量が比べ物にならない」とか
「ピアノ、上手くないわね」とか言う。

イタリア語の歌なんかを次々披露されても、
はっきりいってお年寄りは上の空だ。ただぼーっとしていて、
まったく聞いてない人も大勢いる。
日本語の歌になると、やはり反応が大きく変わる。

ガチャピンが「やりたい人いるぅ~?」と言って鈴などを回す。
「お母さんもやらない?」と訊いてみたけど、母は軽く無視をする。
数人の有志のお年寄りが、ガチャピンがリコーダーで吹く「ジングルベル」に合わせて、
嬉しそうに鈴を振る。無邪気に、実に楽しげに鈴を振ってニコニコしている。
鈴を持たない人も、楽しそうに指を振っていたり、中には両手が宙を泳ぎ、
鍵盤を弾いているような人もいる。エアーピアノだ。
母の指も膝の上で、ほんの微かに動いているのを見つけて、
ちょっとだけ私はホッとする。

ガチャピンが5曲もリコーダーを吹き、一緒に大声で歌い出すお年寄りもいる。
そうこうしているうちに母の表情が曇っていき、
「頭がボーっとしてきたから部屋に戻ろう」と言い出す。

6階の病棟に戻り、食堂でクリスマスの特別おやつ、
ミニケーキの盛り合わせと薄いコーヒーをいただく。
「アンタも食べなよ」と言いながら、母はペロッとたいらげる。

病室に戻ると母は、私の帰宅時間をしきりに気にする。
「あんなもん見ちゃったから、時間がなくなっちゃった」と後悔する。
母が期待していたレベルには、程遠いコンサートだったようだ。

「あんなもん」のために素敵なカーディガンを用意した私は
「もう、これ持って帰ろうか?」と訊く。
「置いておけばいいわよ!」と、母は綺麗な服を手元に置きたがる。

お正月用には、既に白いカーディガンも持ってきてある。
これも母のリクエストどおり。「クローゼットの中に吊るしてあるの。
白地に、花の刺繍がしてあるアンサンブルよ」等と、
母は正確にカーディガンの詳細を語る。
「お正月からパジャマ着てる馬鹿がどこにいるのよ!?」
というのが、母の言い分である。

憎まれ口と食欲は、健在である。

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瞬間移動

このところ母は、幻覚に振り回されている。
どこからどこまでが正常で、どこからが幻覚なのか、
いわゆるボケが進行しているのか、あるいはこれもまた
薬を服用すれば治まってしまうものなのか、わからない。

今日の母は暗い顔をしていて、表情もちょっとあぶなげ。
自分で何かを話しかけていても、途中で「わかんないよ~」と
放り投げてしまう。なんだかいろんなことがぼんやりとしているのだろう。
だけどその一方で、やたらに正確に記憶していることや、
きちんと判断していることもたくさんある。

隣のお婆さんの、見ていないのにただついているだけのテレビ画面から、
イル・ディーヴォの映像が流れていたので、
「お母さん!イル・ディーヴォやってるよ!」と、急いでテレビをつけた。
母は少し前に、人から「テレビ見たほうが刺激になるわよ」と勧められ、
病院からテレビを借りたのだ。それなのに全く見ようとしない。

でも母の大好きなイル・ディーヴォだからね。
つけた途端に歌は終わってしまい、トークに入る。
「徹子の部屋」のゲストだったということがわかる。

「いい男…!」と、スイス出身ウルス・ブーラーというメンバーを見て
母は呟く。う~ん…私の好みじゃないなあ。
「どうしてこんなにみんな、いい男なのかしら」と、母は小さな声で言う。
今日の母は、とりわけ声が小さい。

身体をいくらか横向きに固定させ、上手く回らない首を傾けながら
懸命にテレビの画面を見つめる母。
その表情が、ちょっと怖い。

「黄色の着物が湿っちゃって…」と母は言う。
「あら、オレンジの着物じゃなかった?」と訊くと、黙っている。
「黄色の着物があることを、どうにかして証明したいのよ」と
母は一生懸命に語る。
自分にはありありと見えるものが、他の人には見えないという、
その悔しさって、どういうものだろう。

「あの男の人、憎らしいのよ」と、ある男性介護士のことを母は話す。
母が何かを病室内で見たので、ナースコールをしたのだという。
するとその男性は母に向って(たぶん)おどけて指を一本立て、
「ちっちっち!ここは病院。そんなものは、いるはずな~い」と
笑ったのだという。

それを聞いて私も笑ったけれど、母にとっては侮辱なのだ。
そこにいちゃいけないものやまずいものを通報したのに、
「いるわけがない」と決め付けられてはたまらない。
そうやって少しずつ母は傷ついていき、人間不信になる。
以前もそうだった。

「でもね。おかしいのよ。いろんなところに行くでしょう?
でもふっと見ると、いつのまにかこの部屋に戻ってきてるのよ。
周りを見ても、ココと同じ景色なの」
と言いながら、母はいかにも不思議そうに、目をキョロキョロさせて、
病室の天井を見回す。

母の意識は飛んで、幻覚や妄想や夢や、混沌とした中で、
いろんな場所を彷徨っているらしい。
「それって、いいじゃない?すごく羨ましい」と私が言う。
だって本当にそう思う。
面白くもない病室に、動けない身体で横たわっているだけよりも、
色んな場所や空間に移動できたらどんなに面白いだろう。

「瞬間移動?」と訊くと、「そうよ、瞬間移動するの」と母が言う。
「地獄みたいに怖いところに行くんじゃイヤだけど、
そうじゃないなら面白いじゃない。いいわねえ~」と私が言うと、
母は曖昧な顔をして頷く。

今日は、母の眉間が曇っている時間が長い。
「足首が痛い…」
母はずっと、足の痛みを訴える。関節の痛み。疼き。
そして何故か、時々強い痒みも。

布団の下の母の両足は、今日もおかしな格好で固まっている。
二本の枯れ枝は栄養が行き渡り、いくらか太い枝になった。

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画伯 ペンを持つ

Shoujyo

少し前から、姉は母に絵を描かせるようにしている。
リハビリのひとつとして、
ペンを握って手を動かすのは良いことだろうと思う。

私が小さい頃、母はよく、
女の子の絵を描いてくれた。今でもやっぱり、
きっと絵を描くのは嫌いじゃないのだろう。

これは花かごを持った女の子の絵。

Acchi

そしてこれは今日描いてもらった、
私の小さい頃。
この絵のタイトルは「アッチの小さい頃」。
私は一時期両親から
「アッチ」と呼ばれていたっけ。

母は洋服が好きなので、
「ここにお花の刺繍をしたの」と
説明したり、
「赤い毛糸のスカート」などと
注釈を書き込んだりしている。
パフスリーブの半袖ブラウスのギャザーにも
結構なこだわりを見せる。

「似てないなあ。こんなに目が釣りあがってないのかな?」
等と言いながら、何度も目元に線を重ねていく。
目元がどうのこうのいう以前に、
私子供時代はこんなに馬面じゃありませんでしたけど…。

Otouchan

私を描き終えた後、「もう一枚」と呟く母。
ノートのページをめくって手渡すと、
母はついついと手を動かす。
頭部と輪郭、耳の形を見ただけで、
それがお爺ちゃん、母の父親であることに
すぐに気づいた。似ているのだ。

「小さい頃、よく似顔絵を描いたの」というだけあって、
自分の父親の顔がいちばん上手だ。
「何言っても、怒らなかったな」と、母は優しかった父親を回想する。

ほんとうに、お爺ちゃんは優しい人だった。
呆れるくらいに無口で、頑固で、でもとっても優しい人だった。

絵は、母が子供時代のお爺ちゃんの顔にそっくりだと思った。


若いころのおとうちゃん

母はそう書いた。
「おとうちゃん」という言葉に、なんだか胸がギュッとなった。

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病棟の現実

母はひと月半くらい、抑肝散を服用していない。
今の病院では抑肝散を扱っておらず、担当医師はその存在すら知らなかった。
けれど抑肝散は量も多く大きな顆粒なので、服用には結構なストレスが伴う。
だから飲まなきゃ飲まないでもいいのかなと、私達も医師に対して
特に要請するようなことはしなかった。
ちょっとした幻覚くらい、あったらあったで良いのかな?なんて思ったりもした。

最近になってまた、母に様々な幻覚や妄想が出現し始めた。
このところ一日おきくらいに飛び出すようなのが「オレンジの着物」だ。

母が使用している薄っぺらの羽毛布団のカバーの中に、
オレンジ色の着物が入っていて、それが邪魔で仕方ないとこぼすのだ。
少し前、それは布団の外のベッドサイドにあって邪魔だと言ってたのに、
今日はカバーの中にあると言い張る。

ファスナーを開けて中を見せ、「ないわよ」と言っても、
「そんなところだけ見てちゃ見えないわよ」と言う。
母の目に届くように、内側が全部見えるようにすると、
「おかしいわねえ…」と不満そうだ。
「おかしいねえ」と私も言っておく。
「夜になると出てくるのよ」と母は言う。

母は病院からレンタルされている、全員おそろいのパジャマが今、
時々気に入らなくてたまらなくなる。
中に着けている下着(これもおそろいのレンタル)も、イヤでたまらなくなる。
「お正月くらいは、アンタの買ってきた花柄の綺麗なパジャマを着たい」と言う。

母の身体感覚は時々おかしくなるので、
今日はオムツの上に「何枚履いてるの?」と訊くので、
「パジャマのズボン1枚よ」と教える。
「下着も、3枚くらい着てるでしょ?」と言うので、
「3枚も着てたら汗だくでしょ?1枚しか着てないわよ」と私が笑いながら
応えると、母も顔をくしゃくしゃにして笑う。

昨日だか師長さんに、自分がパジャマを無理矢理はいで
ビリビリに破いてしまったことを詫びたのだと言う。
すると師長さんが「どこも破けてないから大丈夫よ」と言ったのだとのこと。
「おかしいわねえ…。そんな気がしただけかしら?」と母は訝る。
「そうよ。パジャマを破くなんて、相当スゴイ力がなきゃできないわよ」と
私が言うと、曖昧な顔で頷く。

認知症が少しずつ進行するといっても、アルツハイマーとはやはり違うのか。
母のおかしな混乱は、日によってはパタリと影を潜めて、
まるで正常な人に戻ったりもする。脳の不思議を想う。

病棟の廊下で母が入浴から戻るのを待っていると、
隣の病室の車椅子のお爺さんが、いつものように挨拶してくれる。
トイレの時に「お願いします」を連呼するお爺さんだ。

お爺さんは、「ご苦労さんです!」とはっきりと私の目を見て言う。
そして、「あなたは…私のところの人かな?」と訊くので
「いいえ」と笑顔で首を振ると、
「そう…。私の孫によく似てるからね」と、優しい顔をする。
可愛いお爺さんだ。
娘じゃなくて孫ってところがまたいいね。

今日、息子が初めて病院に同行した。彼は今週いっぱい試験休み。
中間試験の後に風邪をひき、それからあまりに酷い咳が続いていたので
ずっとお見舞いを遠慮していたのだ。
ロン毛の息子を見て「女の子かと思った」と母は言う。
息子は長いこと、母の足を揉まされる。

母を待っている間、燦燦と降りそそぐ陽射しの中で、
廊下の端っこの椅子に腰掛けて、息子はオニギリに喰らいつく。
「この病院、ボク好きだよ」と息子が言う。

病室からは「ああ~!ああ~!ああ~!」という、
ある女性患者の大きなうめ呻き声が聞こえてくる。
「この明るさと、ここにある現実とのギャップが、なんかいいよね」

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そうだね。
物事はいろんなふうに見えるよ。
今日みたいにきれいな日でも、
見る人の心の色によっては、
泣きたいほどに哀しく映るだろうよ。
この病棟の現実も、
哀しく醜く、せつなく見えることもあれば、
なんとも幸せで美しく、喜びに満ち溢れたものに映ることもあるだろう。

帰りのエレベータの中で、見舞い客のおじさんに声を掛けられた。
「ココはどれくらいですか?」と訊かれ、
「まだ、二ヶ月くらいです」と答えると、おじさんはちょっと複雑な顔をして、
「うちはもう、二年半を過ぎましたよ」と、いくらか自虐的な響きで言いながら、
自分の後ろにいる、もう一人の知らないおじさんの顔を見る。
急に声をかけられたもう一人のおじさんも、「ああ…!」と、
なんとも表しがたい声を出す。

まさかまさかの二年半なのでしょう?
いろんな意味で、大変なのでしょう?
生命力って、案外ものすごいんですよね?
おじさん、ちょっぴりヤケになってますか?

私の答えを聞いた時のおじさんの目は
「そりゃ、まだまだだね。先は長いよ」って語っていた。

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揺らぎと安定

私が持っていった大きなイチゴを、「食べたい!」と母は言う。
小さめのフォークに突き刺して持たせようとすると、母はフォークを拒む。
最近母は、自分の手で握って、物を食べるのが好きだ。

イチゴを掴むと、口いっぱいに頬張る。
「ちょっと大きすぎるわよ!」と私が止めかけるけれど、
母はちょっと可笑しそうな顔をしながら、一気にングングと口を動かす。
つづけざまに2個、おっきいイチゴを一口でたいらげる。

それから大きなフジ林檎を1切れ、「美味しい」と言って食べ、
「お風呂に入るとお腹が空くから後でまた食べよう」と言う。

入浴後、「これで最後?」と確かめながら、イチゴを頬張り、
もう一度林檎も食べる。その後虎屋の羊羹50グラムサイズを1本、
ペロリと食べ、すぐにお決まりの梅の香巻きを「せんべは2枚」と指定。
私が持参したイチゴプリンも1口だけ食す。
ほんとはもっともっと、いろんなものを食べたいんだろう。

同じ病室の、母以外の3人の方のうち、2人が胃ろうだ。
そして1人は常に口を開けて、上を向いていらっしゃる方。
どういった病気だかしらないけれど、まだずいぶんとお若い。
その方は食堂に車椅子で連れて行かれるけれど、
ただ上を向いているだけ。

スタッフが流動食を口の中にスプーンで流し込むと、
反射的に顎というか喉を動かすので、どうにか食道を通過していく、
という感じだ。時々顎が開いたままのことがあるらしく、
その時はスタッフが顎をカックンと押し上げて、嚥下を促すようだ。

だから母だけが唯一、好きなものを好きに食べることができる。
おまけに献身的な娘たちが、毎日日替わりで美味しいものを持って
はるばるやってくる。女王様に仕えるしもべが3人だ。
なんという贅沢だろう。

食欲だけは安定しているけれど、精神的には日々、揺らいでいる。
幻覚の多い日、暗い日、とてもハッピーな日、やる気を見せる日。
今日はとてもまともだったな。ずいぶん高度な会話もした。

それでも別れ際に、ベッドの上で両手を小さく振る姿が、
ものすごくピグモンに似ていた。
認知症は、ゆっくりゆっくり、でも確実に進行していくのだ。

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下りの螺旋階段

「『家に帰ったら…』って言葉がいつも喉まで出かかって、
この頃それをぐっと呑み込むのよ」

と、母が言う。
「もう、帰れないんだって思って…」

母は現実を、受け入れようとしている。

自力で排便できない母は、毎日看護師さんにガス抜きしてもらっている。
「上手い人と下手な人がいるのよ」
指の細さなんだかしなやかさなんだかちょっとした心配りなんだか
私は未体験だからわからないけれど、人によってテクニックに差があるようだ。

この頃食欲旺盛の母だから、それこそ毎日出さないと大変なことになりそう。
毎日やってもらうからこそ、以前のようにお腹も張らずに
食欲もわくのだろうと思う。

その幸せを母自身も実感しているので、
「もうここを離れることはできない」と思わざるを得ないのだろう。

「宮川のうなぎを食べに、皆を連れて行ってやりたい」
と、母は言う。
築地が本店の宮川は、母が生まれ育った場所の近くだ。

「そうねぇ。美味しいうなぎ、食べたいね」
と曖昧な言葉を返すしか、私にはできない。

今日は風が強い。
病室の天井の換気口から、ゴウゴウいう怖ろしいような風の音が
流れこんでくる。
母はその換気口をじっと眺めたまま、石のように固まっている。
今日の母は、少し暗い。

「子供の成長は螺旋階段だ」という言葉を、幼稚園の園長先生から聞いた。
真っ直ぐな階段を上るように成長するのではなく、
上がったと思ったら下がったように見え、それでも全体的に見たら、
ちゃあんと上に昇っていっているんだよ、という話だ。
だから子供がなかなか成長しないと焦ることはない。
その子なりに、ちゃんと成長しているんだよ、ということだ。

母は螺旋階段を今、ゆっくりと下っているのだなと感じる。
いいなと思うときと、ダメだなと思うとき、
いったりきたりを繰り返し、ゆっくりゆっくりと、下っていくんだな。

無理に引きとめようとは思わない。
ゆっくりと下っていくのを、私は傍で見ているよ。
一生懸命、見ているよ。

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食べるマグマ大使

今日は都合により、午前中から母の病院を訪れた。
病棟に着いた時は、ちょうど11時半からの
昼食タイムが始まるところだった。

ラジオ体操の音楽が鳴る中、数名の介護スタッフの方々も混じって、
6階の療養病棟のほとんどの患者さんが揃っている。
母も音楽に合わせて無表情に、小さく腕を回したりしている。

眼鏡をかけなくても遠くから、母の姿はすぐにわかった。
なんていったって、周りのお婆さんたちよりも抜きん出てデカイのだ。
車椅子の高さも人によって違うし、車椅子の上に
クッションを敷いていたりいなかったりでも違うのだけれど、
とにもかくにも、母は顔も身体も大きくて、
「やっぱり富士は日本一の山ね」と言いたくなるような風格がある。

ほとんどのお婆さんは小さくって背中を丸くして、
もそもそと動きながら食事をとっているけれど、
首も回らない、上半身をどうにか垂直に起こしているだけの母は、
ブキミに姿勢が良いのだ。そしてやはり自由に動かない腕を真っ直ぐに
伸ばして、スプーンでご飯やおかずをすくって口に運ぶ。

スプーンですくった瞬間から口を開けているので、
スプーンがオズオズとゆっくり口の中に入るまで、ずいぶんと長いこと
口を開けていることになる。可笑しいような哀しいような表情だ。
そして一口がやたらに大きい。

おかかに煮豆、沢庵と、母のトレイの脇にだけ、
母専用の「ご飯の友」シリーズのタッパーが並ぶ。
それはもちろん母の我儘で「あれが欲しいこれが欲しい」と
娘たちにオーダーしたものだ。
きゅうりの漬物、昆布、梅干、紅生姜、わさび漬け等々、
今までにどれだけのものを要求したかわからない。
それもあっという間になくなってしまうから驚きだ。

周りの人はみな、白いご飯やお粥を素直に食べているのに、
母だけがご飯の上に、たっぷりのおかかと沢庵の切れ端などを
のせてパクパクと食べている。贅沢な…。

無表情な母の硬い身体はロボットのようで、まるで金属性だなと思ったら、
母が急にマグマ大使に見えてきた。
「ご飯、少し増やしてもらったのよ」と、マグマ大使は言う。
今までちょっと少なかったのを、普通量に増やしてもらったのだ。
それでも食べ終わった後、「もっと食べられるわ」と大使は言う。
「柿とりんご、持って来たよ」と言うと、震えるようにして喜ぶ。

食後、歯磨きをしてる頃から、母の意識が遠のいていく。
ベッドに移動させてもらう頃には、意識消失してしまった。

食後30分ほどで、「柿とりんごを食べよう」と大使は言う。
柿二分の一個、りんご四分の一個をぺろり。
「サッパリしたものの後はコッテリしたものが食べたいわ」と言って、
キットカットチョコレートの小さい袋(2本入り)をひとつ、ぺろり。
お茶もゴクゴク。
マグマ大使はいくら食べても太らない。

若い頃、同世代の女性の平均身長よりも10センチちょっと大きかった母は、
今でいったら170センチほどなんだろうな。
やはりマグマ大使は大きいんだわ。

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病棟風景

寒いです。
寒がり冷え性の私には、今日のような冷たい雨は辛いです。
小手指のホームで電車を待っていると、吐く息が白い。
ああ、もう冬なんだわと想う。

病棟は暖かくて、母はまだ、ほとんど中身の入っていない
薄々の羽毛肌掛け一枚で、夜も寝ているという。

母の食欲は相変わらずで、病院に滞在している2時間ほどの間に、
おせんべや柿や林檎やチョコレートや大福や、いろんなものを食べる毎日。
「ソーセージが食べたい!」という母のリクエストに応えて、
先日姉が温めた状態で持参した。

「…ハム!ハムが食べたいっ!」と、今日も泣きそうに眉間を曇らせて訴える。
はいはい。次はハムですね。

今日は午後2時ごろ、「お昼ご飯、食べたっけ?」と私に訊く。
う、やっぱりそうなったか?と一瞬焦る。
そのうち「お腹空いたよ~!」と叫ぶ人になったらどうしようかと思ったり。

病棟内にはいつも、大きな声で叫び続けている人がいる。
女性も、男性も、いる。言葉を発していたり、声だけだったりする。
そして病室の中からナースコールをして、
「お願いします!お願いします!」と大きな声で呼び続けるお爺さんもいる。

このお爺さん、トイレに行きたくなると、コールをしながら
きちんと言葉に出して【お願い】するのだ。
するとナースがやってきて、車椅子でお爺さんをトイレに連れて行く。
「終わったら呼んでくださいね~」と言ってその場を離れる。

少しするとお爺さんは必ず、コールを押し続けながら
「終わりました、お願いします。終わりました、お願いします」と、
ナースが駆けつけてくれるまで、ずっと同じ声量、同じトーンで言い続けている。

「はいは~い!」とナースがトイレに迎えに行くと、今日は
「大便です。お願いします」と、きちんといつもの声で言う。
なんとも可愛くて、礼儀正しいお爺さんだ。

母の隣のベッドのお婆さんは、歯がまったくなくって入れ歯ももうしてなくて、
いつもいつも口を巨大に開けて、ただ寝ている。
痰の吸引&胃ろう。いつ見ても100%寝ているように見えるので、
正直、何のために生きているのか、傍からはわからないようにも見える。
悪いけれど、生かしておくのが残酷なようにも、感じられてしまう。

それでも今日、60代の娘らしき女性がやってきて、
「寝てたの?」とお婆さんに訊き、それからなんやかや、
まったく自然に、長いこと話しかけていた。
娘が一方的に話しているのではなく、
明らかに母親と会話しているらしい雰囲気が伝わってきた。

あんなふうに見えても、心はしっかりとまだ、生きているんだなあと
改めて感じる。
あのステージに到達するまでにはまだ、
母にはずいぶんと時間が残されているような気もする。

生きている、というよりも、半分は生かされている、ということが、
そういう在り方を選択するということが、
良いことなのかどうか?
誰かの自己満足のためにではなく、本人のために、
望ましいことなのかどうか?

答えを出すのは難しい。

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五日ぶりの母

諸事情から珍しく、五日ぶりに母の元を訪ねた。
中4日も間が空いたのは、七月以来初めてのこと。

今日はとても穏やかに晴れていて、空気はひんやり、空は青い。

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小手指の駅構内で売っていた
「今日までの販売ですよ~」という
豆大福と栗大福を買って、バスに乗った。

家からは、剥いて塩水にくぐらせた
林檎を3切れ、持参。

母は相変わらず食欲があって、「ジュースが呑みたいの」
「大福、食べたい!」 「おせんべ食べよう」 「林檎!?食べるっ!」
と、育ち盛りの坊やみたいなことになっている。

そして私にやってほしいことをひととおりやってもらうと、
はじめに私が提案した「外へ出てみる」ことを希望する。

ナースコールで介助をお願いして、リクライニング式の車椅子に
移動させてもらう。靴下と靴をはき、カーディガンを着て、
膝掛けをかけて、さらにコート風のロングカーディガンを前面から羽織り、
病棟から出た。何人かのスタッフに声をかけてもらい、
エレベーターで1階まで下りた。
ちょうどおやつの時間だったので、
母用のおやつは取りおいてくれることになった。

母は7月の入院以来、入退院、検査外来、ホーム入退所のタイミング以外で
外で出るのは初めてだ。いつもドアを出てすぐに介護タクシーに乗り込む
というパターンだったから、車椅子で屋外に出て外の風に当たるというのは、
本当に4ヵ月半ぶり。

外へ出る前に、「売店、覗いて見る?」と訊くと、力強く頷く。
母は獲物を狙うような真剣さで、貧弱な売店を眺める。
「コーヒー牛乳が欲しい」と言う。
コーヒー牛乳はなかったので、代わりにカフェオレの紙パックを買う。

病院の敷地内の、駐車スペースの脇を静かに進んでいく。
この間真赤く紅葉していた木々が、いつのまにかほとんどの葉を落として
裸木になりかけている。
季節が駆け足で通り過ぎていくのを感じる。

車椅子を止めて携帯のカメラを向けると、母は強張った顔の筋肉を
ひきつらせるようにして、それでも微笑んでみせる。
ベッドに横たわっていると、肌がつっぱるせいかやたらに
若く綺麗に見える母だけれど、座位になると両頬の皮が流れて、
驚くほどいきなり老け込んで見える。

「風が気持ちいい…」と母が言う。「病室の中は空気が悪い」

10分間もいなかったと思う。
血圧が下がりかけていないか時々母に気分を訊ねる。
「もう中に入ろう」と言うので病棟に戻る。

また介助してもらって、母はベッドの上に横たわる。
「おやつ、いただきます」と、母はきっぱりとした声でオーダーする。
「お腹空いちゃった」

今日のおやつはフルーツの入ったムース。
「さっぱりしてて、美味しい」と、母はぺろりとたいらげる。

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従順な子供と我儘な子供

っていうのは、最近の母の様子である。

母はとっても我儘で、あれが欲しいこうして欲しいと要求が多い。
せっかく持っていっても、結局はほとんど使わないものが
今までにどれだけあったかしれない。
すぐに飽きたり気が変わったりする。

少し前まで絶好調だった母だが、今週あたりから少し変化が見られた。
暗くなり、悲観的になり、異常な食欲もいくらかおさまった。
昨日の朝、食堂で朝食が済んだあとに、車椅子の上で
久しぶりに意識消失したという。
直角に近い座位で居続けることは、母には不可能だ。
今まではなんとかやってこれたが、
たまたま時間がいくらか長かったのか、あるいはその時の体調の故か、
母は意識を失ってから、その辺りのことをまったく覚えていないらしい。
すっかり自信をなくした母は、それ以来病室のベッドで
食事をとっているという。

今日、担当医がやってきて、ベッドの上の母に向って話す。
「血圧が下がって意識を失っちゃったけど、
今後はそれを怖れずに、できるだけ食堂に行ってみんなとご飯を食べましょう。
食後は優先的にベッドに戻してあげるから。
ベッドにいれば安心だけど、まだまだいろんなものを見たりしたほうがいい。
せっかくこの病院に入院している意味がなくなってしまうわよ」

母の頬は徐々に紅潮して、「はい。はい」と、
従順な子供のように、頷き、涙ぐんでいる。
母は医師や師長さんの励ましに弱い。
何でも言うことを聞いてしまいそうに見える。

「お家の人も、そういう方針でいいかしら?」と訊かれ、
「お願いします」と答える。

ほんの少しのつっかえ棒がなくなっただけでも、
母は簡単にラクなほうへ流れてしまうタイプの人だ。
昔から母は、無理をするということが何より嫌いな人だから。
今のままだとすぐに、自分でスプーンを持つことすらできなくなるに違いない。
温かくもビシバシと、母を導いていってほしいと思う。

「私は死ぬまでココにいるの?」と、暗い声でそう言われたと、
昨日姉から聞かされた。
今日、「私をココから出してよっ!!」と必死の形相で母が言うので
あちゃーと思っていたら、なんのことはない。
ベッドの上で曲がった自分の身体を、真っ直ぐに戻して欲しいということだった。

やれやれ、焦りましたよ。

それにしても母の身体は、また一段と痩せたようだ。
肩の辺りも背中も、これ以上ないというくらい、骨と皮だ。
膝は変形していて、長い脛は骨だけ。
骨の下に、皮がたるんでぶら下がっている。
肉を喰いちぎったあとの、鶏の手羽先の骨のようだと想う。

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小手指の晩秋

寒い寒い。23区内ではおそらく結構寒いはずの練馬よりも、
埼玉県所沢市の小手指はさらに寒い。

ブーツの靴音を鳴らして母の病室へ向うと、娘の足音と確信していたのか
私が顔を出した瞬間、母はすでに片手を挙げて、出迎えてくれた。

今日は母がずっとずっと恋焦がれていた「たこ焼き!」を練馬の西友で買い、
貼るカイロをふたつ、たこ焼きを挟むようにして保温袋の内側に貼り、持参した。

「今日は何の日だか、知ってる?」と訊くと、
「お誕生日!」と答える。日にちの感覚も曖昧だろうに、
娘の誕生日はちゃんとわかってるのね。

母はたこ焼きのタコを、案の定噛み切ることができなくて、
誤嚥されたら困るので「出しちゃいなよ」と私に言われるまま、吐き出した。
タコ抜きのたこ焼きをひとつだけ食べて、
入浴が終わって病室に戻ってきてから、私が家から剥いていき、
保冷剤で冷やしていった柿を「美味しい!」と、4分の3食べた。

母が望んだとおり、水色のカーディガンを持参すると、
「そうそう、それそれ!」と言い、代わりに今あるモヘアのピンクのカーディガンを
持ち帰ろうとすると、
「それ、みんなに素敵って言われるから、それも置いておいて」と言う。

「お正月に着る、もっと素敵なカーディガンを持ってきてほしいの。
クローゼットの中にあるのよ、白いのが」
「黒いカーディガンもあるの、素敵なのが」と言う。

はいはい。じゃ、クリスマス用に黒いのを、そのうち持ってきましょうかね。

パジャマは病院指定のお揃いのもので我慢しているので、
上に羽織るカーディガンだけが今、母のお洒落アイテムになっている。

Kouyou

病棟の廊下のガラス越しに見る、紅葉。

あっという間に、秋もすっかり深まって、
いつの間にか、立冬も過ぎた。

母は新たに、「マフラーを持ってきて。
カシミヤのよ。どれにしよう?」と言うので、
「オレンジのをこの間見たわよ」と言うと、
「それがいい!薄いオレンジのほうのよ、濃いオレンジじゃなくて」
と言う。

まったく着道楽の人である。

Cosmos

帰りのバスがなかなか来ないので
コスモスなどを撮影。

すでに寒そうな、コスモス。
北風に吹かれて
くしゃみでもしそうな風情。

なんだかほんとうに、寒いよ。

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絶好調

私は小手指からいつもより何本か早いバスに乗って、
母の病室を訪れた。

母は目を丸くして、「当たった!アンタの靴音かと思ったら、当たった!」
と言って喜ぶ。
私が来るとわかっている日には、母はベッドサイドの時計を睨んで、
1時を過ぎたあたりから、「今来るか今来るか」と待ち侘びているらしい。

「今までも、何度靴音に騙されてきたことか!?」
って、そんなこと知りませんよ。
だけどとにかく今日は、「あっちゃんの靴音」の予感は見事に的中したらしい。

母はこのところ、妙に明るい。
食欲もやたら旺盛で、こちらが戸惑うほどだ。
もしかしたらアルツハイマーも混ざってきたのかと、そんなことを考える。

私が持参した荷物を見て、
「何持ってきたの?」と、子供のように無邪気に訊く。
梅の香巻きおせんべの袋とミニ大福の袋を見せると、母は嬉しそうな顔をする。
「おせんべ食べよう」と言う。昼食が済んだばかりだというのに。

この間は「二つに割ってね」と言ってた梅の香巻きを今日は、
「割らないでね」と言って、一口に頬張る。

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これが梅の香巻きを食べながら、
私の携帯のカメラに向って見せた、
母のOKサインである。
口が不自然に閉じているのは、
笑いをこらえているからだ。

何がOKなんだか知らないけれど、
母の中ではいろんなことが今、なんとなく
OKな状態なんだろう。素晴らしいことだと思う。

もう一度カメラを向けると、今度はおどけて舌先をペロッと出して見せる。
昔々、私が子供だった頃の、ひょうきんな母のようだと思う。

母は暖かい時間に外に車椅子で散歩に連れ出してもらうことに
憧れているし、クリスマスに病院の一階ホールで行われる、
コーラスのイベントを観に行くことも楽しみにしている。

「あのカーディガン持ってきて。水色に白の模様の入った、
花の刺繍のあるやつ。アンサンブルなんだけど、
カーディガンのほうだけでいいから。あれは温かいのよ」などと、
自分に似合うお気に入りの服を持ってくるよう要求する。

ベッドサイドの箪笥の引き出しの中には、すでに私がかつて持ってきた
(母ご指定の)白のガウンとピンクのカーディガンが入っているけれど。
病院の枕が合わないといって、今までに2回、私が枕を持って行き
(ひとつはデカすぎて間もなく却下、ふたつめはベッドにエアマットを
敷いたら高くなってしまって却下)、
病院の布団が重いからといって、私が薄手の羽根布団を持って行き、
置時計が見づらいからといって、もっと大きな置時計を今日、
母のご指定どおり西友で購入して持って行った。

我儘は相変わらず。そして至れり尽くせりの環境の下、
母なりの限界の中で今、充分幸福なのではないかと思う。
そう思いたい。

「ちょっと足を見てごらん」と母が言うので、布団をめくってみる。
今日はアロマオイルでのリフレクソロジーのボランティアの方が見えたそうだ。
「気持ちよかったわ~。オイルをたっぷり塗りましょうって、やってくれた」

母は満足げだ。
この間までカサカサだった母の足の甲が、艶やかに光っていた。

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病棟からの声

「ああーーっ!  ああーーっ  ああーーっ!」

母のいる4人部屋の向いには、いつも大きな声を出しているお婆さんがいる。
いったん声が始まると、それはかなり長い間続く。

母の担当医でもある女性医師が向いの部屋を訪れ、
「○○さん、どうしたの?大丈夫よ」と優しく声をかけると、
お婆さんの声はピタリと止む。

そして医師が病室を去ると間もなく、前以上に大きな、
より悲痛な色合いが濃くなったような声で、
「ああーーっ!  ああーーっ  ああーーっ!」と叫ぶのだ。

お婆さんは何を訴えているんだろうな。
淋しいのかもしれない。苦しいのかもしれない。
きっと誰かに、何かを伝えたいんだと思う。

この病院のほとんどの患者は、ほぼ多かれ少なかれ
皆認知症を抱えていると、医師は言った。
「どんなに認知症が進んでいても、最後まで人間は、
嬉しいとか哀しいとか、そういう気持ちは残るものなんです。
私達はそこを大切に考えて、接しています」
というようなことを、初めに医師から説明された。
そのとおりだろうと、私も思っている。

そしてさらに隣の病室からは、お爺さんの大きな声が響き渡る。
「お腹が空いたよ~! お腹が空いたよ~!」

お爺さんは何度も何度も大きな声で、空腹を訴える。
アルツハイマーなのだろうなと思う。

認知症といっても、もともとタイプが全く違い、
認知症そのものの程度もまだまだ軽い母は、
お爺さんの声を聞いて眉間を曇らせる。

「血液検査の結果カリウムが欠乏してるからって、
新しい大きな錠剤がひとつ増えたの」
などと、相手の話したことを正確に記憶している母にとっては、
空腹を無駄に訴えるお爺さんは、理解しがたいものだろう。

4人部屋の母以外の3人の方は、母よりもずっと高齢だ。
頭が真っ白で、小さい。
どうしてなのだかわからないけれど、高齢の寝たきりの人は皆、
口を大きく開けて横たわっている。
隣のお婆さんは完全に歯のない口で、大きくパクパクする。
看護師さんが時々やってきて、痰の吸引をズゴズゴズゴッとしていく。
あんなに大きな口が、どうして開くのか私には不思議なくらいだ。
どれだけ丈夫で柔軟な顎関節なんだろうと感心してしまう。

母はこぼしながらも懸命にご飯を食べようと努力し、
車椅子に移動して、血圧を測りながら慎重に、
他の患者達に混じって食堂でご飯を食べているようだ。
母は、少し変わった。
それはある面で認知症がいくらか進んだせいなのか、
人間として成長したせいなのか、わからない。
それでも今まで何でも諦めてきた母が、この期に及んで
前向きな意志を見せてきたことに、私は少し感動している。

排尿も排便も、まったくコントロールできなくなってしまった母だが、
食べるという本能はまだ、充分に生きているのだと実感する。

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母、好調

このところ、母は食欲がある。
相変わらず導尿の袋はぶら下げているし、
身体が動かないことは変わりないのだけれど、
それでも気持ちが前向きになっている。

一昨日「私、起き上がる練習をしようと思っているの」と話していたが、
今日病院へ行くと、看護師長さんから報告を受ける。
母は今日のお昼ご飯を、車椅子で食堂に移動して食べたとのこと。

母が車椅子に座ったのはずいぶん久しぶりのことだ。
そう、9月の初めに再入院した後は、一度も座っていないのだ。

お昼前から少しずつベッドを起こしていき、
血圧計を装着したまま移動して食事。緩やかな座位の間も血圧は、
常に90程度を保っていたという。素晴らしい。
90もあれば、何でもできそうな気がする。
以前は立位になると40には下がってしまっていたし、
しばらく上体を起こしているだけで気持ち悪くなってしまっていたのだ。

おまけに今朝、介助をしてくれる方が食事をスプーンですくい、
それを母に持たせ、母は自分で口に運んだのだという。
「自分でご飯を全部食べられたの」と、母は誇らしげに言う。
私もたくさん喜んであげた。
「いっぱいこぼしちゃったけど…」

母に「会いたい」の入ったCDを聴かせていると、
ナースがふたり病室にやってきて、少し車椅子で移動することを勧める。
「一日天井を見てたってつまらないでしょう?」と、
二人で母を寝た状態のまま抱え上げて、リクライニング式の車椅子に移動する。
私はゆっくりと廊下に出て、病棟の長い廊下を押して歩く。
端の大きな窓からは明るい陽が射していて、緑が見える。
向こうの方には山なみが見える。
「秩父山脈よ」と母が言う。

廊下で会った看護師長が「いかがですか?」と母に訊ねると、
母は朝食をひとりで食べたこと、お昼を食堂で食べたことなどを
泣きそうな顔で報告する。
看護師長は母を褒め、焦らないでと励ましてくれる。
「少しずつね…」
私もこっそりと涙ぐむ。

「少しずつ良くなっていく」、母はそう信じている。
だけどその気持ちこそが、本当に命に力を与えるんだと思う。

「ここは、頭のおかしい人ばかり…」と母は言う。
向いの病室に、「あー、あー、あー!」と大きな声を出しているお婆さんがいる。
「私もあんなふうになっちゃうのかしら。
あんなふうになったら、生きていてもしょうがないわ」と言う。

母は、自分が「認知症」であることを知らない。
私達もそういう病名では決して呼ばない。

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センチメンタル

何日か前から母は、「あの歌が聴きたいの」と言っていた。

何でもCTを撮るときに検査室の中で流れていたとかで、
母はおぼろげに記憶している歌詞の断片を私に聞かせる。
「会いたいとか恋しいとか、あなた言ったじゃないのとか。
恋人が死んじゃった歌よ」

なんだかわかるようなわからないような、私は歌謡曲、
それも子育て期間中の歌やドラマにはとんと疎いので、
母が何の曲のことを指しているのかどうにも判断できなかった。

先日「思い出した。知可子って人よ」と言う。
そしてその翌日「沢田知可子よ」と断言する。

調べてみれば1990年に大ヒットした「会いたい」という曲だとかで、
YouTubeで聴いてみたら、さすがに私もサビの部分は知っていた。

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今日は仕事をどうにか
いつもよりも早めに終わらせて、
小手指に向かった。
駅前からのバスの14時台、
日祭日は1時間に2本しかない。
行ったばっかりだったので仕方なく、
2台だけ止まっていたタクシーに乗る。


病室の母に、母が望んでいる曲が
わかったと告げると、
「会い~たい~」と小さな声で唄いながら、
ツツツッと泪を流す。

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「窓から三角屋根が見えるでしょ」
その三角屋根は、
母が子供の頃いつも眺めていた
鐘つき台?にそっくりなのだと言って、
泣きそうになる。

「鐘が鳴れば素敵なのにね」と私が言うと、
「…鳴るのよ!電子音だけどね」と、
震えるように話す。

私が一昨日持って行ったCDラジカセで
イル・ディーヴォを流すと
「いい声…!目の前で歌われたら腰がすくんじゃうわ」
と真顔で言う。そして
「ああ…!一度生で聴いてみたかった…!」と泣きそうに顔を歪めて嘆く。
次の瞬間また真顔になって、
「チケットは一瞬で完売だって」と、芸能通の一面を垣間見せる。

母は色々なものを欲しがる。
スマップのキムタクがソロで唄っているなんとかっていう曲が欲しいとか、
お花が欲しい、人形が欲しい、孫たちの小さい頃の写真が欲しい…。

私は今日、母の部屋にあったぬいぐるみを2個持参し、
5人の孫たちが小さかった頃の写真が、
たくさんの楕円形の枠の中から覗いている、大きな写真立ても持参した。
イヤホンが欲しいというので西友で購入し、耳にはめてあげると
「いいね…」と言う。

しばらくすると「自分の声が大きく聞こえちゃって…!!」と
必死の形相になる。
「自分の声が響いちゃって話ができないよ」と言う。

そうね、お母さん。
イヤホンで音楽を聴くのは、一人のときがいいわよね。
聴きたくなったら、ナースコールをするか、
傍にナースが来たときについでに頼むのよ。

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病棟の廊下は広い。
母よりもずっとずっと年配の女性が、
長い廊下で一生懸命歩行の練習をしている。

何と羨ましいことだろう。

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淋しい母と、哀しい私

哀しいって、何がこんなに哀しいんだろう。

ホルモンの波に翻弄されているわけではなく、私は今、確かに哀しい。

どうしてこんなに哀しいのか、それはやっぱり、
母があの病棟にふさわしくないくらい若く見えるからだ。
90歳になった母親をあの病棟に置いておくのと、
76歳の母を置いておくのでは、心の痛みが違う。

見舞い客のほとんどは、60代くらいの家族だ。
私のような40代の人間は、スタッフ以外にあの病棟の廊下を、
歩いてなんかいない。
90歳前後の親を見舞う人達だから、当然私よりもずっと年上なのだ。

ほんの1~2年前の母を想い出すと、なぜ今年の秋、
母があんな病院にいるのか、不思議でたまらない気持ちになる。
バッタのように折れ曲がった足を自力で伸ばすこともできず、
伸びてしまった足を自力で曲げることもできず、
波打ち際に打ち寄せられた流木みたいな姿で横たわっているのか。

そんな現実を、私達が受け入れたり諦めたりするのに必要な時間よりも
ずっとずっと速いスピードで、母の病は進行していく。

これで良かったのか。
これが最善の選択だったのか。
そんなことを考える。

頭では理解している。
実際私達は頑張っているし、素早く対応しているし、
運にも恵まれているし、母にとって最善とはいえなくても
可能な範囲で最上の選択をしてきたはずだ。

それでも病室を訪れた時の、母の苦痛に歪んだような表情、
「淋しい」と訴える言葉、今まで入院していた普通病棟のような
ケアがないことへの不満、他の人にはよくっても
母にとっては堪え難い、いくつかの対応…。

今までは日に2回、娘たちが訪れていたのが、一日一回になり、
食事の介助や着替えやいろんなことも、
今までのようにあれこれと好き勝手にしてもらえなくなったわけだ。

長期療養病棟というのは厭な言い方をしてしまえばつまり、
死ぬことをただひたすら病室で待つところ、だ。
4人部屋のおばあちゃん達は私から見れば、
いつ亡くなってもおかしくない人達に見える。
昼間も昏々と眠っていて、おやつやお風呂の時に起こされる。

前日は熱を出して点滴をし、枯れ枝のような腕を宙に伸ばして
うわごとのような声を発していた隣のお婆さんは、
翌日にはケロッと上体を起こし、ヨーグルトを食べている。
人間の生命力に驚かされる。

それでも同室の誰かが亡くなったら、どれだけ母は
ショックを受けるだろうかと想う。次は私の番かと怯えるのだろうと想う。

私の今の願いは、母にアルツハイマーのような認知障害が出ることだ。
辛い現実だとか、私のことだとか、いっそ分からなくなればいいと想う。
そのほうが、よほど幸せなのではないかと想う。

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転院

昨日、母は小手指の方の病院に転院した。
中野の病院を去るとき、ストレッチャーに乗ってエレベーターの前で
待つ母のもとへ、次々にナースがやってきて、見送ってくれた。
「お元気でね」
「良い病院が見つかって良かったですね」
「また逢いましょうね」
母は眉を八の字に歪めて、泣く。
母はこの頃、よく泣く。
傍にいた私も、ついもらい泣く。丁寧に頭を下げて、エレベーターに乗り込む。

救急車くらいの介護タクシーは、運転手と付き添いの2名が同乗。
姉と私も一緒に乗り込む。
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「手を握っていて」と母は言い、時々泪が頬を伝う。

母は結局、パジャマのままストレッチャーに乗った。
前日まで服のことをアレコレと注文つけ、
昨日も私が母ご指定のカーディガンを持参したけど、
看護師さんに「普通皆さんパジャマのまま行きますよ」
と言われたそうで、すぐにその気になった。

アイブローペンシルで眉をかき、
口紅を塗っていくつもりでいた母だったが、
そんなこともまったく口にしなかった。

病院は、中途半端な田舎にある。
緑の多い、でも別荘の建ち並ぶような自然の中ではなく、
だけど住めと言われたら絶対に断りたくなるような、
そんな感じのところだ。

部屋は広々とした4人部屋で、
同室の女性はみな大正生まれの方々だと思う。
名前がカタカナ二文字の時代の人達だ。
真っ白い髪をして、小さくなって静かに眠っている。
母はひとり大きくて、異様に若い。

母は入院してから、顔の皺がなくなった。
痩せて目がパッチリとして、重力で垂れ下がってきていた瞼や頬が、
長く寝ていたせいかスッキリとした。
顔だけ見たら、以前よりもずっと若くなったように見える。
スタッフに歳を訊かれて答えると、いつも驚かれるという。
母はやっぱり、なかなか綺麗な人だなと思う。

新しい病院のスタッフは皆良い人で、
とても丁寧に、感じよく接してくれる。
担当の女性医師はいかにも医師らしくサバサバと自信に満ち溢れ、
看護師長は丁寧で思いやりに溢れ、いかにも頼りがいがある。
「任せておけば大丈夫だ」、そんな気持ちにさせてくれる。

今日も、病院へ行った。
練馬から西武線で30分ちょっと。そこからバスだ。
なんやかや、家を出て1時間強かかるかな。

私が病室へ行くと、母は震えるように呟く。
「いつもどおりに来るかと思ってたから、どうしたのかと思った…」
母は今までのように私たちが、昼食の介助に来ると思い込んでいたようだった。
そういえばはっきりと、いつ訪ねるとも明言してこなかったことを詫びた。
不安だったのだろうと想う。

9月の初旬に中野の病院に再入院してから、
母は結局一度も入浴ができずにいた。
今日は久しぶりにお風呂に入れてもらい、喜んでいた。
ベッドごと運ばれて浴室に向かう母を見送り、私は外を眺めたり
携帯をいじったりして待った。
「素晴らしい設備!」と、入浴を終えた母が言う。
寝たままの姿勢で入浴させてもらえる。

母が「触ってごらん」と言って手を差し出す。
なんとなく黄ばんでいた母の手が綺麗なピンク色になって、
しっとりとスベスベのやわらかい肌に生まれ変わっている。
「一皮剥けたのよ」

母はところどころ不満も漏らす。
今日は足の裏の何かしらの苦痛を私に訴えたくて、懸命に言葉を探す。
「足の裏に、扉があるでしょ?それを開くとね、3つ載ってるでしょ?」
「何が載ってるの?」と訊くと、
「足よ」と言う。
そう言いながら、「なんて言ったらいいんだろう…!?」と、
自分の感覚を的確に伝えられないもどかしさにイラついた表情を見せる。
母の身体は母にしかわからない。

「寝たきりの人に刺激を与えるため」、何か音楽を聴かせるのもいい、
家族がカセットなどを持参すれば、スタッフの方がつけたり消したり
してくれるという。
週末は仕事なので、もう一度明日、私が病院へ向かう。
明日は小さいCDラジカセと、母の好きなイル・ディーヴォ、それから
日本の昔の歌が入ったCDと、コーラスの時に唄った歌のテープを2本、
持って行く予定だ。

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区切り

早く区切りをつけたいと、つい思ってしまう自分がいる。

区切りって何だ?

母が小手指の長期療養型病院に落ち着くことか?
1週間に6回ほどの病院通いを、週2~3回に減らせるだろうという
見込みが、私の中で一区切りつけさせるのか?

わからない。

まるで、母が早く死んだほうがラクになると、
願っている自分がいるかのようで、厭になる。
そのくせいざ本当にその時が来たらどれほど辛いかと想うと、
これまた厭になる。

母を転院させるということに、やはり私は少し動揺しているのだ。
今までほど頻繁に行けなくなるだろうということ。
行かなくて済むだろう、そうであっても赦されるだろうという安堵感と、
やっぱりちょっとだけ残る、罪悪感。

どっちみち救急病院に長くいることは無理なのだし、
介護ホームも無理なのだし、自宅介護も到底無理なレベルだし、
都内の旧くて汚く薄暗い療養型病院に比べて、
環境も良くて、おそらく空気も少しは良くて、病院もすこぶる綺麗で、
対応も丁寧で、他の療養型病院よりも若干高額だけれど
そのぶん良いという評判を聞いて、そこに運良く空きが出て、
たぶんこれ以上良い条件は、なかなか見つからないのだろうと思う。
下手をしたら半年とか一年以上とか待機することだってあり得たのだ。

どっちみち、治る見込みのない病気なのだから、
あとは残された日々をどれだけ穏やかに過ごすことができるか、
それだけを考えればいいのだけれど、やはりどこかで
母を見捨てたような気がして、ちょっとだけ辛い気持ちになる。

ゆうべ、母の夢をみた。
もう何年間もまともな料理などしたことのない母が、
キッチンに立って肉を焼いていた。
肉を盛ったお皿を手に、母はキッチンからテーブルに
トコトコと歩いて移動する。
歩き方がぎこちないなと心配しながら私は見ている。

テーブルの上の料理は、たまねぎと豚肉が炒めてあるもので、
お皿から溢れんばかりに盛られていて、すごく不味そうだった。
調理台を見ると何も置かれていないので、
いったい何で味付けしたのかと、私はちょっと不安になる。

目が覚めて私は、そういえば久しぶりに母の歩く姿を見たと思った。
歩けるようになった(という設定の)夢の中の母は、
とても幸せそうに見えた。

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死を想う

昨日の午後、母の転院先となる小手指のほうの病院を訪れた。
そちらのソーシャルワーカーと連絡を取り、詳しい説明を聞き、
その後病棟内を案内してもらい、そのあと担当医となるドクターと話をした。

そこの病院の長期療養病棟についての方針、目指しているもの、
それが患者と家族との考えと喰い違っていないか、
そこをしっかりと突っ込まれた。
キビキビとした60歳近いかなという女性のドクターに
「どういったことをこの病院に望まれていますか?」と訊かれた。

嚥下障害で食べられなくなった人が胃に穴を開ける簡単な手術をして、
そこから栄養を流し込む、胃ろうという手段がある。
今母が入院している病院の担当医は、
胃ろうは「延命措置とは呼べない」と言う。

今の医学でごく簡単にでき、本人の負担も軽く、
生きるのに必要なカロリーを補給するという方法が、悪いはずもない。
実際そうやって普通に人生を謳歌できている人もいるらしいし、
病気を抱えた小さな子供が一時的に胃ろうという方法をとっていることも
珍しいケースではないようだ。
頭がはっきりしている患者が、食べられないというだけで
死んでいくというのはつまり、餓死させるということを周りが選ぶということだ。

しかし転院する先のドクターはそれを「延命措置ですよ」と言い切る。
「動物として本来、食べられなくなったらお終いじゃないですか?」と言う。
もちろん家族の意思と本人の意思によって決定すればよいことで、
病院側はその意思に従うとも明言した。

むせてしまって飲み込めなくなるのは時間の問題。
いざそうなってからでは家族も動揺して、冷静な判断ができないという。
今からその時に向けて、決断しておいてほしいと言い渡された。

病院側は、しっかりとした介護に自信を見せる。
母は結局6週間も入浴できていないことを話すと、
「少しくらい強引にでも、お風呂に入れちゃって構わないかしら?」と
ドクターは訊く。「そんな汚いの、私許せないわ」と笑う。

時間をかけて上体を起こし、可能な限り車椅子に移動させ、
ベッド上だけじゃない世界に触れさせたいという意向で、
母と向き合ってくれるという。そうできればいいと、私も願う。

もし母が転院したことで、何か少しでも新しい希望を見つけるなら、
ナースやドクターや介護スタッフの方々とのふれあいで、
ささやかな幸せを感じながら生きていると実感できるのなら、
母がもう少し生きていたいと望むのなら、
あるいは私達の眼にそう映るのなら、
胃ろうをつくることを申し出ようと考えている。

そして逆に、これ以上頑張り続けることが気の毒でしかなかったり、
母の中に何らの希望も見出せなくなった時は、
一個の動物として、自然に任せるほうがいいのではないか、
ゆっくりと命の灯が消えていくのを、見守るのがいいのではないか、
そんなふうに、今は想っている。

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歌と眠りと療養病棟

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朝晩はずいぶんと冷え込むようになり、
空はとっくに秋空で、
私は毎日、何をしているんだろう。

この先の、人生について考える。
住まいについて。
子供たちについて(これは考えても無駄)。
仕事について。

娘は昼夜逆転の生活で、今日は単独のライブだとかで。
息子は試験一週間前を切ったというのに、
夕食後いつのまにか熟睡している。
試験前となるとまた、異常に眠くなるという、毎度のパターンだな。

母が入院している病院のソーシャルワーカーの男性に
連絡をとってもらい、小手指のほうの療養病院に入れる見通しがついた。
まだ決定ではないけれど、下手をしたら何ヶ月も待つ可能性もあるのに、
今だったらと、どうやらグッドタイミングだったようだ。

一度に空きが出たということは老人病院の場合、
お迎えがやってきた方が何名かいらっしゃるということだ。
残酷だけれど、それが現実だ。
哀しいね。

「こればかりはミズモノですから、なんとも言えないんですねぇ」
とは、待機期間の目安を訊ねたときの、
転院先の病院の相談室の女性の弁。

明日の午後、私が小手指まで出向いて説明を聞いてくる。
見学を兼ねて、そして一気に入院申請をしてくるつもりでいる。

チャンスは逃さない。
一気にGO!だわ。

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「まい泉のカツサンド!!」

今日、昼食前の母がベッドの上で、
突然身体を震わせ、苦しそうに顔を歪めて言った言葉が

「まい泉のカツサンド!!」

である。

「え?まい泉のカツサンドが食べたいの?」と訊くと、
哀しそうに眉をしかめて、大きく頷く。
ここ何日か、母の中に食欲が大きく芽生えている。

母の昼食後、私がベッドサイドでこっそりと、ローソンで買った
まずいサンドイッチを、辟易しながら食していると、
母は真っ直ぐ上を向いたまま無表情で固まっている。
母の視界には入っていないはずだと私は信じていた。

黙っている母に、「そういう時って何か考えてるの?」と訊くと、

「あっちゃんが、サンドイッチを食べている」

と、ゆっくり、暗い声で言う。
ムムッ、母には何故かしっかり見えているのだ。
「食べる?」と訊くと、大きく頷くので、小さくちぎって口に入れる。
つかえないかと心配したが、大丈夫なようだ。

「やわらかいパンは美味しい」と言い、
普段は嫌いだったはずの、マヨネーズと玉子の部分を食べる。
私が手で持って母が食いちぎり、サンドイッチを引き離すと、
「取らないでよ!」と語気を強める。

三口くらい食べてから、
「お腹がいっぱいになっちゃった」と静かに言い、
それから少しの間を置いて、

「情けない…。子供のお弁当を取り上げて。なんてあさましい…」

と、やたら自虐的な言葉を暗く呟く。

母がいったいどんなつもりで言ってるのかが、最近はちっともわからない。
昔のように、きっと面白おかしく、ふざけた調子で
言ってるつもりなのかもしれないけれど、
声が暗くて無表情だから、何を言っても真剣に聞こえる。

だけどなんだかあまりに可笑しくって、病室で大笑いしてやった。

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手のひらに太陽を

母が今日、いきなり歌を唄い出した。

母の腕の血管には点滴がなかなか入っていかなくて、
手のひらを上に向けていなくては液が落ちずに止まってしまう。
ちょっとした角度でスピードが落ちたり速まったり、止まったりする。

手のひらを上に向けたままいるのが辛いというので、
私が上から手を重ね、母の手のひらを包むように握った。
そうすると何故か不思議なくらい、点滴の液がスイスイと落ちていく。

「ほら、私が放すと止まるでしょ。私が触ってると落ちるよ」と
マジックのように見せていたら、母が急に「手のひら…」と呟き、
「ぼ~くらはみんな 生~きている~」と唄い出したのだった。

母は途中2回ほど歌詞に詰まりかけ、私が一緒にくちずさみ、
一番を唄い終えた。
まったく無表情で、唐突に、やたら健全な明るい歌を
ベッドの上で唄うというこの不思議。
私も初めて、母と声を合わせて歌なんか唄っちゃったよ。

「私の手のひらがこうで…、アンタの手のひらがこう…」
と、互いの手のひらが合わさっていることが嬉しいのだか、
母は胸の上で、自分の空いているほうの手のひらを
上下にひっくり返しながら呟いている。

母は今日も、怖い夢をみた。
病院のエレベーターの中に、ひとり閉じ込められる夢。
周りの人は知らんぷりで、「私のことが見えてないらしいのよ」と母は言う。

食後の服薬に飲んだ水が逆流して、口から少しずつ溢れてくる。
ティシュで受け止めたり、膿盆で受け止めたりする。
「地下道にいて、水が溢れ出てくる夢を今、みてる…」
母はそう言いながら、水を静かに吐き出していく。
シュールだわ。

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やっぱり認知症

母の病気は、【びまん性レビー小体病】という。
【レビー小体型認知症】とも呼ぶ。
この病気は、人によって本当に症状が様々で、
いつまでも歩けるような人もいれば、
母のようにパーキンソン症状が特に強いため、起立性の低血圧で立てず、
筋力も失い、あっという間に完全に寝たきりになる人もいる。
母はあらゆる自律神経が侵されているので、
排便もほとんど自力ではできない。
幻覚の程度も、母はかなり重いほうだと思う。

パーキンソン病は難病指定なのに、それよりももっと
タチが悪いともいえるレビー小体病は、難病扱いではなく、
認知症という括りだ。

以前は母を【認知症】として括ることに、かなり抵抗があった。
だって母は頭はいたって正常だったし、
むしろ以前よりも冴えているんじゃないかと思うほどだったからだ。

それでもやはりこの頃は、母は可愛いボケ婆ちゃんになりつつある。
可愛いといっても決して明るくはなく、
絶望的に暗いことがほとんどではある。

昨日、母の隣の病室のお婆さんが亡くなったらしい。
しばらく面会謝絶の札がかかっていたけれど、
昨日は次々に親族がやってきて、すすり泣く声とかが
聞こえたんだという。私は夜の当番だったから知らなかった。

以前からそれを怖れていた。
隣の病室から家族の号泣が聞こえてきたりしたら、
ベッドの上から身動きできず、でも耳が異常なほどいい母は、
どんな気持ちになるのだろうかと。

やっぱりその時はやってきて、母はひどく怯えたのだという。
「次は私が死ぬのか」と、相当のショックを受けたようだった。
夕方病室へ行くと、横たわった母がとんでもない表情のまま、
泣きそうな声で言う。「死ぬ思いをしたの…」

ナースと母の語るところによると、
母は夢の中でデパートの地下に閉じ込められ、次々と店が閉まっていき、
娘たちの名を呼んでも誰も来ず、どうしようもなくなって
ナースのひとりの名を叫び続けていたのだという。
「Sさーん!Sさーん!」と、廊下にも聞こえるほど大きな声を
懸命にはりあげていたのだという。
夢と現実が、なんだかゴチャゴチャなのだ。

優しいSさんは「ごめんね。今夜は私いるからね」と
母をなだめてくれる。
「ナースコールが見つからなかったから、誰も来てくれなかったのよ」
と、それ以来母は、以前にもまして、ナースコールを手放そうとしない。

母はどんどん子供のようになっていき、最近は私が帰るのを怖れる。
私が帰ろうとするのを察知すると、眉を八の字にして、
これ以上あるかというくらい哀しそうな、情けない顔になる。
「どうしてほしいの?」と私が訊くと、
「泊まっていけ…!」と、必死の言葉を吐く。

母をなだめ、諦めさせ、
また明日来ると約束して、部屋を去る。

この頃の母は、どうしようもなく我儘で、暗くて、でも可愛い。

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クリームあんみつで癒やす

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本日16時44分の空。

今日の母は、違う世界へ飛んでいる。
昨日の約束どおり、早めに病室を訪れても、
チラリとも私のほうを見ない。

母の目線は真っ直ぐ宙の一ヶ所に
留まっていて、動かない。
口を半開きにしたまま、完全にフリーズしている。

看護師さんが話しかけていても、フリーズしたままだ。
時々無表情のまま、僅かに首を動かして、問いかけには応じている。
耳は聞こえているのに、判断はついているのに、そういう時って
一体母の中の、何が止まっているのだろうと不思議に思う。

今日は昼食も、ほとんどまったく食べない。
気づくと目を閉じて、口を開いて寝ている。
点滴の針はもう、どこにも刺しようがなく、針の跡はみな痣になる。
血管が細く脆くなっているので、刺せる場所がないらしい。
手の甲に刺さった針が痛いのだと、擦ってくれと私に言う。

母が寝てばかりいるので、
「お母さん、帰るね」と小さな声で呼びかけると、
母はハッと目を覚まし、「気をつけてね」と応える。
そしてすかさず、「明日の予定は?」と訊く。

いつもより早めに病院を出たので、帰りがけに池袋へ回って、
ちょっとショッピング。
そしてみはしのあんみつ
で、私の中の定番、クリームあんみつを食す。
私にとって、これ以上に完璧なクリームあんみつはないの。

自慢じゃないが、あんみつを食べるのだけは、なぜか私やたらに早い。
ガツガツと食べて、家路に着いた。

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母との会話

「なに足音忍ばせて来るのよ?」

   「今日はスニーカー履いてるから、足音がしないだけだよ」


「アンタが来てくれるのが、いちばん落ち着く」


「明日の予定はどうなってるの?」

   「明日も来るよ」

「午前の部?午後の部?」

   「どっちがいいの?」

「午前の部!」

   「じゃあ、午前の部に来るよ」

「12時5分前じゃ、イヤなの」

   「じゃあ、明日はもう1本、早いバスに乗ってくるよ」


「帰っちゃうの?痰が出たら、どうしよう…?」

   「大丈夫だよ。いつも一人でちゃんとできてるでしょ?」

「帰っちゃうの?手を揉んでよ」

   「はいはい…」


母との会話はこんなふう。
私への依存は特に激しく、「どうしよう?」と言うときの母は、
眉間に哀しそうな皺を寄せ、なみだ目になる。

母親と離れるのが嫌でぐずる、乳幼児みたいだと思う。
それでもできるだけきっぱりと、明日への明確な希望だけ持たせて、
病室を去ることにしている。未練は残さずに。
だってそうしないと、私のほうが潰れてしまうから。

乳幼児には、成長という明るい未来があるけれど、
母の行く先には死しか待っていないという、圧倒的な違いがあるけれど。

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次のステップへ

今日は都民の日でお休みだから、少しゆっくり寝ようかなと思った。
昨日の夜中、寝る前になって、どうしようもなく身体がだるくなり、
肩こり、関節痛、手の指まで痛くって、
必死の思いで髪を乾かし、歯磨きをして、ベッドに横たわった。

朝目覚ましよりも先に目覚めると、激しい頭痛。腰痛。
ダルイ。どうしようもなく。
熱は7度2分、喉も痛くないのに、なんでこんなにダルイのか不思議。
まるで母の身体が私に乗り移ったみたいだ。
なんとかならないかとヨガをしてみる。

頭痛がどうにもならないので、バファリンを飲み、また眠る。
結局寝たり起きたりを繰り返し、なんだかよくわからない時間を過ごした。

本当は今日、姉と一緒に、小手指のほうの療養型病院に、
見学に行く予定だった。その後に姉と二人で母の病院に寄る予定だった。
申し訳ないが姉にすべて任せ、私はひたすらゴロゴロしていた。
何もやる気になれず、力が入らない。

だけど夕方5時20分に姉から電話があり、
道が混んでいて母の食事の時間に間に合わないから、
私に今からタクシーで、病院へ向かってくれないかという。
ええ、行きましたよ。寝てたところだったけれど。
運よくタクシーがすぐにつかまって、6時に間に合った。

母は土気色の顔をしていて、ものすごく暗い。
「ヒールの音がしないから…」と、私の顔を見て泣きそうになる。
私がいつまでも来ないので、不安になっていたらしい。
ご飯を食べさせてくれるナースをつかまえなくちゃと心配していたらしい。

「今日は気持ちが悪いの」と言う。
頭がモヤモヤしているという。血圧が高いのかもしれない。
母はすぐに水枕を欲しがる。
ナースステーションにそう告げても、人手が足りないのか
血圧を測りにきてはくれない。
水枕も頼んでから1時間以上待った。

昨日、姉とふたりで、神経内科のほうの担当医に
時間をつくってもらい、話をした。
症状が安定していたら普通、病院は3ヶ月を目処に
退院しなくちゃいけない。
母のような人は、療養型病院と呼ばれる、
いわゆる老人病院へ転院する必要がある。
病院のケースワーカーと話をするということになった。

母はもう、介護ホームへは戻れない。
先日ホームへ行って、ホーム長と看護師の男性と話をした。
もしホームへ戻ったとしても、今後病院へ出たり入ったりを
繰り返すことは目に見えている。
ホームにとっては明らかに母はお荷物な存在で、
できることなら病院へ移って欲しいと望んでいることが
明らかに伝わってくる。

ホームではその時、ちょうど映画鑑賞会をやっていて、
暗くしたダイニングルームの大きなテレビで、
【ローマの休日】だかなんだかを、お年寄りが数人鑑賞していた。

その脇を静かに通り過ぎ、ガランとした母の部屋に入ったら、
なんだかすごく哀しくなってしまって、泪が出そうになった。
せっかく買ったテレビも、冷蔵庫も、
それからリクライニング型車椅子も、ほとんど使われる間もなく、
母の病状はどんどん進行してしまった。
冷蔵庫の中には、ジュースだとか、タッパーに入ったおかかだとか、
食べかけのアイスクリームだとかミカンゼリーだとか、
そんなものが残ったままだった。
持ち帰って、捨てた。

今日姉が、ホームに退室届けを出してきた。
今月中に、たくさんの荷物を引き上げなくてはならない。
ひと月分のお金をとられるんだから、
代わりに私があの部屋に、住んでやりたいと思う。


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病院

今日の母は静かで、幻覚や妄想が激しく、
とても淋しがりやだ。
「もう帰っちゃうの?もっといなよ?」と顔を曇らせる。

昨日の夕飯から、食事が始まった。18日ぶりの食事だ。
ドロドロの糊のようなお粥と、少しのお汁、やわらかいおかず。

今日の昼食も同じようなもの。
お粥には味がないと言い、海老しんじょのあんかけは、
ひとくち口に入れたら、ベーっと吐き出した。
離乳食を嫌がる赤ちゃんと、まったく同じ反応だと思った。
お汁を半分と、お粥を数口。
桃のペースト(まさに離乳食)はほぼ完食。

「アイスクリームが食べたいなあ」
「果物が食べたい。梨が食べたい」
と子供のように呟く母に、明日の食事の進み具合を見て、
それから判断しようねと帰り際に説得した。
母は瞬きすることで同意を表す。

「そこのカーテンを開けてごらん。壁のところに手紙が挟まっているでしょ」
と、壁にある電気のスイッチ辺りを見つめて母は言う。
この間からそこに、手紙が届くのだと言う。
「今日は来てないよ」と私は応える。

30センチ開いたカーテンの隙間から黒い服の女性がやってきて、
この部屋の隣の応接間に入り込み、置時計などをごっそりと
大きな風呂敷に包んで持ち去った話。
隣の部屋には病気の父親のほかに、妻と坊や2人が暮らしていて、
妻が夫をなじっているらしい。家族内での会話やトラブルを、
母は宙を見つめながら穏やかな表情で、嬉しそうに話す。

母のお見舞いとして、花束がたくさん、そしてローチェストやら
ハイチェストやら、宝石箱やら、様々なものが届いたけれど、
そのお返しをしていないことを母は負担に感じているのだと話す。
「そういう不義理をするのが私は嫌いなの」
もちろんすべて妄想の世界での話。

「私、あと5年生きられるかな。5年は無理ね。
お世辞言ったとしても、あと2年ってところね」と、母は呟く。
「どうして2年なの?」と訊いてみたけれど、答えなかった。
正直に言えば、あと2年などあり得ないと、私は感じている。
それでも意外な展開をするのがこの病気でもある。

母は今日もまだ、導尿の袋をぶら下げている。
「オムツ替えがラクね」などと言っている。
昨日神経内科のほうの主治医に確認したところ、
「泌尿器科の先生と相談して…」などと曖昧な答えしかもらえなかった。

母の話では昨日の夕方泌尿器科の医師が来て、
「でも入院中は、導尿しているほうがラクでしょう?」と言ったとのこと。
そんないいかげんな対応は、勘弁して欲しいと思う。
母の話す医師から伝えられた内容は、いつも意外なほどに正確なのだ。

導尿をやめて、自発的に排尿できるのか、早く確認してほしい。
そして少しでも口から栄養がとれるようになればいいが、
あまり期待はできない。点滴なしには難しいかもしれない。
介護ホームに戻れるのだろうか…。

「便をためないことだね。いつも下痢状態にしておくことだね」
と、とっくの昔からわかっていることを、一昨日の回診時に、
神経内科科長である医師が言う。
私も姉も、実はこの医師をまったく信用していない。
だってリクライニングの車椅子で、まったく移動できない母に向かって
「歩く前には座った状態で、少し待ってからね」と言った人だ。
「もう、歩けませんから…!」と、呆れて思わず言った。

7~8月の入院中に、あなたはこの患者の、
何を診てきたのかと問わずにはいられない。
どんどん呆けていって、死に向かって朽ちていくだけの患者に対して、
医師としての誠意は、あなたには微塵もないのかと問いたい。
実は姉も私もこの病院を、まったく信じていない。
残念なことだと思う。

入院して約3週間、母はすっかり不潔になってしまった。
肌はガサガサ、頭はフケだらけ。
一昨日ドライシャンプーをしてみたけれど、今日はすでに頭から、
強い皮脂分泌のニオイがする。
こんなに汚れたまま、母を死なせるわけにはいかない。
強くそう思う。

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秋の日に、笑う

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朝から空がきれいすぎる。

私の部屋からは空は見えないので、
曇っているのか晴れているのかさえ
わからないんだけれど、
外へ出て空を見上げたとき、
いきなりこんなに青空だったりすると、
自分を不運な女のように感じてしまうのは
私がいわゆるマイナス思考な人間だからか。

昨日も今日も、秋の空だよ。
わかってはいたけど、やっぱりいつのまにか秋なんだよ。

どうして毎年のように私が秋にこだわるのかといえば、
やっぱり毎年書いているような気もするけれど、
秋は泪のネタが多いからだ。
私のあらゆる喪失体験が、ほぼ秋に集中しているからだ。

だから秋は、ちょっと心が揺れやすい。

Komurasaki2

Komurasaki

今年もコムラサキが、
綺麗に実をつけている。

今日の母は、
ちょっと幸せなおバカになっていて、
つまらないことでも
顔を間抜けに歪めて笑っている。

痰を吐き捨てたティシュが
ベッドガードにくくりつけた紙袋に
入っただけでも、笑っている。

私も嬉しくなる。

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秋分の日

9月23日。
今日は秋分の日だってね。
東京は陽射しが結構暑かったけど、それでもやっぱり爽やかだった。

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見上げるといつのまにか、すっかり秋の空。
ふん、チャッカリしてるのね。
なんて気になったりもする。
季節に置いてきぼりにされたような
気持ちになると、
そんなつまらないことも言いたくなる。

これは母の入院する、
中野の病院の前から見上げた、今日の空。

今日の母は比較的まともで、
私が来るのを「朝から待ってたの」なんて言う。

ああ、重いってば…。

「私のバッグの中に、1000万円の束がある」
だなんて言い出すから、ちょっとだけ焦る。

母は明日も、私が来るのを首を長くして待つのだろう。
動かない身体、伸びない足と回らない首で。

母の耳掃除をして、フケだらけのどうしようもない髪をブラッシングし、
「ああ~、気持ちいい…!」と感動してもらい、
顔を拭き、上半身の前面だけ拭き、身体の向きを計3回変えて、
「温かいお茶を飲みたい」という母のリクエストにこたえて、
売店でお茶を購入し、少しずつ飲ませて。
絶えず出る痰をティシュで拭きとってあげて「上手いわね」と褒められ。
手にクリームを塗ってやり、膝の裏の筋を擦りながら少しずつ伸ばし、
膝裏に枕をあてがってやり。
そうね、母にしてあげたことは、だいたいそんなとこかしら。

たったそれだけのことなのに、病院を出ると、
身体中に疲れがのしかかってくる。歩くのがやっとという感じだ。
これはもう、マックやモスやフレッシュネスバーガーなんかじゃ
癒やされない。

Siratamaan


そう思って、つい、
風月堂の喫茶店なんかに入って、
白玉クリームあんみつを注文。

ちょっと元気が出た。

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感情

また母の話題?

そうよ。だってこれしかないもの。
そうはいっても私だって、何も毎日毎時毎分毎秒、
母のことを考えているわけではないですからね。
違うことだってしてるもの。

本来の仕事だって、息子の学校のクラス委員のつまんない仕事だって、
それから時々は友達に会ったり、電話で長話したり、蜘蛛と闘ったり、
してるからね。

とはいえね…。

今日も夕方、今日はちょっと遅くなって18時前に、母の病室に到着した。
母は昨日よりは表情が穏やかで、それほど多くの幻覚も語らない。
だけど今、母の中では長女が大病を患って入院騒ぎになっていて、
私の顔を見るなり「T子はどうしたの?大丈夫なの?」と言う。

緊急手術でもするようなことを言うので、
「お姉ちゃんは大丈夫だよ。なんともないよ」と言うけれど、
母は私が秘密を隠していると思い込む。
母の妄想の中で姉はいつのまにか、卵巣も子宮も、
全摘することになっているらしい。大変だな、こりゃ。

家族がいるとナースは「じゃ、お薬お願いしますね」と言って、
薬を置いていく。
いつも飲んでいた漢方の54番(抑肝散)を、「540番」だと母は言い張る。
顆粒の量が多くって、母はこれを懸命に飲んでいる。
2回に分けていた時もあったが、1回で飲みたいと主張する時もあった。

今日は久しぶりに母に薬を飲ませたが、一度でいくと言った54番を、
母はどうしても飲み込むことができずに、結局全部吐き出した。
「喉の中に、細くて固い紐みたいなのが入ってるのよ」と言う。
嚥下障害もかなり進行しているのだろう。
「一度じゃ無理だった」と母も軽く後悔する。
それでもその後のカプセルや小さな錠剤は、ちゃんと飲むことができたし、
腸の粉薬も2回に分けてしっかり飲んだ。

口をゆすいで、歯を磨いて、
「歯磨き粉をつけて」と言うので、歯ブラシに少量つける。
「歯磨き粉、変えたわね?」と母が訊く。
味覚もだいぶ狂ってきているのだ。

「今日は遅くなっちゃったけど、明日はもっと早い時間に来るね」と言うと、
「うれしい」と、くっきりと母は言う。
母の「うれしい」は傍で聞くと少しも感情がこもっていないような、
そんな硬い言い方だ。
石に刻まれたような、硬くて重い「うれしい」は、
私の心にずっしりと、やっぱり重たくのしかかってくる。

帰り際は優しく。そしてサッパリと明るく。
私はそう心がけている。
母のおでこと髪に触り、「また明日来るね」と声をかけると、
母は無表情のまま「ありがとう」と応える。

いろいろなことが混沌として、ワケがわからなくなっても、
人間は最期まで、気持ちを感じ取るアンテナは折れないんだ。
嬉しい。哀しい。不安だ。腹立たしい。そして
自分は愛されているか。
大切にされているか。
誰かに疎まれてはいないか。
そういった感受性は、もしかしたらより鋭敏になっていくのかもしれない。

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だけど心は生きている

母のベッドサイドには、蓄尿の袋がぶら下がっている。
昨日の夕方以降、いつからかはわからないが、
母は導尿されていたのだ。
「オシッコが出なくなったの」と母は言う。

母の腕には点滴の管、胸には心電計が装着されていて、
細い管が何本も絡み合っている。
心電図はナースステーションでモニター監視されている。
下半身からは導尿の管だ。
身体中管を装着されて、母の口から入れられるものといったら、
薬と少量の水分だけだ。
母の唇と歯には、白い粉薬が付着している。

点滴の袋から入ったものが、身体の中を通ってただ、
導尿の袋に収まっていく。
相変わらずお腹の音はものすごくって、ガスはすぐに溜まる。
百獣の王ライオンがお腹の中で吠えているような、
ものすごい迫力のある音だ。
便もガスも出ないので、昨日はまた、ガス抜きをしたようだ。

昨日あたりから母の幻覚はものすごくって、
もう完全に、どこか別の世界の人になってしまっている。
話すことのほとんどが、ワケのわからないことばかりになってしまった。
私達には見えないものをアレコレと、「ほら、見てごらんよ!」と言うので、
つい曖昧な返事をすると、「何怖がってるのよ?」とか
「そうやって私を馬鹿にして!」と、小さな声で母は怒る。
自分には見えているもの、見えている世界を、
そのまま相手が理解してくれないことに対して、母は腹を立てている。
深い孤独を感じている。

母はもう、声が出ない。
母の顔に耳を近づけなければ、聞き取ることが難しい。

「明日は誰と逢うんだっけ?」と母は訊く。
どこかの料亭で、京都から出てくる人と逢う約束があるらしい。
「明日はS信用金庫のUさんと逢う約束があるだけよ」と姉が言うと、
母はシラッとしている。
そうではないのだ。母は自分が誰かと逢うつもりなのだ。
京都から出てくる、誰か素敵な男性と逢う約束をしているのだ。

母はニヤッと薄笑いを浮かべながら、
「妄想だからね」と言う。
母は妄想の中でだけ今、人生を楽しんでいるのだろうか。

「ああ、お風呂に入ってこようかなぁ」と母は呟く。
「ああ、また今日もお風呂に入れなかった」と言う。
「そうだね。早くお風呂に入りたいよねぇ…」
そんなふうに私達は、言うことしかできない。
母の今の体力では、とても入浴など無理だろう。

今朝、母が死ぬ夢をみた。
私は誰かと一緒で、自転車をどこかへ置き忘れたり
要領の悪いことをして遅くなって病院に着いたら、
姉達がベッド周りに立ち尽くしていて、
医師がチューブなどをきちんと巻いて整頓している。
「私、間に合わなかったの!?」と姉に訊くと、姉が静かに頷く。

「ウソだよ!ほら、まだ心臓が動いているじゃない!」と
私が言うと、本当に母の胸は微かに上下して、
そうして目を開けて、母は私を見つめたのだ。
抱きしめた母の、しっとりとした頬の感触を生々しく感じて、目が覚めた。

久しぶりに、寝起きから泪。

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「優しい、いい子だよ」

母の熱は7度ちょっとまで下がった。
ベッドに横たわる母は、以前と同じ顔をしている。
だけど今回入院して変わったことは、
寝ている時間が増えたということだ。
母はぼんやりと宙を見つめ、そして次の瞬間には
静かに寝息をたてていたりする。

姉の話によると、母は昨日病室を訪ねた人を
全部はよく憶えていないらしいので、
「Rが来たのは憶えてる?」と、息子の名を挙げた。
「ふたりで長いこと見つめ合っていたけど?」と私が言うと、
「当たり前じゃない。わからないで見つめたりしないわよ」と言う。

「あの子は優しい子だよ」と、息子のことを母はそう言う。
「うん。すごく優しいよ」と私が返すと。
「『アンタは優しい、いい子だよ』って言おうと思ったんだけど、
恥ずかしくって言えなかった」と、母が呟く。

母はなかなか、人を褒めることが苦手な人なのだ。

昨日病室を久しぶりに見舞い、
祖母の変貌ぶりに驚いて、祖母の泪に感動してしまった息子は
「明日も行くよ」と言っていた。
そして約束どおり、学校帰りに病室を訪れた。

母は満足げに、嬉しそうに息子の顔を凝視する。
息子はもう、テレにテレてしまって、顔をタオルで半分隠す。
「おばさん連中に見られるのを、慣れておかなくちゃダメだ」
などと、意味のわかるようなわからないようなことを母は言う。

そろそろ帰ろうかという頃に、母がまた息子に向かって
手を差し出すので、二人は今日も握手をした。
手を離すタイミングがつかめなくって、息子はいつまでも
母の手を握っている。

「アンタは優しくて、いい子だよ」と、
母は息子を見上げながら静かに言う。
照れくさそうに息子が「ありがとう」と言う。

あら、今日も感動的なシーンを見ちゃったわ。

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疲労

病院からの帰り道、
自分がどうしようもなく疲れていることに気づく。

一昨日まで口数が多く、空腹を訴えていた母が昨日、
朝からまた発熱した。
お昼頃には38度台になったらしく、血液検査の結果
肝臓の数値が著しく悪化していることが発覚したとのことだった。

昨日の夕方4時半ごろ、病院に到着した時、ベッドは空っぽだった。
ナースに訊くと、検査に行っているという。
ストレッチャーで病室に戻ってきた母は、目をつぶったまま反応しない。
若い主治医(まだ研修医)から説明を受ける。

胆嚢炎だという。
胆石は見当たらないけれど、明らかに炎症が起きているという。
しかしなんら痛みはない。熱だけがあり、時々震えが起きる。
「熱が上がるんだわ」とナースは言う。
点滴の針のところの傷近く、皮膚が赤く腫れて熱をもっている。
皮膚科の女医は、今回の発熱に対して
何かいいわけがましいことをまくしたてる。
内科の主治医が目配せし、「胆嚢から来てますから」と言う。
「じゃ、プライマリーってことじゃなくセカンダリーってことね」と
女医は曖昧に誤魔化そうとする。気分が悪い。

主治医に危険度を尋ねると、大丈夫だという。
胆嚢炎というのは重い症状ではあるけれど、抗生剤の投与で
治るはずだという。まれにどの抗生剤も効かない菌はあるけれど、という。

母の額に触れても声をかけても反応しない。
それでもナースの問いかけにはどうにか応じる。
手足がガタガタ震えるので「寒いの?」と訊くと頷く。
薬を飲ませるというレベルではなく、なす術もなく、
だけど周りはいたって冷静なので、私はナースに一言声をかけて帰宅。

ネットで調べると色々な不安が押し寄せる。
軽井沢から帰宅した姉に話すと、姉が急に不安がる。
眠っていると思っていたけれど、あれはひょっとして
意識レベルが低下しているのではないか?等々…
「今から病院に行こうよ」と、姉が言う。
結局夜の9時半ごろ、姉の長男の運転する車で病院へ。

夜勤のナースは「ご心配なら付き添って構いませんよ」
宿直の内科医に話を聞くと、カルテをみたうえで一般論を話す。
普通は手術であること、体力を考えるとできないこと、
明日ドレナージを行う可能性はあること、ここを乗り越えられるかどうかは
本人の体力次第であること、最善の努力をすること。
そんな厳しい言葉を裏付けるように、母は時々顔を歪ませながら、
口を大きく開けて何の反応もしない。
姉は泣く。姉が泣くから私は泣けなくなる。

「何かあったらすぐにお電話しますから」と、三女である私の電話番号を
第一連絡先にしてあるので、ナースが番号を確認する。

帰宅してからも、私が寝付けないのは言うまでもない。
今までのいろんな思い出が頭の中を巡った。
最後に母と外でお茶をしたのは、アデンランスの帰り道、
三越で車椅子を借りて買い物し、甘味やさんであんみつを
食べたんだっけな、とか。
お葬式のことだとか、喪服のことだとか、
緊急連絡先を控えたメモはどこへやったっけ?とか。
寝付けないまま夜中の3時ごろトイレに行き、
その後どうにか眠りについた。

5時半過ぎに起きて、お弁当をつくって、
憂鬱になっている息子を見送って、
8時に姉と家を出て、タクシーに乗って、病院へ。

母は相変わらずだ。ゆうべは39度5分まで出たという熱も、
朝は7度台に下がった。
だけど午後にはまた9度近くに上昇。
仕事のため9時半に姉は帰宅。私は今日仕事がなかったので、
結局夕方まで、ずっと病室に付き添っていた。

夢をみているのか母は、腕をいろいろに動かす。
何かを掴もうとしているので、私が手を握る。
母が目を開け、「あっちゃん。あっちゃん」と、
小さいけれどしっかりした声で私に呼びかける。

「あっちゃん」と言うので「なあに?」と訊くと、
「あっちゃん」と、くっきりと私を見つめて言う。
このまま死んじゃうような気がして、「お母さん」と、
額を撫でながら呼びかける。
すると母はまた、すぅっと目を閉じてしまう。
私はしばらく泪が止まらなくって、こっそりと鼻をかむ。
母は聞こえているんだかいないんだかわからないけれど。

学校がえりの息子が病院に寄って、母を見つめると、
母は眼をしっかり見開いて、長いこと息子を見つめる。
最近私経由で母からおこづかいをもらったお礼に、息子が
「ありがとう」と言うと、母がゆっくり手を上げるので、
息子がその手を握る。
母はじっと見つめながら小さく頷いて、眉間を曇らせて涙ぐむ。

私と息子だけがやたらに感動的なシーンを演出して、
二番目の姉と交替し、病室を去った。
母はもしかしたらもう、本当に死んじゃうのか。
あんなにイヤがっていた病院で、死なせてしまうのか。

そんなふうに胸がいっぱいになっていたら、
病院から戻った姉が報告しにやってきた。
母はその後、すっかり元に戻ったとのだという。
声は小さいものの、いつもどおり口うるさく、我儘で、注文が多い。
お腹が空いた、あそこが痛い、あれを塗れ等、
何かと不平を漏らし、注文をつけ始めたという。
とりあえず、胸を撫で下ろす。

今回の胆嚢炎は、本来のレビー小体病とは直接の因果関係はない。
まったく別個に突発的に起こったことだという。
だけど抵抗力が弱っていると、きっとこうやって
何かしらのアクシデントが起きて、あれよあれよと言う間に
激変するのかなという気がする。
これからまだ、いくつもの山を越えるのだろうか。
越えられるのだろうか。

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母は空腹を訴える。
気の毒だと思う。

今日も夕方しか病院へ行けなかったので、
医師と話す機会がないなと思っていたら、
そもそも病室に医師が足を運ぶこともなかったという。
母は今後の展開を気にしている。
早くご飯を食べたい。そして早く、ホームに帰りたいのだ。
自宅ではなく、ホームに戻りたいという母の気持ちが、
娘としては物足りないけれど、正直とても有難い。

食欲のある母は点滴の中に、いろいろなものを見る。
昨日はハマグリ。
今日はビーフステーキ。

「牛肉が入ってるでしょ。食べたいなあ…」と言う。

「昨日はね、素敵な靴が入ってたの。
香水の瓶も。この点滴はうちがお金を出してるんだから、貰えるのよね?
カツオだとかは要らないけど、香水なら…」
と、母はささやかな欲を語る。
母は鮪の赤身以外の魚は、ほとんど好まない人だ。
なるほど鰹なんか、興味ないんだな。

点滴の中に夢を追い、何もない病室の白い壁にまた、様々なものを見る。
「そこの仏壇。飼ってた死んだ猿の頭なんか、置いちゃって。
私、そういう気持ち悪いことされるのイヤなのよね」
という、いつものパターンだ。
「死んだ赤ん坊の写真なんか飾っちゃって…」と顔をしかめる。

隣の部屋では工事をしていて、トンテンカンと一日中、
「ほんと、働き者だよ」と言う。
「子供が帰ってきて宿題してても、構わずやってる。
ま、自分の家だからね」
と、まったくもってワケがわからない。

母の語る様々な幻覚や妄想に、人間の原始的な欲求を見る。

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命を繋ぐもの

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母の幻覚は、日増しにシュールになっていく。

「ほら、見て。点滴の水の中に、
いろんなものが入ってるのよ」

私 「何が入ってるの?」

「馬でしょ。牛…。魚もいる」

私 「え?じゃ、牛の栄養とかが、点滴に入っていくの?」

「違うわよ。摸造だもの。
…ほら、どんどん吸い込まれていくでしょ、穴の中に」

点滴の袋の下部の、チューブに繋がる部分に向かって、
馬や牛の身体がバラバラに砕かれて吸い込まれていくのだという。

「ほら。黒と白の乳牛よ。顔だけになって吸い込まれていく。
しかしよくできてるわよね。あそこからここまでの間だけで、
ちゃんと処理しちゃうんだもんね」

私が返答に困っていると、母は私を嬉しそうに見つめて、
「アンタ、怖いんでしょ?」と笑う。

「今度はクジラだ…」

「あ、サンマだ…」

母はずっと点滴の袋の中身を見つめている。

「昨日なんか、モナカも入ってたのよ。
粒餡のモナカ。餡子がもったいなあって思ってた。
わらび餅も入ってた」

母は今週の月曜日から、今日で絶食6日目だ。
だけど母は8日経ったと言い張る。
ご飯を食べる夢を見たと話す。
「みんなが食べてるから、私もついつられて食べちゃったのよ。
しまった!と思って。そしたら 『また一からやり直し!』って言われて…」

「もういいかげん、今日あたりが限界。
食べたら腸が動くと思うのよ、私は。
ご飯を食べれば腸が動いて、そうしないことには始まらないと
私は考えてるのよ」

そう主張する。

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入院して、点滴に繋がれてから、
母は一度も起き上がっていない。
レントゲンは毎日、病室に回ってくる。
介護ホームにいる時と比べ、
オムツ替えの頻度もぐんと減り、
もちろん入浴どころではない。

母は完璧に寝たきりになり、
不衛生になっていく。
母の手は上手く動かないので、
いつも何かを指差しているような、
そんな形をしている。

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幻覚ふたたび

入院したとたんに、幻覚。

これはやっぱりもう、病院という
特別な環境がもたらすものなのだろうか。

幻覚を抑えるための抑肝散という漢方薬は量も多く、
顆粒の粒も大きく、とても飲みづらそうなものだ。
ホーム提携のドクターSは、一日1回でもいいんじゃないかと
薬を減らしたばかりだった。

医師の指示のもとに減薬したことを病院のナースに説明したけれど、
今日出された薬はまた、処方が変わっていた。
こちらの医師のチェックが入ったのだろうか。

抑肝散は一日2回(以前は毎食後)に増えていた。
それにしてもいきなりの幻覚。

部屋出口のカーテンを見て、
「キャバレーのようにけばけばしい玉すだれだ」と言う。
「片側が金色で片側が銀色」だと言う。

天井の照明を見つめて、
「イヤだ。雀がいる。しいたけのカサの裏に雀…」

などと、なんとも可愛らしいようなブキミなような光景を語る。
少しだけ愕然としながらも、ちょっとだけウキッ♪
とする、自分がいたりする。

母は一日中点滴に繋がれたまま、絶食状態だ。
いくらかの水と薬だけ。
明日はおそらくまた、スコープ注入、の予定。

早く、ホームに帰ろうね。

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入院

母のいるホームの看護師の判断で、昨日ドクターSに往診してもらった。
母のお腹があまりにもパンパンで、しばらく便も出ていないから。

ドクターSは、腸閉塞の疑いもあるとして、母が入院していた病院に連絡をとり、
母を搬送することに決めた。

私は昨日の昼間、ヨガを終えてトイレを済ませ、さあ帰ろうとしていたところへ
姉から携帯に電話。
急遽新宿からタクシーで、中野へ向かった。

ホームの介護スタッフと運転手のおじさんが病院で待っていてくださる。
ホームの介護車で母を病院まで連れてきてくださった。
介護士が医師に、最近の症状を説明してくださったとのこと。

腸のCTを撮ると、母の腸管はパンパンに腫れあがっているという。
水分とガスが大量に溜まっていると説明を受ける。
早速別の場所に移って、大腸へスコープを入れ、中のガス等を出す処置をする。

「入院です」と医師は言うので、ホームの方に母の車椅子と共に、
いったん戻っていただいた。
「あとで入院に必要なものをもう一度こちらまでお持ちいたします」と
おっしゃる。おお、そこまでしてもらえるのか。感謝である。
もちろん今回付添料として、きちんと料金が発生していることは知っているが。

母はなかなか出てこない。
1時間半は待っただろうか。
担当の内科医が出てきて「1リットルの便を出しました」と説明される。
ガスと便を出してとりあえずお腹はぺちゃんこになったけれど、
それでもまだ、S状結腸のあたりまでしかいっていない。全体の6割だという。
閉塞などはなさそうだけれど、あまり無理をすると
腸管を傷つける恐れがあるので、後日また行うとのこと。

「放っておいて腸管が破裂したら、すぐオペになっちゃいますからね」
って医師は言う。
ガスと便で腸管破裂だなんて、そんなこと、あるんかな。

母は食事も水分も摂っていないので、点滴をしている。
そうでなくても最近、ほとんどまともな食事をしていない。
病室に案内された母は、再び絶望する。
「またココに舞い戻ってきちゃった」

病室の階が違い、今度の部屋はずいぶんおしゃれで綺麗な部屋だ。
以前は産婦人科病棟だったという。部屋のドアもピンク色だ。

おしっこが2回も出ちゃったから、看護師を呼んでと母は言う。
無理を承知で傍にいた看護師に訊いてみると、案の定きっぱりと
「時間が決まってますから!」と言われてしまう。
老人が多いこの病院で、ひとりひとりにオムツ替えなどを対応していたら
とても手が足らない。介護施設と病院の違いだ。

神経質で眠りの浅い母はホームで、
夜中におしっこが1回出るたびにコールして、
オムツのパッドを交換してもらっていた。なんという贅沢。

「お母さん、オムツはね、おしっこ4回分くらい漏れないようにできてるんだから、
大丈夫なんだよ」と安心させようとするが、
それでも母は絶望的な顔をしている。仕方無い、病院なんだから。

「○○さんがね、ホームを出る時泣いてたの。
ゆびきりしたの。きっと帰ってきてねって…」と言って、
母は目に泪をいっぱいにためる。

「大丈夫だよ。点滴して身体が少し元気になって、
腸の具合が良くなったら、すぐに戻れるよ」

最近母の前で私は、無意識に仕事モードにスイッチを切り替えるようだ。
だから母の泪を見ても、泣かずにいられる。
ギリギリでセーブして、きちんと言葉を返すことができる。
鍛えられたと思う。

スタッフが入れ替わり立ち替わり部屋に来て、
なんやかやお世話してくれた快適なホームから一転、
母はしばらくまた、監獄に入った気分だろう。
私たちもまた、とりあえず少しの間(と期待する)、病院通いの日々が始まる。

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「食べたくない!」

「ああ、もう、ご飯食べたくないっ!」と、
眉間に皺を寄せて、母は言う。

「ここのご飯は不味いわね」って。
入所当時は「料亭並みの味」って言ってたのに、
どんどん味覚も変わり、食欲も落ち、
「モソモソしたものは食べられないのよ」と言う。

だからおやつに出るドラ焼きなんかは、見たくもない。
ホームの手作りの抹茶ムースはやわらかいけれど、
「甘すぎる」と言って、ふた口で「要らないっ」と拒む。

母は短時間の間に、何度もスイッチが入ったり切れたりする。
これもこの病気の患者によくあることのようだ。
今の今まで私とまあまあ普通に会話していたと思ったのに、
看護師さんが見えて話をしている間に、
急にスイッチが切れて、反応しなくなる。
目を合わせなくなって、問いかけにも応えない。
わずかな瞬きで、質問に答えている。
聞いているのかいないのかさえ、周りには判らない。

「垢を取ってよ!」と、厳しい口調の小声で命令される。
手指からぽろぽろと皮が剥けるのだという。
温かいタオルで手を蒸してから、指をマッサージしろと。
言われたとおりにすると、なるほど白いポロポロが落ちる。

今日はまた唐突に、「指を揉んでよ!」と命じられる。
「オリーブオイルを一滴たらしてからマッサージするといいの」
と、指示が出る。言われたとおりにすると、
「ああ、気持ちいい」と言う。

「明日の服、出していってよ!」と、帰り際に必ず言われる。
そんなのは朝、スタッフと適当に話して決めて、出してもらって
着替えさせてもらえばいいだけのことなのに、
なんやかや、面倒に感じるらしく、家族にしてもらいたがる。
カゴの中に翌日着る下着のシャツと長袖のシャツ、パンツを用意させる。
「シャツは何色?」と訊くと、「オレンジ!」と、明確に答えが返ってくる。
母なりのローテーションなどがあるらしい。

スイッチが切れたときの母は、誰とも目が合わない。
斜め上の宙を見つめていて、どこかへ行っちゃってる。

とことん暗い、この頃の女帝である。

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54年前

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これは私の好きな、
両親の結婚式の集合写真。

母が数年前に、
「これ、持ってて」と、
何故か私に託した。

父24歳、母22歳。

今思えば、まだ子供じゃん。

昔の人は、しっかりしていたな。

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減薬

母が介護ホームに入所して、今日初めて内科医の回診があった。
都内にいくつかのクリニックを持つグループで、
主に老人介護ホームと連携した形で訪問診療をしているところだ。

初回の回診に立ち会ってとの要請で、
私は朝からホームでスタンバイしていた。
ホームのスタッフさんから「竹之内豊に似たイケメン」と聞かされていたが、
ほんとにドクターはえらく綺麗な顔立ちをした男性だった。
おまけに優しい。

それまで母は虚ろな眼で、ほとんど私にも話さなかったのに、
イケメンドクターに対しては、はっきりと言葉を話す。

母の異常なお腹の音、聴診器を当てて、
「ほんとだ、お腹がガスでパンパンだね」とドクターは言う。
母のお腹をぽんぽんすると、ほんとにものすごくいい音がする。
中に空気がいっぱい入っているような音だ。

大量に飲んでいた薬を、重要なもの以外整理していこうという
話になった。整腸剤の類いも飲みすぎで、血圧を上げる薬も飲みすぎで、
だからちょっと一部分を思い切ってストップしてみましょうと。

「お薬、減りますよ」と看護師の女性スタッフが言うと、
「嬉しいです」と母は静かに喜ぶ。久しぶりに笑顔を見せる。
「薬を飲むのが地獄でした」と母は言う。

母が入院していて、先日受診しにいった総合病院の科長ドクターは、
まったく適当だった。
薬の調整が目的だったので、退院後の状態を熱心に語ったのに、
「ま、薬は下手に変えないほうがいいな」と言い、
そのまんまゴッソリの薬の処方箋を渡されただけだった。

私が母の車椅子を押して退室し、その後姉が食い下がって訊いたところ、
進行性の病気だから仕方ないと。
このまま悪化したら、老人病院等に入院するしかないだろうと。
先のない老人に対して、少しでもラクに過ごせるように、
生きられるようにと、考える気持ちなんか、かけらもなかった。

イケメンドクターSは、前向きな方向で話を進める。
聞いていると、やがて母の病気は治って、
元気に歩き回れるような、そんな錯覚に陥りそうだった。
母の中に、希望の光が射し込んでいたことは間違いない。

ドクターSが「バイバイ!」と優しく母に手を振って病室から出ると、
「なんだか安心したわ…」と、母は小さく呟く。
そうして、「今日、お風呂なの。診察があって気疲れしちゃうから
やめようかと思ってたけど、入ろうかな」と言い、
自分からナースコールをする。

やっぱり人の気持ちを動かすのは、
優しい言葉と優しい眼差し。
そして同じ言葉と気持ちなら、顔立ちが綺麗なほうが力があるんだな。
世の美男美女はそのパワーを、最大限に活かす努力をしてほしいよ。

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八月の終わり

長かったんだかあっという間だったんだか、
自分でもまったくわからない八月の、最終日。
おまけに日曜日だったりして。

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「私、七月には歩けたでしょ。
八月には寝たきりよ。
九月になったらもう、後がないじゃない…」

今日の母は思いっきり鬱で、
目にうっすら泪をため、
小さな声で呟くばかりだ。

ホームの中の、大好きなスタッフが辞めてしまうこと。
ひとり個性の強すぎる人がいて、いろんなことをズケズケ言うこと。
その人の言うことと看護師の言うことが矛盾していて、
どちらを信じればいいのかわからなくなること。

「次々にご飯と薬とおやつと…。もう、そんなに食べられないのよ!」

母は声を絞り出すようにして、言う。
母は明らかに栄養が足りていないと思う。食べられないのだ。
先日医師から勧められて購入した、テルミールという、
高エネルギー&バランス栄養食のドリンクパックも、なかなか飲むことができない。
1パック200キロカロリー。1日3本飲めば、
それだけで最低600キロカロリーは摂取できる計算だ。

「午前中に、やっと1本飲んだのよ。夜までにまた飲まなくちゃ…」
と泪目のまま言う。
宿題をしないと先生に怒られると、怯える子供みたいに。

「別にそれは義務じゃないのよ。無理しなくていいいのよ」
と言ってしまう私はダメなんだろうか。
半ば強引にでも、飲ませること、生きることを強いたほうがいいのだろうか。

でも、何のために…?

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秋の空 秋の風

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どれだけ大雨が降るのかと心配していたら、
午後、いつのまにか晴れ渡り、
久しぶりに青空を仰ぐことができた。

午後の仕事を終えてから、
母のいる介護ホームへ向かった。
行く途中帰る途中、
空と雲の美しさに夢中になる。


ホームへ着いて母の部屋の扉を開けると、
看護師と介護士の女性スタッフが、
母の足元に跪いて寄り添っていた。

母はポータブルトイレに座り、3日だか4日だかぶりの排便に励んでいた。
二人のスタッフはリズミカルに母の下腹部を押し続けながら
「どうも~、こんにちは~!」と明るく私に挨拶をする。
可笑しな光景だが、本当に頭の下がる思いで、とりあえずその場を離れる。

ポータブルトイレに座る母の後ろ姿は大きくて立派で、
なんだか後光が射しているいるようにも見えたわ。
やはり女帝よ、女帝。女帝の貫禄よ。

本日の女帝は、いくらか前向き。
「リハビリで身体を動かしましょう。
一日一時間でもいいからテレビをつけて、音を耳に入れましょう」
入浴をしてサッパリしたところへ男性スタッフから優しくそう言われ、
すっかりその気になっている。いいことだと思う。

「みんな部屋を出る前に、必ず手とか足に触れて話していくのよ」
と、母が言う。
そうね、ボディタッチは大事だわ。
手に触れ、目を見ながらゆっくり話す。
寝たきりの老人には、たまらない癒やしだわ。

帰り際、「そうそう、こうやって手を握って話すのよね」と、
母の手を握り、「また来るからね」と言ってみる。
前髪に触れ、頬を撫でてみる。
母は満足そうな表情を浮かべる。

母は帰ってほしくなくって、出口に向かう私に、何度も声をかける。
「そうだ、アレはどうしたの?」とか「アソコには連絡したの?」とか。
結局3度も母の元へ戻り、話をして、
だけど断ち切るために、私はいつも、同じ台詞を口にしてから部屋を去る。

「またね。また来るからね!」

そう言って、少し離れたベッドに横たわる母に、元気に手を振ってみせる。
母はあまりよく動かない手で、私に手を振り返す。

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酔う

酔ってみたいわね、お酒とかさ。
誰かの美しい歌声とかさ。
幸せとかにね。

幸福に酔いしれる…、いい言葉だわ。

だけど今日の私はそんなふうではもちろんなくって、
ただ、介護タクシーに酔ったのよ。
だって最近よく頼んでいる介護タクシーのワゴン車は小さくて、
車椅子も後ろ向き。同乗者の座席シートも後ろ向きに回転させてあって
(車椅子スペースのためにそうせざるを得ない。狭いから)
私は今日も後ろ向きに乗っていたら、気持ちが悪くなったのだ。

今日はいろんな事情から、母を予定よりも一週間ほど早く
受診させるために、介護タクシーを使って、
今月中旬まで入院していた病院へ向かったのだ。

背もたれつきの巨大車椅子で、狭い院内をズンズンと進んでいくと、
皆一様にひれ伏していく。
っていうのはウソだけど、時々通路のベンチにひっかかり、
そのたび周りの患者さんがベンチを動かしてくれたり、
手を貸したりしてくれる。

大きな車椅子に乗った無表情の大きな母を、
小さい娘たちが押している姿は、きっと哀れを誘うんじゃないかしら。

なんやかんや、面倒なことを終えて、
相変わらず医師の対応はたいしたことはなく、親身な様子もなく、
進行していく病気だから仕方ないね的な対応でしかなく、
なんともやりきれない気持ちで私達は、やはり病院を変えようと
決意を固くして、病院を去ったのだった。

帰りも介護タクシーの同じおっちゃんに連絡をして、迎えに来てもらった。
空腹のせいもあってか、後ろ向きで発車して間もなく、
吐き気をもよおし、母は姉に任せて私だけおろしてもらおうと思ったが、
おっちゃんに助手席への移動を勧められ、隣に移った。
少しは回復したものの、シートの角度が直角で
(後ろのシートを回転させているため。狭いから)
胃が圧迫され、車酔いに堪えながら介護ホームへ到着した。

夜になっても、酔いがさめない。
さめないとは言わないか。治らない。ああ、気持ち悪い…。

私は明日、横浜へ現実逃避の旅。
たった1泊だけど。
ほんの少しだけリッチな、キングサイズダブルベッド独り占めの夜。
ちょっと虚しい。

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病気

母はやっぱり「病気」なんだと、つくづく思う。

介護ホームの若い看護師さん、介護士さん、ヘルパーさん…
どういう呼び名かはわからないけれど、
実際にどこまでレビー小体病の患者を見てきただろうか。

「お母様はまだお若いですから、治す方向で私たちも…」と、
一生懸命に力説してくださるのは嬉しい。
「お母様も、治りたいというお気持ちはあるんです」とおっしゃる。
そう、そのとおりなんです。

でもね。
母の病気は治ることはないのだ。
発症してだいたい7年で…、どんなに長くとも10年を超えて
生きることはないといわれている病気だ。
母の起立性低血圧などの症状が始まってから、
すでに7年近く経っている。
それがパーキンソン症状だとは判らなかっただけで。
ましてやレビー小体病などという病気だとは、
周りの医師の誰一人も判らなかった
(正確には知識がなかった)だけで…。

母の自律神経はめちゃめちゃだ。
昇圧剤のせいか、寝ている時の血圧はとても高い。
今日は「頭が痛い」と言う。おそらく血圧が高いのだ。
だけど座位にすると、たちまち血圧はどうしようもなく下がる。
今日も午後のポータブルトイレへの移動をスタッフは諦めた。
母の気分が悪いからだ。

母のお腹は信じがたいほど大きな音をたててぐ~ぐ~と鳴る。
整腸剤と下剤を用いなければ、母は便が出ない。
摂取した水分は、痰がからんだ状態で口から戻ってくる。
食事もあまり食べられない。

美味しいご飯も素敵な明るいダイニングも、
母には何の意味も為さない。
病院と同じように、自室で食べさせてもらう。
私たち娘から、もっと若い優しいスタッフに代わっただけだ。

もしかしたら案外早く、ホームから出なくてはいけなくなるのではないか、
そんな予感もしている。入院が必要になるかもしれない。
今まで入院していた病院で最期を迎えさせるのは、
どうにも気の毒な気がする。母も嫌がっていたからだ。
それじゃあどうする?セカンドオピニオンをとって、
どこか別の病院を?ブログで読んだあそこのクリニック?
等々、姉と電話でやりとりする。答えは出ない。

ここ3日ほど、母の顔は地の底を這うように、救いがたく、暗い。
無表情で、ほんとうにもう、どうしようもなく、暗い。
「首が痛い」と言う。「膝がまた痛み出した」と言う。
「足先が固まってしまった」と言う。

ほんとうに、いっそ呆けてしまえばいいのにと、心から思う。

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普通の生活

普通の生活が懐かしい。

子供が朝出て行って、家事をして仕事をして、
買い物に行って、夕飯の支度をして…。

6月の中頃から、かなり母の具合に振り回され、
7月の頭からは完全に、母母母で過ごしてきた。
その合間に仕事だとか家事だとか雑用だとか。

なんだかもう、疲れたなあ…
いろんなことに、疲れちゃったよ。
…とかいっても全然元気。
身体はしっかり動くし、基本的には平常心。どすこい。

だけどこのひと月半、料理時間が圧倒的に減った。
子供をほったらかして家を空けざるを得ないことも多かったし、
帰宅が遅くなって、できあいのものを買って帰ったり、
疲れ果ててデリバリーに頼ったこともあったしな。
だからガス代がぐんと減りました。その代り、食費がアップしたわね。


今日の母は比較的穏やかで、やっぱり母の具合も機嫌も、
日替わりでころころ変わる。
今日はいいからきっと明日はよくないぞ。

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ああ、何回来ても、きれいなホーム。
私もここに住みたいよ。

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生きる意味

憂鬱である。
今日はすっかり気持ちが滅入ってしまった。

介護ホームでは昨日今日と夏祭りのイベントがあったそうだ。
私は直接見ることはなかったが、室内で色々な催し物があり、
母も一応参加するものの、途中で気分が悪くなったそうだ。

歩いたり唄ったり踊ったりできる入居者の方を横目に、
「もう自分には関係のない世界」と、母はどんな思いでいただろうか。

私は今日夕方ちょこっと顔を出した。
ちょこっとでありたいと思ったけれど、6週間も入院していた母には、
病院とホームとの差がまだよく理解できない。
私に沢山のことを要求する。
血圧を測りにこないだとか、愚痴をこぼす。

スタッフに問うと、基本的に血圧は入浴前にだけ測るということがわかる。
「ここは病院じゃないからね」と母を説得する。
食事は2時間の枠が設けられており、好きなときにダイニングルームへ
出向いて、食事をとればいいことになっている。

6時半ごろスタッフが、ダイニングにいる4名の女性と顔合わせをしようと
母を迎えに来た。母はまだお腹が空いていなかったけれど、
しぶしぶ応じ、暑いのにお洒落な上着を羽織って車椅子で運ばれていった。

テーブルに4人のおしゃれなおばあちゃま方が座っていて、食事をしている。
スタッフが母を紹介する。母はどうにか無理に笑顔をつくろうとする。
独特の雰囲気が漂う。その中の、特に昔はすごく美人だったろう2名の
おばあちゃまは、お金持ち特有のちょっと高飛車なオーラを放つ。

隣のテーブルに移った母は、気分が悪くなってしまう。
「気持ちが悪い」と言うので、スタッフに謝り、自室に引き上げることにした。
結局母は、自室で食事をとる。今日の朝も昼も、そんなふうだったという。

「私のこと、頭の先から爪先まで眺めて…!
ああいうの、大っ嫌いなのよ!」と、母は小声で怒りを表す。
「あの人たち、お化粧教室に参加したのね」と、久しぶりにまた、
おかしな妄想が始まる。
部屋の奥でお化粧教室というのが開催されていて、
さっきの女性たちはそこでしっかりとメイクをしたというのだ。
私の見たところ、4名の方はほとんどノーメイクかほんの薄化粧だったけれど、
「濃い口紅つけて。青いアイシャドーなんかつけて…」と、母は憎々しげに呟く。

今日のスタッフのうちの一人の中年女性は、
まだヘルパーの資格を取ったばかりといった感じで、とても不慣れだった。
部屋に食事を運んでくれて、まだ車椅子のままの母を見て、
どうしたらいいのかわからない。とりあえず椅子をもってくるのだけれど、
なんだかオロオロしている。今夜は明らかに人手が足りていないように見える。
「家族がいるなら食べさせて」というオーラを私に向けてくる。

私が介助してもいいけれど、私がいつも来られるわけではないし、
母が勘違いしても困るので…ということを伝えたが、曖昧な返事をする。
「じゃあ、今夜は私が食べさせます」と言うと、「じゃあお願いします」と
引き下がる。それはちょっと違うだろうと思ったが、
気の毒なので黙っておいた。彼女がテンパッテいるのがわかったからだ。

母は食事を8割以上残す。
「もう、たくさん…!」と顔を歪める。
母の腸は異常なほど音をたてていて、母は今日もまだ、充分に便が出ていない。
どれだけ酷いことになるのか、どんな屈辱を味わうのか、
母はそれを怖れている。

歯磨き介助は何時ごろか母に訊ねると、「そんなもの、ないわよ」と言う。
そんなはずはないのだが、結局食後に私が歯を磨く。
そうすると「ああ、これで終わった…」と苦しそうに呟く。
これで今日一日のノルマを達成したという意味らしい。

ベッドに移動させてもらうためにコールをする。
ベッドに移り、スタッフが去ると、「パジャマに着替えさせて!」と母が言う。
こういうふうに命令口調になったり、家族に依存的になったりするのも、
この病気の特徴らしいから仕方ない。
「もう少ししたら、着替えさせてくれるんじゃない?」と言うと、
「男の人が着替えさせるんだもの。イヤよ!」と言う。
オムツ交換は男でもいいのに、どうして着替えはダメなのよと不思議に思うが、
まあ言っても無駄なので、黙っておいた。

4時に家を出て、結局帰宅できたのは8時を過ぎてしまった。
これじゃ病院より長いじゃないの。
たまたま今夜のスタッフが不慣れなだけで、こんなことはないはずと祈りつつ、
なんだかゲッソリしてしまった。
「私たちだっていつもこんなふうに来られないのよ」と、強く言いたいけれど、
母を傷つけると想うと、どうしてもソフトで曖昧な言い方になってしまう。

スタッフの女性に母の具合について伝えておいたけれど、
レビー小体病については全く無知なようだった。
今30名に増えた入居者のうち、パーキンソンの人はいるらしいが、
レビーの人は母だけだという。
おそらくこの介護ホームの中で、今はいちばん母が重い状態だろうと思う。

生きることの絶望を、全身で表現しているような今の母を、
傍で見ているのは辛い。

「焦らずにいきましょう。必ず良くなりますよ」という、
男性看護スタッフからかけられた言葉だけが、今の母の希望の星だ。
その星の輝きが完全に失われた時、
母は生きる意味を失うのだろうと思っている。

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ホーム

母は14日に退院した。
介護タクシーに乗せて、自宅の部屋まで運んでもらった。

介護タクシーの運転手さんというのは、皆介護の資格を持っているらしい。
50代のおっちゃんが、「見ていてくださいよ」とちょっと偉そうに、
母を抱きかかえ、ベッドに移動させてくれた。
コツさえつかめば、もちろん女性ひとりでも大丈夫だろうが、
普通に身体の弱った老人とは違って、筋肉の固まってしまった人を
動かすのは相当に骨が折れる。
やはり男性の力は有難いと思う。

午前中に帰宅し、お昼を食べさせ、姉が急遽手配した出張美容師を迎える。
やはり介護福祉士の資格を持っているとの事で、
カットしてからベッドに移動させ、上手にシャンプーをしてくれた。

この日の母は、朝から血圧の変動が大きいようだった。
ベッドからポータブルトイレに移動させると、
急激に血圧が低下するらしく、意識を失ってしまう。
目の焦点が左右ずれて見開いたまま、しばらく意識がなくなる。
喉をわずかにひっくひっくと鳴らすので吐くのではないかと焦り、
洗面器を顎の下にあてがう。
声をかけても反応がなく、一瞬「死ぬんじゃないか」と胸がドキドキしてきた瞬間、
「何してるのよ?」と急に意識が戻って、冷たく私に言い放つ。

この日は病院にいるときからこんなふうで、結局3回意識喪失を繰り返したので、
怖くなってその後、完全にオムツで排泄をしてもらった。

一晩つきあった姉はクタクタに疲れてしまい、
昨晩は私が母に付き添った。覚悟はしていた。
そうね、新生児の赤ちゃんを初めてお世話するような、
緊張した感じに似ていたかもしれない。

母が一言呟くと、ハッと目を覚まし、
ゴソゴソと身動きするたび目を覚まし、
「オシッコ出たわ」と言うたびもちろん目を覚まして、オムツ交換をする。
結局一晩中、ほとんど寝られなくって、ワケがわからない。

ふつうのオムツを嫌がり、パンツ型のオムツの中に尿取りパッドを入れる。
普通のパッドで2回、厚手のパッドなら尿3~4回までOKなんてあるけれど、
神経質な母は1回出るたびごとに、変えなければ気が済まない。
「オシッコ、出た」と子供のように、一晩中小声で呟く。
「暑い」と言い、エアコンをつけ、しばらくすると「寒い」と言い、消す。
「汗びっしょり」だと言い、「寝返りをうちたい」と言い、「やっぱり無理だ」と言い、
「喉が渇いた」と言い、お水を渡すと「ぬるい」と言う。
敷いた大判タオルが「足元で丸まってる」と指摘し、
タオルケットを「小ぶりのやつに掛け替えて」と言う。

とにかく自力で身体をほとんど動かせないので、
何をするにもコチラが全身の力を入れて、動かさなくてはいけない。
リクライニングできる介護ベッドがないと、どうにもならない。

レビー小体型認知症の人のケアは、とにかく大変だと言われている。
アルツハイマーの人の何倍も大変だと。
レビーの人の介護には、倍以上の手が要るとのことだ。


今朝は10時半に介護タクシーがお迎えに来て、
また前回と同じおっちゃんに抱きかかえてもらって、今度は我が家で用意した、
スペシャルなリクライニング車椅子に乗せて、介護ホームへ向かった。
母の身体ではもう、頭まで背もたれのあるリクライニング可能な
大型車椅子でないと無理だ。

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自宅から一駅先に新しくできた介護ホームは、
大手企業が経営しているところだ。
手厚く丁寧な介護が売りだ。
はっきりいって、そのぶん高い。

それでも室内のセンスはすこぶる良くて、
照明もインテリアも家具も絵画も
ファブリックの類いも
とてもお洒落で清潔である。
きちんとデザイナーとコーディネーターが
関わっているということがよくわかる。

母はやはり他のお婆さんに比べると、圧倒的に大きく、やたら立派である。
入院中に瞼の下垂が直り、目がぱっちりとして、以前よりも若返って見える。
妙に綺麗だったりする。
パーキンソン症状のひとつで、顔が脂ぎるので、
年齢のわりに顔がツヤツヤとして、皺もない。
立派な車椅子に横たわっている母は「女帝って感じよね」と
姉と語り合っている。
「お綺麗ですね~」などとスタッフ責任者の女性にお世辞を言われ、
母も悪い気はしていないはずだ。

部屋は明るく、すこぶる快適である。
私が住みたいくらいだと心から思う。
ダイニングルームでいただくご飯も、綺麗な食器に盛られた、
おいしそうな家庭料理といった感じだ。
母は嫌いなお魚を食べさせてもらって、「美味しい」と言う。
生活はもう、ほとんど全介助状態だ。

優しい看護師の男性が、ちょくちょく血圧を測りにきてくれて、
母は満足している。
ベッドの上でリハビリもしましょうと言われ、満足している。
スタッフの女性は皆綺麗な人ばかりで、母は驚いている。

それでも母は、こんなところでいきなり自分が、
排便でみっともない姿を晒すことをひどく怖れている。可哀想だと思う。
いっそ本当に、呆けてしまったほうがラクだろうと思う。

母が「捨てられた」感を持たないために、
しばらくは姉妹で手分けして、頻繁にホームを訪ねることにしている。

この先の道も、険しそうな予感だよ。

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現実

向き合うべき現実ってやつがある。

「今度の土曜にホームに見学に行って、
そのままショートステイなのぅ? 1週間もぉ? ええっ…!?」

と、母は困惑顔を見せる。
あら、今さら何よって思う。っていうか、今さら困るんです。
ショートステイの後、そのまま入所するのが普通のパターンなのです。

母は現実の認識ができていなくって、
退院して自宅に戻ったら、いろんなことができるような勘違いをしている。
クローゼットの中の服を整理しようだとか、今日なんかは
「家に帰ったら、お風呂に入れるわよね」なんて言う。
「いや、あの狭いお風呂じゃ、無理じゃない?」と言うと、
「シャワーだけかぁ」って言う。

いや、そういう問題じゃなくって、シャワーも何も、
今の母はベッドや車椅子から、自力で立ち上がることさえできないんだから。
病院での昼間のポータブルトイレだって、
ナースコールして、抱きかかえて立ち上がらせもらって、
ヨチヨチとその場でほんの数歩、足を引きずられるようにして動き、
身体の向きを90度変えて、支えられながら便座に腰を下ろすのが
精一杯なんだから。

母はきっと、元の場所に戻って愕然とするのだろう。
自分が失った多くのものに改めて気づいて、絶望するのかもしれない。

このところ、母の我儘はヒートアップしていて、
ほんとに女王様のようになっている。
髪をとかして。肩の上にタオルをかけてからよ。
爪が引っかかるのよ。ベッドの足元がモゾモゾして気に入らない。
枕の位置が悪い。薬がこぼれたじゃない。
水はもっとたくさん、コレじゃ少なすぎ。等々、
私達はしもべのように、女王様に仕えているのだ。

女王様はいろんなことを平気で言いつけるし、
以前のようにナースに遠慮がなくなった。
可笑しな妄想が減ってきたせいもある。
最後のプライドもいつのまにか手放してしまったので、もう、何でもアリだ。
人前で排便することにも恥ずかしさがなくなってきた。
ポータブルトイレに座りながら、
「下腹を押して」と私に言う。
「もっと強くギュッと押して」と命令する。
「そうそう!出る出る…」って…。

私がそんなふうに母の下腹を揉みながら臭気に堪えたりなどして
自宅に戻ってみると、息子はまだ寝ている。
いい加減にしてくれ、午後2時過ぎだよ。

付き合いの広い娘は毎週ミニ旅行などに出かけ、
バイトだライブだと、ほとんど家にいない。
私は仕事と病院と、なんだか息子を放ったらかしの夏休みだな。

一抹の罪悪感は、あるんだけどね。
でもやっぱり、起きない人が悪いんだと思う。

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母の服

高齢者用の服とかパジャマとかって、ズングリしてるわよね。

私は今日、母の病院へ行かなくてもいいことになり、
かわりに母が退院後、介護ホームで着る服を買ってくる役目を引き受けた。
母の好みはだいたいわかるし、似合うものもよくわかる。
私の選んだものは、母も大抵気に入る。

病院とは違ってホームでは、とりあえずパジャマを脱いで着替えることになる。
母はきれいにしていたい。素敵な服を着ていたい。
特にここ2年くらいは、母は低血圧のためにデパートへ行くこともままならなくて、
ほとんど通販で服を購入していた。

母の家には通販のカタログが、驚くくらいにしょっちゅう届く。
三越だとか大丸だとか高島屋だとかいきいきだとか…。
母の広いクローゼットには、素敵な服がズラリと並んでいる。
だけど痩せてしまってからは、昔の服はだぶだぶになってしまった。
それでも私たち三姉妹には、どれも丈が長すぎたり大きすぎたりして、
着ることができない。

そうそう、それで今日、私はラクな服がないか、探しに行ったのだ。
着脱がラクで、薄手の長袖、そしてホームで洗濯できるもの。
だけどなかなか見つからない。思うような服が見つからない。
介護売り場に売ってるものは、どれも高齢者用でやたらに丈が短い。
「ご高齢者向けですから、短めにできてます」って言うけど、
スラックスなんて、股下59センチなのよ。
母にはかせたら、ふくらはぎの途中だよ。
だから普通のところで、股下70センチのウエストゴムのパンツを購入。

上に着るものも、やたらお出かけ用ならあるけれど、
それってどうよ?と思う。
ホームに入っても、私達が時々クリーニングするために持ち帰ったりするの?
6週間、ほとんど寝たきりに近い生活をしていた母が、
急におしゃれ着を着て、どうやって生活するんだろうとも思う。
かといってよくあるパターンの、いかにもラクラクな
スポーツウエアのようなファッションは、今の母はまだ絶対に受付けない。
もっと綺麗でもっとお洒落で、もっと素敵じゃなくちゃイヤなのだ。

夕べ姉と話した。そういえば自宅にある車椅子はお散歩用で、
今の母のように身体の自由がきかない、首も曲がらない人が、
日中使うタイプのものではなかった。
ホームでは、車椅子もポータブルトイレも、あれば持参してくれという。
焦って急遽、背もたれの高い、リクライニング可能な車椅子の手配をする。
姉も私も、母のお金だから構うものかと思っている。
最高級のものは買わないけれど、そこそこのものを買わないと、
母はとても不機嫌になる。「やっぱ安物はダメね」なんて必ず言うんだから。

退院後の二日間のために、オムツも買っておかなくちゃ。
用意するものがたくさんあるな。

自分が歳をとったときに、こんな贅沢ができるはずもないことは分っている。
私の子供たちも、たいして金持ちにはならないだろう。
自分の老後くらい、なんとか自分で面倒みられるように、
なんとかしておかなくちゃだわ…。

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夏の日々

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夏は過ぎていくわ。
昨日は立秋だったのね。

私は今日も昨日も一昨日も、
病院通いの日々でございます。
毎日姉たちと、
「じゃあ明日の昼は私で夜はアナタね」
「あさっては一日ダメなのよ、
明日の夜なら大丈夫」などと手分けをして、
どうにか凌いでいるのでございます。

母が介護ホームへ移るのが、16日の午前と決まり、
退院をするのが14日午前。
自宅に戻って、二晩を過ごしてもらうことにした。

「家へ帰ったら、何か食べたいものない?」と今日母に訊いてみた。
「お寿司とか食べたい?」(なかば誘導尋問)と訊くと、
「食べたいっ!」と答える。
そうっかそうっか。よしよし。
じゃあホームへ行く前日はお寿司をとろうね。

「みんな集まって、快気祝いだわ」って母は言う。
だけどすぐに、自分の部屋がすでに模様替えされてしまったことを
思い出し、「そんなに集まれないか…」と言う。

母の部屋のダイニングテーブルと、寝室のセミダブルベッドは、
ずいぶん前に下の姉が入れ替えた。
確かにみんなが集まれるようなスペースはない。

母は今病院で、昼間だけはなるべくポータブルトイレで用を足しましょう
ということになっている。それがせめてものリハビリなのだ。
だけど立ち上がるのも大変で、一人が支え、
一人がサンダルを履かせ、
トイレの前で一人がパジャマとオムツを取り外し…
という厄介さなので、母もあまりやりたがらない。
母はオムツのラクにすっかり慣れてしまったようなのだ。

排尿障害もあるので、「出たんだか出ないんだかわからなくなってきた」
と言う。
トイレに腰掛けさせると、顔は蒼白になり、目が死んでしまう。
怖ろしい形相になる。おそらく血圧がとんでもなく下がっているんだと思う。
意識がなくなりかけている。声をかけると、どうにか小さく頷く。

そうしてしばらくするといくらか顔が生き返り、
「あ、出る…」と言う。
「おしっこ、出た…」と、静かに喜ぶ。

「あ、ウンチも出る…」と言って、薬で調整した緩い緩い便をする。
もう、誰の前でも平気になってしまった。

「わあ、たくさん出ましたね!良かったですね!」と
いつもすごく優しいナースに言われ、病室に明るい雰囲気が漂う。
「ほんとだ、お母さん!すごい量よ、泥みたいよ!」
なんて、つい私も明るく言ってしまう。

言ってしまってから、不思議だなとちょっと思う。
歳をとると、赤ちゃんと同じだな。
おまるにチーが出ると嬉しくなって、
おまるにウンチをすると、すごく褒められて…。

それでも母の正常な部分は怖ろしいほどで、
工務店への謝罪の仕方、信用金庫の担当営業者への連絡のつけ方など、
事細かに指示を与えてくる。
それがまた、ひどく的確で常識的だから困る。
壊れてしまうなら、いっそバランスよく壊れればいいのに、
なんて、思ったりもする。

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枯れ枝

母はすっかり痩せてしまった。

…って、また母の話題かぁ…。
まあ仕方ないかな。

そう、母の身体はすっかりやせ衰えてしまって、枯れ枝のようなのである。
私がものごころついた頃には、母はもうふっくらとしていて、
若い頃には痩せていたというけれど、
私は母が痩せている姿は、最近まで見たことがなかった。

母は食事をほとんど食べたがらなくなった。
「鶏肉?いらないっ!」って言う。
「鶏肉じゃなくてお魚よ」と言うと、母はもっと食べたがらない。
ご飯を小さく数口食べさせると、「もういい」と呟く。
お味噌汁も「もういらない」
おかずを見せると、「まだそんなにあるのっ!?」と不機嫌に言う。

「お食事はどれくらい召し上がりましたか?」と訊ねに回ってくるナースに、
今度から半粥にしてくれるようお願いした。

一昨日はずいぶんおさまっていた妄想や幻覚が、
今日はまた再び盛り上がっている。
薬の量を調節しているのかもしれない。
そういった細かい話を、直接ドクターに聞きたいのだけれど、
なかなかタイミングが合わなくて、聞くことができない。

母は明日の病院の朝食が「おにぎり2個なんだって」と言う。
業者と婦長さんが話しているのを聞いたとかで、
「いやよ。今晩のうちに握ったおにぎりなんて。腐っちゃうもの」と言っている。
「だから明日の朝は食べないって決めたの」

「どうしておにぎり2個って判ったの?」と訊くと、
壁にかかったカレンダーの写真を見つめて、
「だってあそこに顔がふたつ見えるもの」と、確信に満ちた声で言う。

カレンダーの8月の写真、砂丘の上を駱駝が歩いている遠景を見て、
お相撲さんの顔だと言い張る。顔が2つあるという。

母はもともと依存的な人なので、いったん何かを受け入れてしまえば、
どんどん甘えていく人である。自分で取り組む気持ちを失くしてしまう。
もうオムツも嫌がらないし(嫌がったところでどうにもならないことを
知っているからでもあるが)、歯磨きする時も、
歯ブラシを握ろうという気もなくなった。
お箸を持とうという気もなくなった。
咀嚼するという気がなくなったら、今度は流し込むだけになってしまう。
胃ろうということか。

明日は仕事が休みの姉と昼間病院へ行って、
医師とコンタクトをとろうと思う。
薬と症状の実際について。
今後の栄養対策について。
退院の目処について。

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母は声の明るい人だった。
よく通る、綺麗な声だった。

だけど最近は、声が出にくくなっている。
かすれかけた小さな声でゆっくり話す。
これも病気の症状のひとつだ。

今日は母の言葉を聞き取ろうと、
私は自分の耳を母の顔に近づけるほどだ。
喋っていても疲れるらしい。母は無口になった。
一時期の、夢みる少女のように妄想を語る母はもう、
どこかへ行ってしまった。

食欲もすっかり落ちた。
今日は自分で箸を持とうという気力もない。
ご飯を噛むのも疲れるようだ。
おかずの好き嫌いはますます強くなり、
ほとんど食べるものがない。

食後にフルーツやヨーグルトなどなら食べる。
食べたいものなら何でもいいだろう。
とにかく食べることだ。

新しい薬(よく効くと言われているアリセプトという薬だ)
のおかげで、母の幻覚はほとんどおさまったきたようだ。
それでもナースについてだけは妄想が若干残る。
だけどもう、可笑しなことは何も言わなくなった。

そのぶん、身体はもう、動くことを諦めたようにさえ見える。
母は仰向けになったまま、ほとんど動こうという気もない。

薬の微調整に納得がいったら、早く病院から
母を出さなくてはいけない。
「廃人よ…」と呟く母に、今日も少しだけ希望を与えてみた。

歩けなくてもいい。オムツでもいい。
明るい陽の当たる部屋で、車椅子を押してもらい、
綺麗なダイニングでトーストとコーヒーの朝食を食べさせてもらおう。
優しいお兄さんやお姉さんに、お世話してもらおう。

ホームは自転車で、10分もかからないから。
いつでも逢いに行けるから。

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坂を転げ落ちる

ものすごい勢いで、坂を転げ落ちていく。
この4~5日の間の母。

31日から新たに追加した、薬のせいもあるのだろう。
筋の強張りはもう、半端ではない。
幻覚や妄想はおさまってはいないが、
ほんのいくらかは減ってきたようにも思う。
そのぶん、パーキンソン症状が悪化しているようだ。

楽しくはなくても、いくらかワクワクするような妄想は姿を消し、
主に残っているのはナースを取り巻く被害妄想だ。
「ほら、今ウサギが出て行ったわよ。灰色のウサギ」
などと、急に戸口の方を見つめるような、可愛い幻覚はあるけれど。

昨晩は娘と一緒に、夜病院へ行った。
食事もほぼ、介助が必要になった。
パジャマを着替えさせるのも一苦労だ。身体が曲がらないからだ。

今夜は私ひとりだったので、やはり着替えが大変だった。
大汗をかいてしまったよ。
介助ベッドを直角近くに起こしても、母の身体はベッドの背に張り付いたまま
動かない。首筋と肩に手を当てて、ほんのいくらか前屈みにさせないと、
パジャマの上着を着せられない。
自律神経が滅茶苦茶なので、母は微熱があったり、異常に汗をかいたりする。

母は喉が渇いても、脇のスライドテーブルに置いてあるストローカップに
手を伸ばすことができない。
どうにか届いても、それを口元に近づけることができない。
二回試してみて、母は「無理だ」と諦めた。
あれだけ汗をかくのだから、喉も渇くに決まってる。
夜中に喉が渇いたと、ナースコールをするとはとても思えない。
今日私が買っていった子供用の可愛いストローカップは、役立たない。

身体を拘束しなくたって、こんなに動けなかったら立ち歩くはずもない。
だけどある時急に身体が動いて、歩いたりしてしまうのも
パーキンソンの特徴だ。
だから母は就寝時には、布のベルトで身体を押さえられてしまう。

昨日も今日も、母の目はぱっちりとしていて、
なんだか10歳くらい若返ったように見える。すごく可愛い顔をしている。
「あら、可愛いじゃない」と言って、私は携帯のカメラで写真を撮る。
これが最後の写真になりませんようにと、祈りながら撮る。

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不安

寝ている息子が今朝、ベッドの上で大きな叫び声を2度あげた。
何事かと思ってドアを開けたら、
「夢でよかったーーー!!」と喚いている。

部屋から飛び出してきて、私の腰に両腕を回す。
息子が泣いているよ、真剣に。
「夢でよかった、夢でよかった…」と言って、泣いているよ。

なんでも自分が死刑にされる直前だったとかで、
それも絞首刑ではなく、脳の中に薬を打たれ、
24時間以内に死に至るというところだったそうである。

詳しいことは語らなかったけれど、筆舌に尽くしがたいほどの
とてつもない恐怖感だったらしい。

脳が壊れていく祖母の話が頭に残っていたのだろうか。
少しは関係あるかも。

それにしても息子よ。
小さい頃から相変わらずだなあと思うよ。
どうしてそんなに過敏なんだよ。
「ああ、絶対にボクは死なないぞ」
なんて言ってる。まあいいわ、「死にたいよ」って言われるよりは。


今日の母の様子を、下の姉から聞く。
母は昨晩ベッドから降り、2回転倒をしたそうだ。
少なくとも一度は失禁をし、大変なことになったようだった。
「ご本人は憶えていらっしゃらないようですが…」とナースが言ったとのこと。

母はオムツをされ、ベッドガードをされ、
今日から夜間は身体拘束だそうだ。
気の毒だが仕方ない。このままではいずれ骨折する。
頭を強打すれば、もっと大事になるかもしれない。

この一年間、母はいろんなことを受け入れざるを得なかった。
杖を受け入れ、車椅子を受け入れ、入院を、ポータブルトイレを、
そしてついにオムツだ。
母の心はどうしようもなくすさんでいる。
誰も自分を信じない。自分も誰をも信じられない。

病院の2階でやっている突貫工事のせいで、
天井から(母の病室は5階だが)蹉跌が降ってきて目に入る。
沁みて、痛くてどうしようもない。
それが夜になると、天井から工事用のドリルが落下してきて
目に当たり、目が赤くなってしまって痛むという話に変わる。

母はナースを信じない。
身内さえも信じなくなりつつある。
医師には従順だが、それでも、
「実験台にされてるのよ!」と、陰で捨て台詞を吐く。

姉はさんざん母に厳しく当たられ、傷つき消耗して帰ってきた。
最近はそのストレスを、私が玄関口で受け止める役だ。
ああ、怖い。
明日の晩は私が行く日だわ。
どんな目で見られるんだろう。なんて言われるのかしら。

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疲労

ああ、なんだか最近、介護日記みたいだわ。

今日は午前中から姉と病院へ。
入所を希望している、自宅近所に新しくできた介護ホームの担当者2名が
母の様子を見に、そして私たちに話を聞きに来るからだ。

母の食事の嗜好だとか、いろんなことを尋ねる。
そこでは魚嫌いの母にも、肉を用意してくれるという。
朝は母の好きなコーヒーとトーストを用意してくれるという。
ああ、私もそんなところに行きたいよ。

そっちのほうの手続きは順調に流れていっているけれど、
母の様子はどんどん悪化しているようにしか見えない。
今日はパーキンソン症状がひどく、身体がまったく動かない。
回診にきた神経内科科長の先生が「フリーズしてるな」と呟く。

母はひっきりなしに襲ってくる便意と闘い、トイレをするのだと言ってきかない。
姉とふたりがかりで必死に起き上がらせ、足を床に下ろし、
立ち上がらせ、身体の向きを半回転させるのにすごく苦労する。

それでも便は出なくって、再びサポートして、
どうにかベッドに横たわらせるのに一苦労。
身体を移動させようと必死になっていると、「また出たい」と言う。
「少し我慢してみれば?」と姉が言うと、「イヤよ!」と言う。

ナースにサポートしてもらおうとナースステーションに言いに行こうとすると、
「お願いだからやめてよ!」と苦痛に顔を歪める。
それでも今日はいかんせんどうしようもないと判断したので、
ナースに頼みに行った。
今日は介護をお願いすると、母もどうにか観念したふうだった。

レビー小体型認知症は、アルツハイマーの人に比べると
格段に暗いという。アルツハイマーの人の脳は萎縮が激しく、
今後の自分のことなどあまり気に病んだりすることもないようだが、
レビーの人の脳はほとんど萎縮が見られないのだという。
そして自分の予後について、とても悲観的に捉え、絶望していることも多い。
認知症のタイプが違うのだ。

昨日から私と叔母(母の妹)は、悪の組織の一味になってしまったらしい。
二人が病室にいて、私は途中でさっさと帰ってしまったとのこと。
叔母は廊下に布団を敷いて、組織の一味にマッサージを受けていたとのこと。
「財産根こそぎ盗られちゃうのに、ほんとに馬鹿よ!」と、
軽率に組織入りした妹のことを、母は悔しげになじる。
明日には、私はどうなってるのかしら。
もしかして私、組織の中核となって、何か悪いことでもしでかしちゃうのかしら。

妄想と呼ぶのか認知症と呼ぶのか、解らない。
これがレビー小体病だと診断できなければ、間違いなく統合失調症として、
精神科病棟に入院させられ、抗精神薬を投与されるのだろう。
実際レビーの人にはそういう待遇を受ける人がいるという。
そして抗精神薬はますますパーキンソン症状を悪化させ、
どうにもならなくなってしまうようだ。
つくづく、難しい病気だと思う。

主治医が把握してる母の現状が、現実とあまりに違うことが判り、
必死に説明をした。幻覚はおさまっていると判断していたようなので
(本人に聞いても正直に言わないからだ)、
「とんでもないです!どんどん悪化しています!
薬はまったく効いていません!」と、姉と力説してしまった。

母の妄想を書き記す元気もなくなってきた。
母は時々妄想で笑うが、どうしようもなく悲痛な面持ちをしている。
新しい薬を明日から追加してみて様子を観察し、それ以降、退院となる予定だ。
それ以上、病院にできることはない。
病院では手厚い介護は望めないのが当然だからね。

姉と病院を出て、すごく遅い昼食をとった。
私は野菜ラーメンを食べたよ。
「もう!甘いもので口直ししましょっ!」と姉が言うので、
風月堂に入って、白玉クリームあんみつを食べたら、
死にたくなるほどお腹が苦しくなった。

それにしても、一人っ子じゃなくてよかった。
三人姉妹でよかったと、こんなに実感したのは最近のことだわ。

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生きる

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病室の窓から、夕焼けに染まった空を見る。

好き嫌いしながらも、なんとかご飯を食べて、
便秘しながら、薬を飲みながら、
ポータブルトイレで用を足す。

今日の母は、足がすくんで歩けない。
母の歩行は普段、ベッドからポータブルトイレへ
移動する1~2歩か、食事のときに椅子に移動する
ほんの2~3歩だけだ。

夜間せん妄と呼ぶのかどうかはわからない。
昨晩は部屋に猫がいるとナースに訴え、否定されたという。
廊下で過酸化水素を持った人が現れて、煙が出ていて危険だからと、
母は洗面台にある洗面器に水を入れて、戸口まで運んだという。
「洗面器が重くって持ってられなくって、ドアの外に置いておいたら、
看護婦さんに『これ、何?』って訊かれちゃった」と母は言う。
もし転んでいたらと思うと、怖くなる。

夜中に便が出ないと大騒ぎをした女性がいて、
夫も立ち会ってナース誘導のもと、浴室で大便出産があったのだそうだ。
女性のいきむ声と唸り声、めでたく大便出産後の臭気まで
母はリアルに感じたようだった。

だからゆうべはいろいろと大変で、
「ほとんど眠れなかったわ」と母は言う。
母は食事中にも何度も部屋の隅に目をやり、居座り続ける猫を見張っている。
「早く帰って、おうちでご飯をお食べ」などと声をかけている。
猫の通り道をつくっておかなきゃと案じている。
もし今晩、ベッドに猫がのぼってきたらどうしようと心配している。

母の身体を熱いタオルで拭く。母はお風呂を嫌がる。
病院のお風呂は寒くって熱が出ると思いこんでいるからだ。
半年前とはまるで別人のように、母の身体はやせ細っている。
身体がわりあいと滑らかに動く時と、本当に動かない時との差が激しい。
今日の母は動けない。
起き上がったり、身体の向きを変えたり、足をベッドの上に載せたりすることも、
介助が必要になる。

母は一日中、尿意・便意と闘っている。
そのたびに、大変な思いをしてベッドから起き上がり、
ポータブルトイレに移動し、お尻を定位置に収めるだけでも時間がかかる。
そんなことを、朝から晩まで繰り返している。
実はそんなことしか、やることがない。
排泄をするためだけに生きているようで、哀しくなる。

それでも母の幻覚や妄想はものすごく面白いので、
「お母さんの話って、面白いね」と言ってみると、
「昔からそう言われたの。『ふみこちゃん、面白い話して!』って、
みんなによく言われたの」と、嬉しそうに微笑む。

それだけでもう、充分かなとも思う。

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雑然

毎日が、こんがらがったまま過ぎていく。
私は自分の気持ちのやりくりにも、結構忙しい。

家の中は雑然としている。
息子の学用品なんかがソファの下だとかに散乱していて、
床にも散らばっている。何度か注意したけれど、
私は怖くないので、そのままになっている。
さっき、改めてお願いをしたら、「早く言ってくれよ」と息子は笑顔で言って、
気持ちよく自室に引き上げてくれた。

娘はやたらめったらバイトを入れていて、
肝心の就活は、自分でもどう気持ちをもっていけばいいのか、
測りかねているように見える。

先日は娘のライブに初めて息子が観に行って、
ずいぶんと衝撃を受けたようだった。
音楽を通して知り合った姉の友人達とも触れ合うことができたらしく、
息子は軽い興奮状態のまま帰宅した。

娘のライブを観て、泣く観客が沢山いるのだという。
息子に訊いたら、「ちょっとだけ泣いた」と、恥ずかしそうに言った。
いったいどんなライブをしてるというんだ?娘よ!?

息子のベース熱はどこへやら、昨日から姉のアコギを借りて、
練習に余念がない。夏休みの宿題なんて、頭から締め出している。

地味な家事は溜まる一方だ。
毎日の洗い物だとか洗濯物だとか料理だとか、そんなことはどうにか
日々こなすしかなくって、溜まるものといったら、
それこそ何気ない雑用の類いなのだ。
例えばペットボトルのラベルをはがして潰して回収ボックスに入れに行くだとか、
牛乳パックを切り開いて、リサイクルのために生協に返却するだとか、
領収証の整理だとか、冷蔵庫の中身のチェックだとか。

病院通いはバスなので、本も読めない(車の中の読書は酔います)し、
まあ仮に読もうと思っても疲れていて寝てしまうし、
HPの更新なんかも全然できないし、
雷が鳴れば病室の母から半べそで電話がかかり、
「お母さん、今本部にいるんだけど、雷がすごくて帰れない。どうしよう…」
だなんて言ってくる。
本部っていうのは、母が十数年前まで務めていた会社の事務所のことだ。

母の壊れ方はもう半端ではなく、
「ガンコ虫」を夜中につまむために「割り箸は捨てないで、とっておいて!」と言う。
昼間は1枚のタオルケットが夜中になると2枚のガウンだとかドレスだとかに
変わってしまうので、長い時間をかけてずっと、引き剥がして1枚にしようと、
タオルケットを引っ張っているそうだ。「2枚になってると暑いのよ」と言う。
だけどそのタオルケットは虫がたくさんついてしまって気持ち悪いから、
別のものを持ってきてという。
まだ沢山入っているティシュケースも、虫がついていて汚いからと
ゴミ箱に捨ててしまう。だから母の病室は今、ティシュケースでいっぱいだ。

「お忙しそうだから申し訳ないなと…」
先日ブログを読まれたクライアントさんがそうおっしゃり、少し慌てた。
こちらこそ申し訳ないです。
混沌としていても、仕事だけは別です。
いくら雑然としていても、仕事をしないわけにはいきません。

どんな時でも一方で仕事があるということが、
私を支えているのも事実だと思っている。
有難いことだと思う。

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見えないもの 見えるもの

今日は半月分の入院費を支払って、
それから14時に病室で、
介護保険区分変更申請のために調査員の方とお話をして、
そのまま19時半まで病院に滞在した。

私が13時半ごろ病室に着くと、母は背中を向け、
暗い顔をして横たわっていた。
振り返るなり、「完全に壊れちゃった…」と言う。

  私の話を誰も信じてくれない。私の言うことは皆が全部否定する。
  「何もいないわよ、大丈夫だから安心して寝て」って看護師は言う。

母はそう語る。
抑肝散はまだ全然効かなくて(効かない人もいるだろう)、
母の幻覚はピークを迎えているといえるだろうか。

母は床で這いまわりながら喧嘩をしている3匹の虫に、
夜中防臭スプレーを吹きかける。
いったんは死んだ虫はまた蘇り、母を悩ませる。
ポータブルトイレがいつのまにかすり替わり、
便座のつなぎ目の黒い金具や隙間の暗い部分からは
たくさんの虫が溢れ出てくる。
「ガンコ虫」だと呼ぶ。

母は見えないガンコ虫に向かって、ティシュで何度も拭い取ろうと
手を動かす。「やっつけてやる」と小声で言う。
だけどガンコ虫はしつこくて、なかなか去ろうとしない。
「ガンコ虫は女を守ってるよ」と不思議なことを言う。
ハサミのようなもので女を守る形をしているそうで、
「イマドキの若い男に煎じて飲ませたい」んだそうだ。

窓の外では3人の警官たちが、紺色の制服に白いベルトをして
腰を振って踊っている。「馬鹿みたい!」と母は笑う。
隣のおじいさんは大工さんで、仕事部屋が廊下の奥にあるけれど、
母の部屋のドアの隙間から、可笑しな表情で顔を覗かせている。
母はそれが怖くって、夜中に扉を閉めて椅子を動かし、
バリケードをつくって看護師に注意される。

「赤ちゃんが三輪車に乗ってる」
「ほら、またあそこに人形をずらっと並べてる。
怖いのよ、私、ああいうことされると…」
「やだ!女の生首なんか並べてる。
怖いからイヤなのよ、ああいうことされるの」
母はカーテンの下から覗く80センチほどの隙間から
怖ろしい世界を見つめている。

大抵のことは聞き流し、不安がることについてはやはり、
「そう見えるのね。でもほんとはいないから大丈夫だよ」って言うしか
ないじゃないかと思う。
「そんなものいないわよ!」って言えば不快になるし、
「ほんとだね」と言えば不安を煽ることになるし、
見えるっていうことは信じるよ、だけどそれは症状のひとつだよ、
薬が効いてくれば治るらしいよ、ほんとはいないから大丈夫だよ、
そう伝えるしかないと思う。

それでも母は、自分の見えているものを「信じてる」とはっきり言う。
廊下にズラッと並んでいるという提灯を、
「見えるでしょ!?」と訊くので「私には見えないな」と答えると、
「見えないのっ!?」と目を丸くする。

お母さん、私には見えないんだよ…。

昨日は私と姉が、傍の椅子に座っていたと言うし、
今日は自分の妹と妹の孫が病室にやってきたと信じ、
看護師に確認したという。

明日は脳のシンチグラム検査だ。
母はまた、出かけることにあれこれと心配し、気を揉んでいる。

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「壊れてきちゃった」

夕方、6時10分過ぎに、病室の母から電話があった。
今日は上の姉が行く日だが、夕飯の6時に間に合わなかったようだ。
誰も来ないから、心配になって電話してきたのかと思った。

「今日の午前中、病院に来た?」と母は私に訊く。
仕事で行けなかったことを伝えて、詫びる。
母いわく、病室の外で、自分の名前と私の名前を口にして、
何か話をしている人がいたのだという。
「胸騒ぎがして…」と不安そうだ。

この頃母は、病院内で私達3人姉妹の噂が飛び交っていると話していた。
長女がどうのこうの、三女がどうのこうのと、話されているという。
叶姉妹みたいなのが3人うろついているのなら話題にもなるだろうが、
どこから見ても地味な3人娘が毎日入れ替わりやってきたところで、
誰の目にも留まろうはずがない。

「今日はばかに廊下が静かじゃない?もしかしたら何か事件があって、
みんな逃げちゃったんじゃないかしら?私だけ知らせれていないで…」
と不安がることもあったし、
「この病院でね、食中毒が出たらしいのよ」と、
何食わぬ顔で呟いていることもあった。

胸騒ぎに怯える母に、
「そんなふうに聞こえちゃったのね。でもそんなことないから大丈夫だよ」
と、静かに言ってあげる。
「私、ほんとに壊れてきちゃった…」
途方に暮れた様子で、母は言う。
「もう少ししたら、薬が効いてくるから大丈夫だよ」と言ってみる。

この間から、母は抑肝散という漢方薬を処方されるようになった。
これはレビー小体病の幻覚を抑えるのに、
比較的副作用が少ない良い薬だとされている。
レビー小体型認知症は、薬剤過敏といって、普通の人では何でもない
微量の薬に、過剰反応してしまうといわれている。
夜中に起きる手足の震えが薬のせいだと強く思い込み、
母は薬を飲むのを嫌がる。本当にそれが、薬による副作用なのかどうか、
そのこと自体も思い込みなのかどうか、わからない。

看護師はナースコールをしても対応してくれないとか、
ポータブルトイレ使用時のサポートをお願いしても
「ソレくらい一人でできるでしょ!」と言って去っていってしまうとか、
そういった被害妄想がいちばん厄介なのだ。
レビーはとにかく転倒が怖いとされている。

どうすることが、母にとっていちばん幸せなのかな。
身体の機能と妄想と、薬でどちらかを優先させるとしたら、
どちらを選んだほうが幸せなのかな。
いわゆる「完治」という望みがないことを知ったら、
母は絶望の海に沈むのだろうか。
もとから必要以上に諦めのよい母は、
生きる意味を失うだろうか。

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食べること生きること想うこと

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これは母が入院している病院の近くの風景。
初めて見た時、えらく感動してしまった。

ファミリー中野センターには、溜息が出そうな八百屋だとか
何店舗かが中に入っている。
昔はこれでも、ちょっとした市場だったんだろうな。

今日は夕方から病院へ向かった。
税理関係担当の方と病室でアレコレ。
母の今後と家族のことを考えて、事務処理を行った。
私は立ち会っただけだ。

今、事務的な処理や手続きがいろいろとごったがえしている。
介護ホームへの仮申込み申請、診断書作成の依頼だとか
介護保険区分変更のための主治医の意見書だとか調査員による調査だとか、
あれやこれや…。

昨日は娘と病院へ行って、遅めのお昼を中野で食べた。
昔ながらのお寿司とうなぎがメインの和食のお店。
ランチのちらし寿司セット900円。

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お味噌汁には玉子が一個おとされていて、
半熟と固ゆでの中間くらいに煮られている。
なんだか懐かしい。

今日は息子が3泊4日の部活の合宿から
帰ってくる日。
予定よりはるかに早い帰宅だったため、
息子の顔を見てから病院へ向かうことができた。

申し訳ないが、今夜は中華のデリバリーにしたよ。
「医食同源」という出前中国料理のお店。
お値段のわりに見た目も美しく、味も一応プロである。

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★最近の母★

窓から外を見ると、電線に、
桶を持った女の人がいる。
はっぴを着た男性もいる。
どうやらお祭りらしい。

雉が2羽、外を飛んでいる。

病室の廊下側の壁の下部が鳥小屋に見える。
お米がたくさん散らばっているけれど、朝にはなくなっている。
そこでヒヨコを飼っているらしい。

後ろの病室の男性は3日前に奥さんを亡くしたらしい。
夜の9時になるとテレビを消し、それから
「ユリ~、ユリ~~、ユリ~~」と妻の名を呼びながらむせび泣いている。
「男の人も、あんなに泣くのねえ…」と母は言う。

隣の病室で生まれた子供の名は「ミライ」と「ハヤト」と「優子」だという。
この病院の浴室は寒いので、赤ちゃんは気の毒だという。

隣の病室の家族は韓国人のお嫁さんと上手くいっていない。
会社の人が大勢見ている前で大喧嘩をしている。
嫁姑の争う様を、母は身振り手振り表情つきで演じてくれる。

昨日私が頼まれて持っていったタオルケットは、
湿っていてびしょびしょだという。
(持っていったときはサッパリしていると言っていたけど)
中から黒い蜘蛛がたくさん飛び出してきたので、洗ってほしいという。

書き出すとキリがないのでやめておこう。
母は今朝早く、洗面台の前で立ちくらんで転倒し、近くにあったゴミ箱に
お尻をつっこんでしまったらしい。
プラスティックのゴミ箱が割れていた。

月曜日の検査の結果が、早くも出たという。
今日の夕方主治医と話をすることができた。
一応今の時点での病名はレビー小体病。
アルツハイマーではないけれど、痴呆症の一種だ。
パーキンソン症状が出る。人によって出方も強さも違うとのこと。
妄想を抑えようと薬を使うと、筋の強張りや低血圧が悪化するという。

数年以上にわたる自律神経症状が出ていることから、
姉と私はいまひとつその診断名に納得がいかない。
それでも精密検査で多系統萎縮症ではないと診断できたそうなので、
まあ間違いないのだろう。

来週更にもう一度、今度は脳のシンチグラムかな?を行う予定。
またよその病院へ移動しなくてはいけない。
また介護タクシーのおでましかしら。
ヤレヤレ…

本当に、ヤレヤレの日々である。

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介護タクシーに乗って…

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今朝は7時半頃家を出て、バスで中野へ向かった。
朝のバスは本数も多いけれど乗客も多くって、
あんなにバスが混むなんて知らなかったよ。

病室に着くと母はすっかり身支度を整えていて、
朝食抜きのせいかぐったりとした様子でベッドに横たわっていた。

8時40分頃看護師が病室に、
今日の検査のための説明書(紹介状)を持ってくる。
45分に、手配しておいた介護タクシーの人がやってきて、
母を高級な車椅子に乗せて、病室を出発。
「あら、いい車椅子ね」と母は満足げである。

病院前からワゴン車の介護タクシーに乗って、大久保病院へ向かった。
介護タクシーはよくできていて、ドライバーの方は介護の資格を
持っているとのことで、車椅子の扱い等もさすがに手馴れている。
母もこころなしか嬉しそうに見える。何でも特別扱いというのが好きな人だ。

帰りも同じく介護タクシーを頼むことにした。
検査終了時刻の目処がたった時点でドライバーの方に電話をすると約束する。

初診の手続きを済ませてから、地下の放射線科に行く。
午前の検査は1時間弱だというのでその場を離れ、
どこかへお茶でもしようかと病院を出てあたりをキョロキョロするけれど、
なんだか周りにはいかがわしいホテルばかりが立ち並んでいる。
住所は歌舞伎町。う~~む…、さすがの環境である。

午後の検査が済むまで食事抜きだと母から聞いていたので
早いと思いつつも、おにぎりを売店で買って、こっそりと食べた。
食事どころか水分も摂れない人の前で自分だけ食べるのも気がひけるので、
検査の間に食べておこうという優しい気持ちからよ。

検査を終えた母は案外元気に出てきて、昼食も摂っていいと言われる。
5階にある食堂に行ったら、死にそうに貧弱で、安いかわりにメニューも貧しく、
いかにも不味そうで、気持ちまで滅入ってしまうような雰囲気だった。
15階建てという、新しい立派な病院なのに、
どうしてこんなに貧乏くさいのか不思議なほどだった。

母は貧乏カレーを半分食べ、その後トイレに行ったら
例の食後低血圧だ。トイレの中で立ちすくみ、足が動かない。
どうにか抱きかかえるようにして車椅子に座らせ、
生あくびをして気を失いかけてる母を押して、
1階の総合案内の人に事情を話す。
このまま午後2時からの検査までの3時間弱、
車椅子のまま過ごすことは無理だと判断した。

内科の処置室のベッドで休ませてもらえることになり、
看護師さんが母を上手にベッドに移動させてくれる。
母は生きてるんだか死んでるんだかわからないような状態だ。
口を半開きにして目を閉じている。
寝ているというよりは、意識を失っているようだ。
時計を見ていたら、横になって10分後、マイクの呼び出し音で母が
意識を回復する。「ここはどこ?」と訊く。

内科医が診察する声を聞いて、自分が以前、電話でクロレラを購入した時に
電話対応した人に間違いないと母は言い出す。
その人と目が合ったら、また売りつけられてしまうと言う。
最近、母の隣の病室では、赤ちゃんが3人生まれたらしい。
看護師がおせっかいで、赤ちゃんの名前まで決めてしまうという。
ひとりは「ミライちゃん」という名だそうだ。
昨日は病院から、お宮参りツアーのバスが出発した。
経産婦たちはお宮参りで、鈴のついたお守りを買ってきて、
それをずっとチャリンチャリンと鳴らしていたそうだ。
後ろの病室のおじいさんは三和ファイナンスだとかに借金をしているらしく、
病室から何十万円というお金を借りられるか電話をしていてみっともないという。

そんな母の幻聴幻覚は際限なく広がって、
すでに収拾がつかない状態だ。面白すぎて、書ききれないのが残念なくらいだ。

午後の検査が始まるまでに、母を何度トイレに連れて行ったかわからない。
車椅子用のトイレにも3~4回入った。普通のトイレにも3回は入ったな。
便意をもよおし、「したい」と言いながら、でも出ない。
これも病気の症状のひとつ、のはず。
そして母の声はどんどん小さくなって、嗄れていく。
これもおそらく症状のひとつ。

今日の心筋シンチグラムによって、レビー小体病なのか、多系統萎縮症なのか、
あるいはもっと別のものなのか、そのあたりがはっきり診断つくようだ。
結果が出るのは約1週間後だという。
入院中の病院に、直接画像が送られるとのこと。
「もう私、治らないのかしら」と、まともな瞬間に母は言う。
病気のステージが、かなり進行していることは間違いなさそうだと思うけれど、
この先どうなるのか、どんなふうに変化していくのか、
想像はできても実際にはわからない。

癌などとは違って、早く診断がつけば回復していたということではない。
それでも何年もの間、様々な症状を訴えて、
いろいろな病院で検査を受けてきたにもかかわらず、
それぞれの担当医が神経内科の受診を勧めてくれなかったこと、
要するに自分の守備範囲外の専門的な知識がなかったことが、残念でならない。
そして家族もまた、もっと違う可能性を模索して、
色々と調べたり力を貸してあげたりせずに今日まできてしまったということが、
悔やまれてならない。

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箱の中のしあわせ

幸せって、何かしらね。
母を見ていて、そんなことを想う。

母は狭い個室の箱の中で、すでに10日間を過ごしている。
幻覚がどんどん増長していってからというもの、
母は時々とても幸せそうに見える。

被害妄想もあって、そんな時は険しい顔をしているけれど、
たくさんの自分が見聞きした(つもりの)ことを語る母の眼は、
夢みる少女のように、キラキラと輝いている。
言葉は留まることなく口から滑らかに溢れ出て、
いっとき鬱状態だった母の暗く陰湿な表情と比べると、
格段に楽しそうに見える。

昔の思い出話も始まって、聞いていてもおそらくそれも
たくさんの故意ではない嘘が混じっていて、
昔自分が築地に住んでいた頃、ときめいた男性の話だとか
その人の脇を通り過ぎる時、胸がドキドキしたことだとか、
そんなことを夢中になって一気に話す。
目は真っ直ぐ前方の宙を見つめていて、
そんな時母の心は、どこかもうひとつの世界を彷徨っている。

母は斜め向かいの部屋の扉に、たくさんの猫がはりついているのが
見えるし、隣の患者が、心の癒やされる音楽のつまった機械を
購入させられて、病室で早速組み立て、
音楽に合わせて歌っているのを聞いたりもできる。
謎の集会は続けられ、魂を抜かれた人だっているんだから。

母があまりにもおしゃべりなので、
『弱ったな』と思いつつも、不快な気にはならない。
とても幸せそうに見えるからだ。
もちろん時々正気に戻って、「こんなんなら死んだ方がマシね」とか
「どうしてこんなに急に悪くなっちゃったんだろう」とか
「早く帰りたい」とか言われると、
曖昧な返事を返すしかなくなるんだけれど。


私は今日、朝から息子の学校に振り回されたので、
病院へは行かなかった。
明日は一日夜まで仕事が入っているので、病院へは行かない。
そしてあさっては、朝早くから出動だ。

母を入院中の病院から、隣区の病院まで、
精密検査のために移送しなくてはいけない。
母をタクシーに乗り込ませることも、タクシーから降りて
車椅子を借りたりの流れも、私ひとりでは難しいことに気づき、
姉と相談して介護タクシーの予約をした。
介護資格を持った運転手さんが病室まで車椅子を押して
お迎えにきてくれる。そして車椅子のまま移動だ。有難い。
もちろん少々、プラスアルファの料金が発生するけれど、
人手と利便をお金で買えるのだから、やっぱり有難い。

いくら痩せたとはいえ、縮んだとはいえ、母はやっぱり私より
体重も身長もデカイのだ。骨格が大きいと、つくづく思う。
母の身体の向きをベッドの上で動かそうとするけれど、
重くてなかなか動かない。コツがあるんだろうけど。
母は私を大きく生んだけれど、
どうしてこんなに小さく育てたんだよと、恨めしくなる。

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幻覚日記

母の幻覚を日記形式で綴りたい。
でもちょっとその、余裕がない。時間がないし、疲れも溜まっている。

隣の部屋の男性患者が元占い師で、人が大勢やってきて
病室で占ってもらっている。それが夜の11時過ぎでうるさくて…

という幻覚がいつのまにか、早朝4時半に行われる
祈祷師による悪魔祓いの話になる。

今日母が夢中で私に話したのは、ゆうべ犬が病院の壁を伝って
病室に侵入し、廊下を歩いていたという話。
看護師にも「犬が入ってきましたよね」と訊いたらしい。

地下にある病院の売店の前で車椅子に座って待っていると、
お婆さんが話しかけてきたという。
お婆さんは自分の身の上話をたくさん母に語る。
上の子供は海外に住んでいて、下の子供は名古屋に住んでいる。
「私なんか足がこんなだけど、身体は丈夫だからね。
早くお迎えがきてほしいわ」とお婆さんは母に言う。

たとえばそんな幻覚を、母はものすごくリアルに、
会話を再現してくれる。お婆さんの言葉をそれらしい口調で再現する。

妄想というより、幻覚といったほうが正しいようだ。
幻聴、幻視。

枕カバーのタオルの花模様が動いて見えたり、
天井の煙感知センサー?がゾロゾロ動いて見えたり、もするらしい。

「お母さんもそうなっちゃうの?」と、娘は心配する。
わかりません。先のことは…

人間の脳は摩訶不思議である。

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もうひとつの世界

入院して間もなくから、母の話を時々おかしいなとは思っていたが、
何気なく聞き流していた。

だけど隣の部屋やそのまた隣の部屋の、患者さんと誰かさんとの
やりとりの一部始終が、そんなに母の部屋まで筒抜けだなんて、
やっぱりあり得ない。
内容にもだいぶ「?」のところが増えてきて、
昨晩母に付き添った帰宅後に、それらがすべて、
母の幻聴と妄想によるものではないかと気づいた。

今朝、神経内科の受診があるというので、間に合うように家を出た。
ナースステーションでまず、母の話しているような事実が
実際にあるのかどうか、看護師さんに尋ねた。
「そういった事実は全くありません」

やっぱりそうか。
看護師さんに、母に幻聴と妄想が始まっていることを伝えてから、
部屋に向かった。

12時半くらいだといっていた受診が、9時半に始まってしまったという。
後から家族の人に話があるということで、
私がひとり神経内科に向かい、先生と話をした。

パーキンソン病の検査をいろいろとした結果、
確かにパーキンソン症状は出ているけれど、パーキンソン病だとは
言い切れない状態。他のパーキンソン症候群の様々な病気があるので
診断をつけるために、今度さらに精密検査をすることになった。
区外のもっと大きな病院で検査をする。

母が今朝ひとり受診した際、母の言ったことといえば
坐骨神経痛だとか、関係のない話ばかり、
それもここ半年のことばかりだったようだ。
それで私は懸命に、数年以上前からの様々な症状について
細かく説明し、最近の立ちすくみや意識消失の話、
入院後からの妄想、幻聴の話などもきちんと説明をした。

医師は少し驚いて、細かくカルテに記載していく。
ああ、伝えられて良かった。
医師が当初疑っていたらしい病気と、姉が「これじゃないか?」と
見当をつけている病気と、私が「こっちじゃない?」と想像している病気と、
どれも投薬効果があまり期待できない、予後の悪い病気である。
パーキンソンよりタチが悪い。
正確に診断がつくのは、来週のはじめの精密検査の結果が出てからだ。

今まで母のことを、家事をせずに人に依存して、怠惰に過ごしていたから
一気に老化が進んだんだと、私たち娘は皆、そう思っていた。
だけど見えないところで病気が進んでいたから
こんなふうになってしまったのかと思えば、
なんとも気の毒で可哀想だったなと思わずにはいられない。

もし母が病気にならなければ、きっと今頃、
子供の手の離れた娘たちと、温泉に行ったり海外旅行に行ったり、
デパートへ一緒に買い物に行ったりご飯を食べたり、
そんなことができたに違いないんだなと想った。

昨日の晩病院からの帰り道、
バスの中で元気そうな70代のお婆さんを見かけた時に
ふとそんなことを想って、泪がこぼれた。

今日の母はどんどん新しい妄想が増えていって、
看護師さんに向かってもなんやかんや言い始めていた。
看護師さんはきょとんとして、
「そうなんですかぁ?そういうこともあるのかもしれないですね」と
適当に聞き流してくれたけど、私も何気なく一緒に病室を出て、
一応今の話が妄想であることを伝えておいた。

妄想が混じるけれど、母の頭は正常である。
今のところ、呆けているのではない。
母の中に、もうひとつの世界が生まれてしまったのだ。
何を聞いても驚かず、決して否定はせず、
「ふうん」「そうなんだぁ」と聞き流すこと。
私にできることはそれだけだ。

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病院からデニーズ

昨日の夕飯時には、病院に付き添える者がいなくって、
母は「遠くのおかずに手が届かなかった」らしい。
お盆の目の前にあるご飯と漬物は食べたけれど、
お盆の奥にあるおかずに手を伸ばして食べるのがしんどかったので、
食べなかった、という意味らしい。

今日の昼間は二番目の姉が付き添い、
夜は私が娘を連れて病院へ行き、付き添った。

「ねえ、奥の器に届かなかったら、お盆を回転させて向きを変えるとか、
してみなかったの?」と訊くと、
「思いつかなかった」と母は言う。

一日ほぼ仰臥状態でいると、血圧は上がっている。
だから母の顔はしっかりとしていて、おしゃべりも滑らかだ。

母は今、ポータブルトイレをベッドサイドに置いて用を足している。
入院時には、トイレを使うときは必ずナースコールをする様に言われていたのに、
血圧が高めで元気なせいで指示がかわったのか、
ひとりでベッドから降りてトイレをしている。

おまけに昨晩、夜中に目が冴えてしまったので、
廊下をフラフラ歩いてみたという。
「何しに!?」と訊くと、「足慣らしよ」と答える。

足なんか、慣らさなくっていいですから。倒れたらどうするの。
すぐに年配の看護師に見つかり、許可は出ていないと注意され、
すごすごと病室に戻ったという。アブナイアブナイ。

夕食後、母のぐちゃぐちゃを聴き、なんやかんやを世話して、
娘とバスに乗って自宅に向かった。
明日から試験の息子を呼び出し、三人で、
近所のデニーズで食事をしたのが8時半。

「何年ぶりだ?」と息子が言う。
そういえば娘と息子と私の三人で外食するのって、
もしかしたらほんとうに久しぶり。
どちらか片一方とならたまにはあるけれど、
こういうシチュエーションは、確かに久しぶりだった。

明日の夜も、付き添いが要るな。
だけどこういう時ってほんと、一人娘じゃなくって良かったと思う。
私ひとりで抱えるかと思ったら、それはそれは大変だもの。

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昨日、母が入院した。
正確にいえば、入院させた。

このところ私は、朝からおにぎりをつくって母を見舞い、相手をして、
仕事をして、医者へ連れて行き、を繰り返していた。
月曜から水曜まで同じようなパターンを繰り返した。

抗鬱剤を飲んだ母はその晩、また眠れなかった。
寝付いて2時間後に目が覚め、その後朝まで一睡もできず、
手足の震えに怯えていたという。

水曜日はだから一日体調が悪かったのに、
午後かかりつけの医者へ行くと言い張る。前日の精神科の報告をするという。
手足の震えについても話したいという。
でも医者は専門外のため、どうすることもできない。
一週間受診を待たずに翌日もう一度精神科を受診して、
薬を替えてもらえばと言う。私はもう、ゲッソリする。

その日の夕方、ケアマネさんに電話して、介護認定変更のことについて
訊ねるついでに、今の様子を報告した。
すると入院させたほうがいいという。

母はその日、特別に様子がおかしかった。
一緒に寝るよという娘たちの申し出を断るので、夜に見に行くと、
母の身体は硬直して、足が前へ出ない。とんでもない形相をしている。
虚ろな目は瞬きもせず、どう見ても正常ではない。
トイレにも行けない。ベッドの上でも動けない。
上の姉とふたりがかりでどうにかトイレを済ませ、ベッドで身体を移動させた。

夜中にそっと見に行くと、母は寝息をたてていた。
これはもう、精神科で薬の調整などといっているレベルの話では
ないのではないか。とにかくこの低血圧をなんとかしなくては、
そしてもしかして何か重篤な病気が隠れているのかどうか、
もう一度調べたほうがいいのではないか、そんな結論に達した。
内科や精神科、一通り揃っている病院へ行くべきだと、姉と相談した。

そして昨日、姉が調べて評判もきいたことがあるという、
比較的近い総合病院へ、私がタクシーを呼んで連れて行った。
母をなんとか説得した。
タクシーを降りて、病院の入り口ですぐに車椅子を借りた。
紹介状もないけれど、とりあえず内科を勧められ、順番を待った。

トイレに行きたいと母は何度も言う。
待っている間に2回車椅子を押して行ったけれど、「出ないわ」と言う。
「こんなに狭いトイレじゃ、息苦しくて出るものも出ない」と文句を言う。

担当医にひととおり病状を話して、本当に今困っていると訴える。
アブナイ事を告げる。私は入院してほしかったからだ。
「検査入院ならできますよ」ということになった。
母は厭そうな顔をする。「今日なら個室がたまたま空いてます」と言われ、
上手く母を説得し、すぐに入院させてもらうことにした。

担当医は「パーキンソン病の顔をしてますね」と軽く言う。
パーキンソン病だと、低血圧も鬱症状も出るという。
身体の強張り、足のすくみ、独特の仮面様顔貌…。
今までも実は何度か、パーキンソン?という説は、家族の中であった。
けれど癌研でも女子医大でも、あらゆる検査を定期的にしてきたし、
脳のMRIだってCTだって全部やってきて、常に異常なしだったのだ。
パーキンソンは血液検査ではわからないという。

病室のベッドの上の母は、身体が動かず、方向転換もできなかった。
私がどう支えても動かないので、仕方なく頭を逆にしたまま寝かせた。
検査を少しして、部屋へうつり、遅い昼食をとり、問診がおわって
私が病院を出たのは3時すぎ。
それから入院のしたくをして、荷物を詰め、上の姉と一緒に
もう一度病院へ向かった。

すると母の血圧は今度は異様に高く(興奮したのかも)、
すっかり上機嫌である。いくらか動くこともできる。
昼間までの母が嘘のように、いくらか笑顔も見せる。まるで別人だ。

帰宅したのは夜の8時近かった。帰りのバスの中で、強烈な眠気が襲ってくる。
どうしようもなく疲れていることに気づく。
夜中に姉と、お互いネット上で検索し