病院からデニーズ

昨日の夕飯時には、病院に付き添える者がいなくって、
母は「遠くのおかずに手が届かなかった」らしい。
お盆の目の前にあるご飯と漬物は食べたけれど、
お盆の奥にあるおかずに手を伸ばして食べるのがしんどかったので、
食べなかった、という意味らしい。

今日の昼間は二番目の姉が付き添い、
夜は私が娘を連れて病院へ行き、付き添った。

「ねえ、奥の器に届かなかったら、お盆を回転させて向きを変えるとか、
してみなかったの?」と訊くと、
「思いつかなかった」と母は言う。

一日ほぼ仰臥状態でいると、血圧は上がっている。
だから母の顔はしっかりとしていて、おしゃべりも滑らかだ。

母は今、ポータブルトイレをベッドサイドに置いて用を足している。
入院時には、トイレを使うときは必ずナースコールをする様に言われていたのに、
血圧が高めで元気なせいで指示がかわったのか、
ひとりでベッドから降りてトイレをしている。

おまけに昨晩、夜中に目が冴えてしまったので、
廊下をフラフラ歩いてみたという。
「何しに!?」と訊くと、「足慣らしよ」と答える。

足なんか、慣らさなくっていいですから。倒れたらどうするの。
すぐに年配の看護師に見つかり、許可は出ていないと注意され、
すごすごと病室に戻ったという。アブナイアブナイ。

夕食後、母のぐちゃぐちゃを聴き、なんやかんやを世話して、
娘とバスに乗って自宅に向かった。
明日から試験の息子を呼び出し、三人で、
近所のデニーズで食事をしたのが8時半。

「何年ぶりだ?」と息子が言う。
そういえば娘と息子と私の三人で外食するのって、
もしかしたらほんとうに久しぶり。
どちらか片一方とならたまにはあるけれど、
こういうシチュエーションは、確かに久しぶりだった。

明日の夜も、付き添いが要るな。
だけどこういう時ってほんと、一人娘じゃなくって良かったと思う。
私ひとりで抱えるかと思ったら、それはそれは大変だもの。

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昨日、母が入院した。
正確にいえば、入院させた。

このところ私は、朝からおにぎりをつくって母を見舞い、相手をして、
仕事をして、医者へ連れて行き、を繰り返していた。
月曜から水曜まで同じようなパターンを繰り返した。

抗鬱剤を飲んだ母はその晩、また眠れなかった。
寝付いて2時間後に目が覚め、その後朝まで一睡もできず、
手足の震えに怯えていたという。

水曜日はだから一日体調が悪かったのに、
午後かかりつけの医者へ行くと言い張る。前日の精神科の報告をするという。
手足の震えについても話したいという。
でも医者は専門外のため、どうすることもできない。
一週間受診を待たずに翌日もう一度精神科を受診して、
薬を替えてもらえばと言う。私はもう、ゲッソリする。

その日の夕方、ケアマネさんに電話して、介護認定変更のことについて
訊ねるついでに、今の様子を報告した。
すると入院させたほうがいいという。

母はその日、特別に様子がおかしかった。
一緒に寝るよという娘たちの申し出を断るので、夜に見に行くと、
母の身体は硬直して、足が前へ出ない。とんでもない形相をしている。
虚ろな目は瞬きもせず、どう見ても正常ではない。
トイレにも行けない。ベッドの上でも動けない。
上の姉とふたりがかりでどうにかトイレを済ませ、ベッドで身体を移動させた。

夜中にそっと見に行くと、母は寝息をたてていた。
これはもう、精神科で薬の調整などといっているレベルの話では
ないのではないか。とにかくこの低血圧をなんとかしなくては、
そしてもしかして何か重篤な病気が隠れているのかどうか、
もう一度調べたほうがいいのではないか、そんな結論に達した。
内科や精神科、一通り揃っている病院へ行くべきだと、姉と相談した。

そして昨日、姉が調べて評判もきいたことがあるという、
比較的近い総合病院へ、私がタクシーを呼んで連れて行った。
母をなんとか説得した。
タクシーを降りて、病院の入り口ですぐに車椅子を借りた。
紹介状もないけれど、とりあえず内科を勧められ、順番を待った。

トイレに行きたいと母は何度も言う。
待っている間に2回車椅子を押して行ったけれど、「出ないわ」と言う。
「こんなに狭いトイレじゃ、息苦しくて出るものも出ない」と文句を言う。

担当医にひととおり病状を話して、本当に今困っていると訴える。
アブナイ事を告げる。私は入院してほしかったからだ。
「検査入院ならできますよ」ということになった。
母は厭そうな顔をする。「今日なら個室がたまたま空いてます」と言われ、
上手く母を説得し、すぐに入院させてもらうことにした。

担当医は「パーキンソン病の顔をしてますね」と軽く言う。
パーキンソン病だと、低血圧も鬱症状も出るという。
身体の強張り、足のすくみ、独特の仮面様顔貌…。
今までも実は何度か、パーキンソン?という説は、家族の中であった。
けれど癌研でも女子医大でも、あらゆる検査を定期的にしてきたし、
脳のMRIだってCTだって全部やってきて、常に異常なしだったのだ。
パーキンソンは血液検査ではわからないという。

病室のベッドの上の母は、身体が動かず、方向転換もできなかった。
私がどう支えても動かないので、仕方なく頭を逆にしたまま寝かせた。
検査を少しして、部屋へうつり、遅い昼食をとり、問診がおわって
私が病院を出たのは3時すぎ。
それから入院のしたくをして、荷物を詰め、上の姉と一緒に
もう一度病院へ向かった。

すると母の血圧は今度は異様に高く(興奮したのかも)、
すっかり上機嫌である。いくらか動くこともできる。
昼間までの母が嘘のように、いくらか笑顔も見せる。まるで別人だ。

帰宅したのは夜の8時近かった。帰りのバスの中で、強烈な眠気が襲ってくる。
どうしようもなく疲れていることに気づく。
夜中に姉と、お互いネット上で検索しながら電話で話し合う。
調べてみると、パーキンソンではなく、パーキンソンによく似ているが
別のひとつの病気に、症状がぴったりだということがわかる。
薬が効かないとある。進行が早いとある。

癌みたいに、早期発見して病巣をすべて摘出すれば大丈夫というものとは違う。
早くから分かっていたとしても、変わらなかったかもしれない。
それでも家族の気持ちのもちようが違っただろう。
母をみる目が違ったかもしれない。

もちろんその病気だと判明したわけではなくって、まだ事実はわからない。
明日、脳のMRIを撮るのだという。神経内科が専門になる。
母がもしその病気だとしたら、すでに発症から数年以上経過している。
病気のレベルでいえば、既に最終レベルの下から二番目のステージに
到達しているのかもしれない。

さあて、これからどうなるか…。
母は検査入院だから、あと3~4日で退院すると思っている。
実際はどうなるかわからない。
長く厳しい介護の道が続くのか、他の方法があるのか、
何をどうするのがいいのか、どうできるのか…。
今はまだわからない。

だけど結局は、なるようにしかならなくて、まあ、どうにかなるよ。
先のことを思い悩んでも仕方ないね。
一年後の自分がどこにいて何をしているかなんて、案外わからないものだよ。

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おにぎりの日々

また母の話題だよ。
だってそれも仕方ない。結局かなりの時間を母に費やされている。

今朝、10時からのセッションの前に、母の部屋を覗いた。
玄関から入ってすぐの、トイレにも寝室にも母はいない。
リビングのソファにもいないぞ、っと思った次の瞬間、ギョッとする。

キッチンとリビングの中間地点で、母が直立不動で目を見開いている。
手には、桃の載ったお皿とナイフ!
瞬きひとつせず、指一本動かさず、いくら呼びかけても何の反応もない。
すぐにお皿とナイフを手から取り、
「わかる?お母さん?」と訊いても、目はうつろに、でも妙に鋭く見開いたまま、
ピクリともしない。
下手をすると前にバタンと倒れそうなので、両肩を支えて、
とにかくソファに座らせようとするけれど、足が一歩も前へ踏み出せない。

やっと意識が戻って、ヨチヨチと、それこそ5センチほどの歩幅で歩いて、座る。
いつからそうしていたのか、自分ではわからないという。
そんなに長くはないという。それでも私がドアを開けて廊下を歩いて入ってくる
少し前からは、そのままの格好で立っていたことは間違いない。
立ったまま、目を開けたまま意識が遠ざかるってこと、あるのね?

「血圧、今日は下が32…」という。
なんだかもう、それって生きてない。
もうほんとに一人にしておけないから、どこか入院でもさせとくれ~。

一昨日は「一睡もできなかった」と言う。睡眠剤が効かないと。
眠れない、身体も動かない、「もう死にたい」と母は言う。
「睡眠薬を替えてもらうの」と言い張り、主治医のところへ車椅子を押していった。
抗鬱剤は血圧を余計に下げるっていう。
専門の医師に診て貰ったほうがということで、近くの精神科に紹介状を書いてくれる。

今日の午後は歩いて20分弱のそこの医院まで、暑い最中、車椅子を押していった。
重いものを押して歩くと、汗をかくわね。喉もからからになってしまった。

先生は佐々木恭子アナ似の綺麗で優しい女医さんで、
すごく時間をとって話を聞いてくれる。
何か血圧の面で新しい展開を期待したけれど、その異常な低さについては
困るばかりでどうにもできない。昇圧剤も効かないっていうんじゃ、
そりゃどうしようもないわよ。
問診の結果でも明らかに鬱なので、抗鬱剤をとりあえず少量から始めて
様子を見ることになった。母の顔は完全に無表情だ。

抗鬱剤が効いて、いくらか気持ちが元気になって
それで血圧が上がることを期待するけれど、
これ以上血圧が下がるようなことになったら、もう廃人だ。

診察室を出て行く頃には、少し元気になって、笑顔が出る。
ちょっとした軽口なども口から飛び出す。やっと人間に戻る。

母はこの頃おにぎりとかのりまきとか、そんなものしか食べたがらない。
今日はお昼のメニューをいくつか提案したけれど、
どれもものすごくイヤな顔をして拒否をする。「見たくもない」なんて言う。
こんなに弱っても、母はまだ我儘だ。
「おにぎりがいいわ」って言う。
だから昨日も今日も、私はおにぎりばかりつくっている。

最近娘がおにぎりをお弁当として持って行きたがり、
今日は息子がおにぎりを持って行くというので、
結局なんやかや、私は日々、誰かのためにおにぎりをつくっている。

もう私、おにぎりやに転職しちゃうわよ。

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どうすればいい?

母の老化と衰弱が、加速度を増している。
母はもう、驚くほどゆっくりとしか歩けない。
立ち上がるのも身体を動かすのも、信じられないほどのろい。

梅雨に入ってから、低血圧は更にひどい。
今夜も夕飯を食べに我が家へ来るなり、死にそうな顔をしている。
食欲もあまりない。それでもご飯は茶碗1杯はしっかり食べる。
おかずをあまり食べない。

そして食後にソファに移ると、姿勢が固まったまま呆けている。
「何か憂鬱なこと考えてるの?それとも何にも考えてないの?」
と訊いてみると、「なんにも考えてないの…」と呟く。
頭の中が真っ白なのだ。

「帰るわ。ごちそうさま」と言って立ち上がり、無表情で廊下をトコトコと歩き、
玄関でサンダルを履くのに、一度座り込んでしまう。
どうにか立ち上がって、でも我が家の玄関には手すりなどないので、
私の腕につかまらせる。

母の部屋までついていき、中に入って血圧を測ると、
上が66、下が42だ。
食後は特に下がるのはわかっているけれど、
このごろは一日中、こんな感じに近いのだろう。

母は自分が動けないことに、絶望を感じている。
以前は立っていると血圧が下がって倒れたけれど、
この頃は座っていてもダメなのだ。
動けないからますます筋力は衰え、マッサージの人にアドバイスされても、
自分で頑張って何かを続けるとか努力するという精神力はない。

「とにかく自分の身体を少しでも触ってるといいんだって。
マッサージとか運動じゃなくっても、とにかく擦るだけでもいいんだって」
と教えると、「そうよ」と当然のように言うのだけれど、
もう手を動かして自分の脚を擦る気力もないようだ。

昨晩は、睡眠導入剤を夜中に半錠追加して、その後目覚めて
トイレに行ったところ、ふらついてトイレの中で倒れて動けなくなったという。

いろいろな提案も、母は嫌だという。
変化を嫌う母の、でも急速にやってくる老化の波に、
どう対処すればいいっていうんだろう。

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低血圧

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夕方、母と下の姉が散歩に行く。
そういえば私は最近、
母の車椅子を押していない。
近所への用足し、散歩は、
この頃二番目の姉が面倒みてくれている。

母ははじめ、車椅子を手で押して、歩いていく。
そうして疲れると、座って押してもらうパターンだ。

母はめっきり痩せた。
姉も薬の副作用か歩きすぎのせいか、
ものすごく痩せた。

出先からチャリンコで戻った私が二人に気づいて、
背後からシャッターを押したのに、
二人はまったく気づかず、歩いていく。

なんだかよくわからない世界に行っちゃってるよ。

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母の我儘

朝の8時半、母から電話。
夕べ睡眠導入剤を飲み間違えて効かなくて、
とうとう一睡もできなかった、って話。

どうのこうの要求があったようだけど、
私は午前中仕事が入っていたので対応できず。

ダルイので、ヘルパーさんの来訪を断ったとのこと。
「だって、お風呂掃除を10分くらいしてもらったら、
あとはおしゃべりの相手しなくちゃいけないもの。
今日は喋る元気がなかったから」
って、なんか根本的に間違っているよ、その考え方。

夕方、6時頃に母の様子を覗きにいくと、
左下のお腹が痛いという。こんなのは初めてだという。
右下なら盲腸かもだけど、母は盲腸切ってるし、
左下はたいがいガスだったりすることが多いから、
お腹のマッサージでもしたらという。
母のやわらかい下腹を押してみても、痛がる様子もなく、
張っているふうでもない。それでも押した瞬間、ガスがキュンと鳴る。
診療時間は過ぎているけれど、今日もT医院に電話をすると、
留守電になっていて対応不可。

いったん戻って夕飯の支度をしていると、
6時半過ぎに私んちのチャイムが鳴り、母が立っている。
「やっぱり、痛いのよ…!」と、悲痛な表情で立っている。
本日定休日の姉を巻き込み、医者に連れて行くとか行かないとか、
まだやってるやってない電話が通じる通じないといろいろもめた後、
母は私んちでほぼ普通に、30分遅れの夕飯を摂る。
いつもよりご飯を少しだけ少なくしたけれど、
それでも私が食べてる量よりずっーと多いよ。

下腹痛はおさまったり、また押し寄せたりする。
はっきりいって、たいしたことはないのが誰の目にも明らかだ。
それでも母は痛みがくると、大袈裟に顔を歪め、不安におののく。
今夜、どうにかなったらどうしよう…と思うのだ。

2年前のブスコパンという鎮痛剤ならあるけれど、
さてはてどうかしら?と思っていた。
だけど素人判断で、「ガスよ」と決めてしまって、もしそうじゃなかったら、
もし万が一のことがあって、後悔してもいやだしな…。

で、どうのこうのさんざんやり取りしたあと、
結局私が桜台のほうの救急病院へ、タクシーを呼んで連れて行った。
なかなかイケメンの若い医師に、
「いちばん強い痛みの時が10だとしたら、今はいくつですか?」
と訊かれ、「今は普通です。全然痛くないです」と答える。
「え!? まったく痛くないんですか?」と驚かれる。

熱もない、痛みも治まる、炎症があるとは思えない、
やはり便秘系ガス系の痛みだろうということで、
特に何もできないし必要ないだろうという。
かかりつけの医師に相談して便秘薬の調整をしてもらうよう提案され、
で、今晩の鎮痛剤3回分を処方された。
ブスコパンと同じ種類の薬のようだ。

医者に大丈夫だといわれれば安心する。
薬を飲めば安心する。そんなものなのだ。
医師の前で、「私はそもそも血圧が…」が始まり、
放っておくと乳癌の手術の話なども始まりそうだったので、慌てて制した。
医師もはっきりした人で、
「今の症状以外のことをゆっくりお聞きする時間はないんですよ」と言う。

「気に入ったわ。いい男だわ。看護婦さんも感じいいし…」と
母は満足げである。
確かに看護師の女性はとてもてきぱきと、感じのいい美人さんだった。

帰りのタクシーの中で、「痛い…」と顔を歪める母。
「お母さんって痛みに弱いの?」と訊くと、「弱いのよ」と答える。
「我儘よね~」と、笑いながら言ってみる。母も笑う。

ああ、これから先、こんなことばっかりが増えていくんだろうな。
覚悟しておかなきゃ。いや、ほんと、マジで…。

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孤独がつくりだすもの

夕方、仕事場から自宅に戻って、夕飯の支度を始めるまでの束の間、
自宅のPCに向かっていた。
すると玄関のドアが開く音が聞こえる。
チャイムも鳴らないのに、誰かが呟く声が聞こえたような気がする。

母が戸口に立っていた。
無表情で立ち尽くしている。
「どうしたの?」と訊いても、ボケーっとして固まったままだ。

『きちゃったのか!?』と、一瞬慌てる。
突然痴呆が始まっちゃったのか?などと想う。

「なんだか…、ヘンなの、今日は」って、母が言う。
いや、最近いつでもヘンだけど…。
「もうTさん(かかりつけの医者)やってないわよね、6時じゃ…」って言う。
立っていて倒れられても困るので、母の部屋に戻るよう、付き添う。
ソファに座らせる。
「なんだか今日は、気持ち悪いの…」
なんとなく頭の中がぼーっとして、少し横になっていたけど
ヘンな感じがすると母は訴える。
「脳梗塞とかじゃないかしら」と、心配しているようだ。

「血圧が低いんでしょ?」と訊くと、「そうでもないのよ」と言う。
今日の昼間の血圧は上が90と、紙にメモしてある。
低い時は上が70くらいだ。
血圧計で測らせてみると、上が160ある。
間違いかと思ってもう一度測ると、今度は165になる。高い。
母にしてはずいぶん高い。
今までも、急に150台になったこともあることはある。
だけどだいたいは常に低いのだ。

6時までのクリニックに、5時50分に電話をかけて事情を話した。
医師からの質問を母にして、とりあえず様子を見ることにした。
枕を高めにして安静にしておくこと。
できれば首の後ろを冷やすのもいいといわれたので、
うちにあった冷えピタシートを貼ってあげた。
気持ちがいいと母は言う。

ひどい頭痛もないし、吐き気もない。手足も大丈夫。歩ける。
そうでなくても普段から母は、血圧以外何の疾患もないのだ。
それでも一人でいると、このまま死ぬんじゃないかと不安になる。

夕食当番の次女から「今日のご飯は雑穀米よ」と言われ、
「またぁ…?」と、母は露骨に顔を歪める。「おかずは何?」
「キャベツと○○と××とモツの炒め物よ。
それから○○と××とメロン!」と、羨ましくなるようなヘルシーな
献立を姉は口にする。
我儘な母は結局、次女に鉄火巻きを買ってきてもらうことにする。

姉が部屋を出て行くと、母は雑穀米とモツの悪口をはじめる。
「固いのよ」って言う。
「私が死んだら仏壇に、アンタのつくったおにぎりを供えてちょうだい」
と母は言う。
「私、アンタのつくったおにぎりがいちばん好き」

なんだか気が重い。

7時半くらいになって、母から電話がかかってくる。
気にかけてくださったT先生から、電話を頂戴したのだそうだ。
母は上機嫌だ。
「血圧がね、さっき測ったら、上が107!」だと言う。
そりゃ良かったよ。

母はどうしようもなく淋しくなったりつまらなくなったりすると、
こんなふうにちょっとヘンになって、周りをアタフタさせるのが好きだ。
もちろん意識してやっているわけではない。
だけど無意識だからこそ、ちょっと怖いんだな。

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ホテルでランチ

光が丘にある、「ホテル カデンツァ 光が丘」。
以前は第一ホテルだった。

水曜日が定休日の姉夫婦が車を出してくれ、
一日遅れの母の誕生祝にホテルで食事、ということになった。

昨日よりはだいぶ暖かいとはいえ、結構冷える。
かなりふくよかな姉は、半袖のTシャツ一枚にスカートで、
「季節感がない」と夫に怒られている。
「少しも寒くないの!」と姉は突っぱねる。
どうのこうの言いながら、仲の良い夫婦だと思う。

11時半に予約を取ってあった、和食のレストランだ。
私と義兄と姉は「紫陽花」という簡単なコース料理を注文し、
母だけは「そんなに食べられない」と言い、にぎり寿司のセットを頼む。
本当に、どんなにいろいろとステキなメニューのある店へ行っても、
母が頼むものはほとんどが同じようなものばかりだ。
決して冒険しない。食べることにもともと興味もない。

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これが第一膳。
第二膳は写真を撮り忘れた。
イカが美味しかったなあ。

そして次が第三膳のご飯。
なかなかお洒落である。
こういう器とかって、すごく好きだ。
最後まで食べなくちゃと思える。

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そして最後にデザート。
ひとつひとつのデザートの味は
たいしたことないけど、
とても綺麗。

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母のランチのにぎり寿司セットには、デザートもついていない。
義兄の差し出したものを少しいただくが、
「食べ過ぎると気持ち悪くなる」と言う。

今日の母は、一日血圧が低くてぼーっとしているらしい。
車の乗り降りも、信じられないくらい
足元がおぼつかない。ヨタヨタしてて、今にも躓きそうだ。

それにしても食べてる時の母は、少しも幸せそうじゃないな。

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76年

今日は母の誕生日。
生まれてから76年。

母の実の母親は、母を生んで間もなく、いわゆる産後の肥立ちが悪くて
亡くなったらしい。
当時はわからなかったのかもしれないが、もしかしたら私と同じで、
妊娠中毒症だった可能性もあるわね。
私だっておそらく昔だったら、
間違いなく長女出産時にこの世から消えていたと思う。
医療の進歩は有難いわね。

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母にケーキを買ってきた。
チョコレートケーキはしつこくってイヤと言うので、
去年と同じイチゴのショートだ。

本当なら姉がつくってくれればいいのだが、
普段の姉に、なかなかそんな余裕はない。

今夜の母はわりと上機嫌だ。
友達から電話があり、話をしていたところ、玄関のチャイムが鳴って、
姉の夫からの薔薇の花束のプレゼントが届き、
さらにもう一度チャイムが鳴ったと思ったら、
姉の息子(母がいちばん好きな初孫)が紫陽花の鉢植えを
プレゼントしにきたという。

一人暮らしをしている母の友人は
「あなたは幸せね。みんなに大事にされて…」と、母を羨ましがったという。

もう一人の姉からも、姉の息子からも、私からも私の子供たちからも、
母は皆にプレゼントをもらった。ほんと、幸せじゃないのよ。

他人からそう指摘されたときだけ、
母は自分の幸せを喜ぶことができる。
だけど日々の孤独に呑み込まれる時間が増えていくと、
いつしかまた、自分が不幸になっていくんだな。


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私は厭だ

私は厭だ。嫌だ。イヤだ。

何が厭かって、母の姿を見るのが厭なのだ。苦痛なのだ。
できることなら顔を見たくないとさえ、思う。

今夜の母は、食事中も死人のような顔をしている。
食べる前も食べてる時も食べた後も、無表情で、固まっている。

「ぼーーっとしてるのよ」と母は言う。
「血圧が低いんでしょ?」と訊くと、軽く頷く。
梅雨の時期、母の血圧は更に低くなる。

薬を飲んでも血圧は一向に上昇しないので、服用をやめた。
こんなふうだから何もできないと母は言うけれど、
何もしようとしないからそんなふうなのだ、ともいえる。

新しいことを始めようとか、新しい環境に飛び込もうとは絶対にしない。
どうしてもそういうことができない、というか、しないので、
実際、どうにもならない。

現状を嘆き、私に愚痴をこぼす。
週に1回来てもらっているヘルパーさんにも見栄をはっているので、
なんだか最近は、逆に疲れているのかもしれない。
今日はヘルパーさんが来る日、というと、
部屋が綺麗に片付いている。
「お茶菓子がないわ」とまで言う。

「何言ってるの?お茶菓子なんて、ほんとは出しちゃいけないのよ。
勧めればいただく人がいたとしても、それはそれで構わないけど、
用意がないなんて、そんなこと気にする必要なんて、
全くないんだからね!」と、私は呆れて、少し怒る。

「お母さんは、どうしたいの?」と、
さっき、夕飯を終えて自分の部屋に戻る時についていって、
ソファに横たわる母に問いかける。
答えがないことを分かっていながら。

母にはしたいことなんて、ない。
したくないことばかりが、ある。
今の生活を変えるつもりはない。
だけど、不平と不満と恨みだけが、積もっていく。

母が私にしてほしいことは、分かっている。
だけど母はそれを口にはしない。
そして私はそれを、したくない。
だって私自身の生活が立ち行かなくなってしまう。
私の方が、潰れてしまう。

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訂正だわ

昨日書いた下の記事の訂正。

私、何書いてるんだろ。

>母が幸せだったのは、子供の頃。
特に、自分の母が、本当の母親だと知る前までのこと。

ではない。それって当たり前だわ。

正しくは、
自分の母が、本当の母親ではないと、知る前までのこと。

でありました。

母が小学校3年生くらいの時、
一人で出向いた歯医者さんで、そこの先生に、
「アンタのお母さんは、ほんとのお母さんじゃないんだよ」と
いきなり告知されたそうだ。

帰宅して娘の言葉を聞いた父親は、
怒って歯医者に怒鳴り込みに行ったとのこと。

私は泣きながら家に走って帰る、
おかっぱ頭の9歳の母の姿を想い浮かべるだけで、泪が出る。

まったく勝手な想像だけどね。

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幸せの感知センサー

母の回想録をつくるために、予め定められた質問にしたがって
何度かインタビューをしてきた。

母が幸せだったのは、子供の頃。
特に、自分の母が、本当の母親だと知る前までのこと。
それでも優しくて甘い父親に大事にされて、母はひどく我儘に育ったようだ。

そして集団疎開。
最上級生だった母が、日誌を書くために朝礼に参加しなかった朝、
教師にそれを咎められ、叩かれ、転げたこと。
いちばん幼かった3年生の子が毎晩親恋しさに泣いていたこと。
戦争が自分を強くしたと思うこと。
そんな貴重な話も聴いた。

病床にあった夫が、死ぬひと月ちょっと前の結婚記念日に、
「おまえと一緒になって、よかったよ」と言ったこと。

どこまで本当かわからない。
最近は特に、母の記憶はかなり歪んでしまっている。
とても調子よく、狡猾に歪んでいたりする。

母が今いちばん傷ついているのは、
「私はどうやら立派な母親ではなかったらしい」ということのようだ。
子供達が皆、自分が料理しなかったということを責めるからだという。
長女からも次女からも私からも指摘されるから。

母の中の記憶では、自分はしっかり料理をつくっていたらしいのだ。
「天麩羅なんか、よく揚げたじゃない」なんて言う。
「うちで揚げ物ができるんだって知ったのは、お父さんが入院してた時に、
コロッケ揚げたのが初めてよ」と私は言う。
「嘘よ~。よく蛤の天麩羅とかつくったわ」

って、いったいどんな嘘なんだろう?
うちに蛤なんてものを見た記憶もないし、母が揚げ物をしている姿なんて
私には記憶にない。とんかつは近所のお肉屋さんで買ったんだよ。

「そんなに料理しなかったってことが、いけなかったの?」と、
母は夫の死後、自分の親に炊事いっさいを任せてしまったことを気にする。
いや、父親が死ぬ前から、母は炊事が大嫌いだったのだ。
土曜日に学校から帰っても、私にお昼ご飯が用意されていた記憶はない。

もちろん私の記憶だって、完全なものではない。
人間はいくらでも、勝手に記憶を書き換えるのだから。
だけどそれは子供の中の真実なんだから、
子供は子供で、母のファンタジーを受け入れる気持ちにはならない。

だけど今の母に、あまり厳しいことを言うと気の毒なので、
ついつい私は、無理矢理なフォローを試みる。

「料理をつくるってことは、何を食べようかっていう、
人間のいちばん大きな本能だよ。
何にしようかと思って買い物に行って、調理をして片付けをして、
それだけでもすごくいい運動になる。頭と身体を動かす。
食べることにあまりに興味がなくて、早くからそれを放棄しちゃったことで、
お母さんは足腰が弱っちゃったでしょ。
私たちはそれが残念なんだよ。
だからつい、料理をしなかったっていう話になっちゃうんだよ。
そしてそれは自分自身に対する戒めでもあるんだよ。
私も独りになったら、もしかしたら料理なんてしなくなるかもしれない。
お母さんは本当に、料理ってものが嫌いだったんだね。
そんなにも嫌いでしたくなかったんだから、
代わりにしてくれる人がいたんだから、それはそれでいいじゃない?」

なんていうようなことを、私は言って、ごまかす。
だけどほんとうの気持ちはちょっと違う。かなり違う。

母は、自分が良い妻であり、夫から愛され大切にされた、幸せだったと、
夫婦の物語を閉じている。
だけど母親としての自分はそんなに駄目だったのかと、足りなかったのかと
最近になってから様々な想いを馳せるようになったようだ。

足りないことが駄目なんじゃない。
駄目な母親だということが、厭なんじゃない。
そのことに気づかずにいる、自分をごまかすことが上手すぎる母に、
納得がいかないのかもしれない。

母親が、今の自分を「幸せだ」と感じられるように、なんて、
そんなこと私にはできない。
それだけの能力がないことと、そうしてあげるだけの熱意がないこと。

そして何よりも、今を幸せと感じるかどうか、
その感知センサーは、本人だけが持ちうるものだし、
本人が精度をあげるしか、方法がないんだと、私は思っている。

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回想法

回想法(reminiscence/life review)
とはアメリカの精神科医R.Butlerによって創始された心理療法である。
主に高齢者を対象とし、人生の歴史や思い出を、受容的共感的な態度で聞くことを
基本的姿勢とする。個人に対して1対1で行う個人回想法と
グループで行われるグループ回想法に分けることができる。
回想法は心理療法の一つとしての利用のみならず、
アクティビティ、世代間交流や地域活動として利用されることが多い。
<ウィキペディアより引用>


私は今、回想法を扱っているある団体の、通信講座を受講中だ。
課題のひとつとして、自分自身の回想録と、誰か周りの高齢者の回想録を
仕上げることになっている。

自分自身のものは、だいぶ前に仕上げたのだけれど、
どうしても母の回想録が、なかなか進まない。
私の中に、小さな抵抗があるからだということは、分っている。

母の今までの人生を振り返りながら、改めて、いろいろなことを想う。

人生の様々な場面について訊ねていると、
ほとんど憶えていない、あるいは特別な印象を持っていない場面と、
とても嬉しそうに長々と語られる場面との差が、あまりにも歴然としている。

質問にはない、そのときの母の気持ちを私は訊ねてみるのだが、
母はほとんど言葉が出てこない。
「忘れちゃったわ、そんな昔のこと」と言う。
例えば、家庭や学校で褒められたことはどんなことか訊くと、
「褒められたことなんて、ないわ」と頑なに言う。

それでも訊いていくうちに、小学校ではあらゆる場面で目立つ役に抜擢され、
常に脚光を浴びてきたことが改めて浮き彫りになる。
それでも、褒められたこととして、母の中には刻まれていない。
おそらく口下手だった両親から、そういった言葉をもらうことはなかったのだろう。

可愛くて利発で身体が大きくてハキハキしていた母は、先生のお気に入りだった。
決して自分からは名乗りをあげなかったというが、それでも母は
本当は目立つことが好きでたまらなかったのだと思う。

魚河岸でお手伝いをしていた束の間に見初められて、
3ヵ月後に夫となる男の一族から猛烈に口説き落とされたあたりのエピソードを、
延々と私は聞かされる。

人から美しいと評価された記憶は、今でも母を夢中にさせる。
それなのに、子供が生まれたときの自分の気持ちは、憶えていないという。
「そりゃ一人目は、初めてだったから、嬉しかったわよ」って。
ほとんど、それだけだ。

家庭生活で苦労したこと、夫婦で頑張ったこと、といった質問にも、
母は「べつに…」と首を傾げる。
何か引き出そうとして、いろいろと言い方を変えてみたり、
ちょっとしたエピソードを持ち出してみたりするけれど、
母の反応はない。
経済的に安定していたし、父は家計のいっさいを自分が管理していたから、
母はただ、受け身のまま、父に服従している生活だった。

ライフレビューインタビューは、この後、シビアな質問も増えてくる。
ひとりの人間として生と死をどう見つめ、
家族や知人に何を伝え、どんな言葉を遺したいのか、そういった質問が続く。
死生観や宗教観といった、観念的な問いかけもある。
私は自分の回想録を書くのに、ずいぶん泪を流してしまった。

これから、母がどう反応し、どう応えていくかが、
楽しみなような、気が滅入るような、そんな気持ちだ。

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自分に夢中

夢中です。自分のことに。
私じゃないわよ。母のこと。

母はこの頃、自分のことしか頭にない。
相手の都合だとか事情だとかを、だんだん理解しようとしなくなった。
理解できなくなってきた、のかもしれない。
要するに歳をとると、どんどん子供に戻っていくということなのだろう。

今日、薬もなくなったしお腹の具合がどうのこうのなので、
お気に入りのかかりつけ医院に行くことになった。
私は仕事があるので、ヘルパーさんに行ってもらうことにしていた。
もともと近所の医者まで車椅子で付き添いすることも、
訪問サービス内容のひとつに組み込まれていたことだ。

そこの医者はいつも空いているので、午後の診療開始時に行けば、
待つこともなく、1時間半の間に充分帰ってこられる。

夕方、ヘルパーさんが帰った後、母は軽く興奮して私の仕事場へ来る。
「ちょっと、話を聞いてくれる?」と言って、上がりこんでくる。

「今日Tさん(医者の名)に行ったらね」と母は夢中で話し出す。
何かと思ったら、要するにこうだ。

母の両足首に今、なぜか紫斑が出ている。
T医師に、ヒアルロン酸の注射を始めたことを報告すると、T医師は
「それならウチでもやっている」と答える。
そしてヒアルロン酸注射のあと、しばらく様子を見ていたか、とか
その紫斑は注射と関係あるかもしれない、心配だ、とか、
レントゲンを撮ったのに、写真を見せて説明しないのは変だ、とか
(写真を見せなかったという話は初めて聞いた)
その医師の医療行為を疑問視する言葉を並べたようだった。

とりあえず明日行く予定だったSクリニックの注射はやめておきなさい、
と言われ、よければ私が診ていきましょう、的な言葉をもらったようだ。

そんなことが母はよほど嬉しかったのか、なんだか夢中なのである。
まるで二人の王子が姫である自分を奪い合おうとしているみたいな?

「私、血管がみんな青いの。悪い病気なのかしら。恐くなっちゃったわ」
と言う。
え、血管って、誰でも青く見えるでしょ。

母は昔から強く押したりぶつけたりすると、すぐに青あざができやすい人だ。
「それ、マッサージのおじさんが足首ぐいぐい揉んだからじゃないの?」
と、私が訊く。

「あ、そういえば、足が浮腫んでるからって、ずいぶん強く揉んでたけど」
と言う。
それだよ、それ。

いつ、どこで、何を検査しても、ほとんどどこも悪くないんだから。
それでも病気かもしれないと思いたい母。
そして最近、上がりこむと、微妙になかなか帰ろうとしない母。

今日の食後も、私はやることが沢山あってソワソワしていたけど、
椅子に座ったまま、ホケーっとしている母。
「帰ってくれない?」とは言えず、せっせと後片付けなどをしてみる私。
一年後にはどんなことになっているのだろうと、溜息がもれる私。

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ヒアルロン酸関節内注射で上機嫌

母から電話があって、私の午後の予定を訊く。
できることなら仕事場には、極力電話してこないでほしいのだけど。

整形外科に連れて行けという話だ。

先日母が言っていた「ヒアルロン酸注射」。
母の好きな、「新聞に出てたの」ってやつと
「お友達の誰それさんがやっているけど、すごくいいんだって」というパターンだ。

あそこの整形外科はイヤだとかあそこは駄目だとか、
勝手なことを言っていて、続いたためしがない。

一昨日ネットで調べてあげて、
「他にはココくらいしかないわよ、整形外科は」と、教えてあげた。
「エレベーターがあるから車椅子でも大丈夫なんだって」と言うと、
「そういえば美容院の先生もソコはいいって言ってた」などと、すぐにその気になる。

私は今、連絡待ちの仕事が一件あって予定が立たないことを告げると、
「今月は行かないわ」ときっぱり言うので、来月の初め頃に行こうと決めた。
それなのに今日、切羽詰まった声で「今日、行けない?」と言うので、
そんなに膝が痛むのかと、午後2時からの診察に向けて、時間をとった。
「だってKちゃんが『そんなに痛いなら私が行ってあげようか?』って言うんだもの。
娘が傍にいるのに、悪いじゃない?」と言う。

Kちゃんというのは北区に住んでいる母の妹である。
時々母の様子伺いに足を運んでくれる優しい人だ。
近所の医者へ行くくらいで、わざわざ遠くから妹を呼び寄せる馬鹿もいないよ。

1時40分に車椅子を出して、「そんなに痛いの?」と母に訊くと、
「今日は全然痛くないの」と言う。
「来月って約束したのに、どうして今日なのよ?」と訊くと、
「だってKちゃんが…」と答える。

待合室はリハビリ待機の人で溢れていて、
混んでると思ったけれど、診察にはすぐ呼ばれた。
母は「狭いから、一人で行くわ」と言って、私を待合室で待たせる。
母は他人に、自分の弱いところを見せたがらない。
診察室からは、妙に若々しい高く弾んだ母の声が聞こえる。
医師が男性だと特に、一人で診察室に入りたがるような気もする。
妙に弱々しいときとテンションの高いときの差が激しい。

レントゲンを撮った後、もう一度診察室に呼ばれた母に、医師は
「膝がずいぶん変形しちゃってるね。腰もずいぶん悪いね~」と、
なんだか田舎のおっさんみたいに気さくな声色で話している。
私は待合室で聞いてるだけだ。

医師は母に、ヒアルロン酸の注射を勧める。
母の胸が高鳴っているのが、見えなくても手に取るように解る。
しばらくして診察室から出てきた母は、すっかり上機嫌である。
「まさか今日、すぐにヒアルロン酸の注射をしてもらえるなんて、
思わなかったわ!」と興奮している。

別にイマドキ、たいした治療でもなくって、
どこでも普通にやるようなことらしいじゃないの。
それでも母は、とんでもなく高度な治療を受けることのできた
特別待遇者のような面持ちで、顔が輝いている。

解っているのよ。ここ数日間、ず~っとヒアルロン酸注射のことだけ考えて
日々を過ごしてきたのよね、きっと。
ヒアルロン酸注射さえすれば、快適な人生が待っているかのような、
そんな気がしていたんでしょう?

「一週間に1回でよろしいんですね?」と、母はしつこく念を押していた。
おい。毎週連れて行くのは誰だい?

「車椅子使ってることとか、言いそびれたわ」と母は言う。
はじめから、言いたくなかったくせに。

私が隣に越してこなければ、母がここまで弱ることはなかったと
今でははっきり断言できる。

ここ数日はヒアルロン酸関節内注射で、母は幸せに酔いしれるのだろう。
「気さくないい先生!顔は悪いけど。
顔が良かったら恥ずかしいもの。よかったわ!」

って、いったい何を想っているのやら…

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母、喋る喋るの巻き

昨日の午後、介護事業所の所長さんが、母の担当となるヘルパーさんと
一緒に見えた。「代理人」となっている私も同席し、挨拶する。

母はとにかく座って話がしたくてたまらない。
「早速お風呂掃除、しましょうか?」なんて相手方が言っても、
母はとにかくとりあえず、座って話をしたいのだ。
私が強引に着席してもらう。
「では、ご紹介を兼ねて…」と着席。

老人相手に慣れていらっしゃるから、所長さん(女性)は話がお上手だ。
母は嬉しくなって、自分のことをどんどん話す。
血圧のこと、数年前に駅のエスカレーターで気を失ったこと、
自動改札を通った瞬間に意識を失って倒れたこと、
そのときの駅員さんとの会話、等々。とまらないとまらない。

「このまま最後まで話すつもり?」と時々私が釘を刺すけれど、
母は絶好調だ。
「江戸っ子ですから」なんて言って、例のごとく
『明るくて気さくな私』を演出し、笑いをとっている。
人が自分の話で笑い、おだてられたりヨイショされたりしているのが
母は一番好きなのだ。

あまり自分のことばかり話しているので、
とりあえず担当者の方の自己紹介でもしてもらったらと、話をふった。
一通りの話が済んで、所長さんは帰られ、私も席をはずした。

夕飯の時も、母は元気だ。
いつもよりも明らかに口調が滑らかである。
担当ヘルパーさんから聞き出した情報を、嬉しそうに私に話す。

明日は介護保険の更新申請のために調査の人が役所から見える。
そして午後はマッサージだ。
このところ、母は適度に予定が入っていて、いい感じ。

やはり大切なのは刺激だわ。
人間との接触。話すこと。これに尽きる。

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訪問介護予防サービス

ケアマネさんから紹介された事業所の、
所長さんとマネージャーさんが見えた。

14時に、母の部屋で。
いつものケアマネさんと事業所の方2名と、母と私で打ち合わせ&契約。

母の頭には、アデランスシフォレがのっている。
だけどやっぱり自毛との馴染ませ方が下手くそだと思う。
隣で見ていて、ちょっとイライラする。
はじめは硬い表情をしていた母だが、そのうちリラックスしてきて、
ケアマネさんが帰られて事業所の方2人と話をする頃には、
母の口から冗談なども飛び出した。

早速来週から来ていただく予定のヘルパーさんは、
50代の気さくな女性だという。
「私は江戸っ子だから、チャキチャキした方のほうが…」と母は笑う。
「ちょうどぴったりの者がおります」

そりゃあよかった。

「サッパリしていて明るくて気さくな私」というのは、
母が捉えている、あるいはそうありたいという自己像である。
勘違いしている自己イメージでもある。
まあ、嘘とは言い切れない一面も確かにあるのだけれど。

散歩がてらお買い物と、お風呂場のお掃除等の家事を一緒に行う。
介護予防のために生活を活性化することが目的。

寒さのせいもあって、母はこの頃血圧が上がっている。
先週近所のかかりつけのクリニックでやった血液検査
(実はやる必要などないのだが、自分は腎臓が悪いと思い込み、
同じような検査を何度もしている)の結果が出たとのこと。

「マッサージのおかげかしら。
前よりも数値がずっと良くなってるって!」
と、母は私の家の玄関に立ち止まって話す。軽く興奮ぎみだ。
別に前から少しも悪いところなどないのだが、
数値が正常値により近くなったということだろう。

マッサージも確かにいいだろう。
そして前よりも食欲が出ているので、そのせいもあるだろう。
睡眠薬の上手な飲み方を会得して眠りの質が高まったし、
便通の薬の配合もちょうどいいのが見つかったし、
やれやれ、良かったね。

それにしても歳をとると、自分の身体のことだけで頭がいっぱいに
なってしまうのは何故だ?
私もそうなるのかな。そうなりそうだな。

そして自分を中心にしか、周りが見えなくなってくるのも困る。
例えば以前だったら、ちょっと私が顔を見せないと
「あら、具合でも悪いんじゃないかしら?」と心配してくれたものだが、
最近では「私のこと恨んでるのね」という発想になる。
被害妄想である。

少しでも外の人間と触れ合う時間が増えることで、
気持ちが健全になっていくことを期待している。

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アデランス→三越

今日は親孝行をしてしまった。

今日は池袋のアデランスへ行く日。
「道が凍結して渋滞してるらしいから、12時15分には出られるようにしていて」
と、12時前に母から電話がかかってくる。

母は事前に、12時20分にタクシーお迎えの予約を入れている。
12時10分に私が部屋のドアを開けると、母も自分の部屋から出てくる。
そしてサッサと外へ出る。
「まだタクシー来てないわ」

「20分の予約なんだから、どうして10分も外で待たなくちゃいけないのよ」と
私は納得がいかない。それでも母は聞こえないフリなんだか
本当に聞こえないんだか、黙ってマンションの入り口に立っている。
立ってると血圧が下がるから「しゃがんでなさいよ」と私は言う。

15分にタクシーが着いて、結局池袋へ到着したのは12時42分。
予約は13時ですから。いつもこうなのだ。
都心の大きな通りが昼間も凍結で渋滞なんて、あるわけもない。

「あんまり早く着くのは失礼なのよ。相手の時間を奪ってることになるのよ」
なんて言ってみるが、母には聞こえない。
最近都合の悪いことは聞こえないらしい。


アデランスの担当の女性は本当にいい人で、
本当に信じられないほど良くしてくれて、私も母も喜んでいる。
今日はスペアのシフォレの前髪に白髪を増毛したものが出来上がる日。
毛量が増えたことと白髪が増えたことで、
自毛との境目がずいぶん目立たなくなった。これなら大丈夫。

アデランスへ行くたび、カット、シャンプー、ブローをして、
綺麗になった頭にカツラをつけて、本当に来たときとは別人のように
生き生きと見える。髪ってやっぱり大事だわ。

母は久しぶりに元気になって、「服でも買いに行きたいなあ」と言う。
三越が近いので、そこまで頑張って歩ければ、
あとは車椅子を借りて、エレベーターで移動すればいいと提案。
「誰かに会うかもしれない」「○○さんがよく三越に行ってるから」
などと、つまらないことを言う。

それでもなんとかその気になって、綺麗な頭で母は三越に行った。
本当に何年ぶりかのデパート。
車椅子を借りる時も「ちょっと足を痛めたもので」と、
ワケのわからない見栄を張る。

それでも洋服売り場へ行くと、車椅子から降りてセーターやジャケットを
手に取る。腰も膝も曲がっていて、客観的に見たら
やはりちょっと普通ではない。
それでも母の眼はいつになくギラギラしている。

結局セーター2枚とジャケット1着と部屋着風パジャマを買って、
あんみつを食べてから、タクシーに乗って帰った。
母と外で物を食べるのは久しぶりだ。
母は途中で何度も店員に「ちょっと足を痛めているもので…」と
言い訳をする。だけどそのへっぴり腰を見たら、
足をたまたま痛めてるってことじゃないくらい、誰でも判る。

それでも本人は、たまたま車椅子に乗らせてもらっているだけで、
私はそんなに老人ではない、と主張したいのだろう。
カツラをつけて車椅子に乗っている母はなんだか大きい。
私が押しているから余計にでかく見える。

帰りのタクシーの中でも、母の顔は生き生きとしている。
ここにいる、という感じがする。
「久しぶりに買い物して、スッキリしちゃった」と言う。

本当にどこよりも、誰よりも、デパートが好きな人なのだ。

家に着いた時にはすっかり日が傾いていて、
予定が狂ったなと思いつつも、たまには仕方ないかと感じた一日だった。

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訪問介護

昨年母の希望でペンディングになっていた、訪問介護サービスの検討。
ようやく腰をあげました。結局私が。

母は自分では何も動かないし、姉は日々の仕事に追われている。
私がやらなくちゃ、結局何も前へは進まないのね。

もう一度、地域包括センターのケアマネさんに電話して事情を話した。
その前に自分で一ヶ所、事業所に電話して話を聞いてみた。
「介護保険を使ってのサービスに制約があって」どうのこうの、
「人手が足りない」のなんのおっしゃるので、
自立支援サービスで構わないと言うと、
「でも話を聞くと、充分介護保険が使えます」とおっしゃる。
「介護保険を使うなら、ケアマネさんにプランを立ててもらってからでないと
受けられない」という。

でもね。ケアマネさんの意味が、私にはわからなくなってきていたのだ。
昨年デイサービスの検討をしていた時、ケアマネさんと契約だけはして、
その後一ヶ所だけ事業所を紹介され、自分で電話して見てくれと言われ、
私が電話してアポを取り、体験したけれど母が嫌がり話が流れたきり。
そのことを私がケアマネさんに連絡して、リハビリ施設はないか聞いたところ、
パンフのコピーを送付された。
私がHPでも確認して問い合わせると満杯だと断られた。
「それじゃあお母様がその気になるまでは…」と、なんとなく一時終了、
のような感じで言われ、保険を使わないサービスでもいいんだけどと
話すと、それじゃあと、パンフのコピーを届けに来た。
もちろん、それっきり。

いったいどこまでしてくれるのか、何をしてくれるのか、
結局パンフや情報をいくらか届けてくれるだけなのか、
意味不明になっていたのだ。

だけど今回事情を電話で話すと、「それならプランを…」
と、初めて出番、とばかりに話を進めてきた。そういうもんなのか。
どうも介護の世界はわからない。

今週、紹介された事業所の人が来て、母と私で契約をする。
お買い物のつきそい(散歩を兼ねて)とお風呂掃除などの家事を一緒に。
とりあえずそういった形。
とにかく「誰かが自分のためにやってくる」という刺激、楽しみ。
家族じゃない人と会話をするということ。
愚痴じゃない話をするということ。

それでもとりあえずは週1回。1時間~1時間半のサービスだ。

母は昨年末から、私がタウンページで探して見つけた、
マッサージのオジサンに定期的に来てもらっている。
訪問マッサージはほとんどなくって、偶然見つかった、バッチリの人。
週に1~2回、自費でお願いしている。
といっても、嘘のように安価で、それも嘘のように長く施術してくれる。
今の母の大きな楽しみだ。

最近の母は被害妄想っぽくって、正直うんざりすることがある。
妙に私に遠慮している態度が、見ていてイライラさせられる。

ちょっと忙しくてかまってやらなかったら、
「アンタは私のこと、恨んでるんでしょ。この頃すごくそれを感じるの」
なあ~んて言われて、無性に腹が立った。

まだまだ先は長い。
憂鬱である。

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足踏みの日々

どうすればいいんだろう?
と、考える。

考えるけれど答えはなくて、当の本人、母にも何らの決定意志はない。
「母はどうしたいのか?」が明確ではないので、
いや、願望はあっても現実化は望めそうにないので、
私はただ、足踏みをしている。
この状態について、二人の姉が相談相手にならないからでもある。


今のままでいいのだろうか?
と、思う。

たとえば「最近お風呂に入るのが怖いのよね」と母が言うから、
「じゃあウチで入ればいいよ」と誘っても
「やっぱりいいわ」と断ることについて。

訪問サービスとしてヘルパーさんに来てもらい、
買い物や散歩の付き添いや話し相手になってもらうこと。
昨年末は結局、「今年はもういいわ」ということでペンディングのまま。
つまらなそうな母の日常を見ていると、
せめて週に1回でもそういうサービスを利用するために、
早く手続きをしたほうがいい。

買い物に出るときに、心の中で葛藤した末、
やっぱり声をかけてあげようかと思い、母の部屋のチャイムを鳴らす。
トコトコと廊下を歩いてくる母に
「買い物に行くけど、なんかある?」
と訊くと、すがりつく捨て犬のような目で母が答える。
「何にもないのよ…」(食べるものが何もないという意味)

欲しいものはあるけれど、急には思い出せない。
「ミカンと、それから…、そうだ、牛乳の小さいやつ。
わかんないから、いいわ、それだけで…」

なんとなく心苦しくて私は、意味もなくいやに愛想よく笑ってみせる。
自分をごまかしている。


どうしたらいいだろう?
と、今日も母の横顔を見て考える。

「この頃、食欲があるのよ」と言いながら、
たるんだ下アゴのやわらかい肉を微かに揺らしながら、
食べ物を咀嚼する。
私はそんな母の横顔を、隣の席から見ている。

母はご飯を意外なほど大きな口で頬張っている。
何かの動物みたいだと思う。
食べることは人間の本能なのだと、当たり前のことを想う。

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人に流される女

人の言葉にことごとく流される女、それは母だ。
特に最近の母はものすごい。
「自分」なんてもんは、どこにもない。

母は次女から貰った「悪女の老後論」という本を読み、
「いいことが書いてあるからアンタも読んでおいてちょうだい」などと私に手渡した。
著者は有能でバリバリと仕事をし金持ち。子供はいなくて理解のある夫だけがいる。
そしてそこそこ金持ちの母親をなんとか説得して、
高級老人ホームに入れたというノンフィクションだ。
そしてその後母親はホームであっさり急死、ラッキー!という本だ。
正直私はちょっとムカつくことが多くって、おまけに文体も好きではなく、
途中で読むのをやめた。

在宅介護ではなく、どれだけ老人ホーム入居が子供にも本人にも
幸せかと力説している。
この本に書かれていることは、何ひとつ意外なことなどなく、
もちろんそんなことくらい、私だって以前から考えて母に入居を勧めたのだ。
それなのに母は初めて「なるほど!」と感じたらしく、
老人ホームを見学しようかなどと言い出した。
そして昨年ご主人を亡くされた友人のAさんと一緒に、ホームに入るなどという、
甘い妄想を抱いてみたりしていたようだ。

ところが昨日になって突然、
「そうだ、聞いて。昨日Aさんから電話があってホームの話をしたら、
『あなた、そんなところ絶対にやめなさい!私は絶対に嫌よ。
ずっとこの家に一人で住むわ。今のヘルパーさんが気に入ってるんだもの。
そんなホームなんかにお金をかけるなら、ずっとお金をかけて
ヘルパーさんに来てもらうわ』って、言ってたのよ」と、
なんだか得意げな顔で言うのだ。

Aさんに言われれば、すぐにその気になる。
誰かに言われてその気になって、誰かに否定されると
すぐ気持ちが変わってしまう。
「だって、○○さんがそう言うんだもの」
すべてがその台詞でお終いになる。

何度も大手術をして、広い家に一人住まいだというお金持ちのAさん。
息子夫婦との仲も悪く疎遠らしい。
今はまだ動けても、急に倒れたらどうなる?
ヘルパーさんが来るまでの間、誰にも看取られず一人で逝ってしまう
老人がどんどん増えているというのに。
Aさんには、「今」しか見えていないだけだ。「今」が永久に続くと信じたいだけだ。

母が今の生活で楽しいなら、私は何も勧めたりなんかしない。
でも時々母の部屋に突然入っていくと、テレビもついていない部屋で、
何もしないでただ、ソファにボーっと座っているだけの時が度々ある。
たまに何かしているといっても、通販のカタログを眺めているくらいだ。

「私が歳とって、もしお金を持ってたら、絶対に入りたいな」と私は言う。
「三食ご飯つくってもらって部屋も掃除してもらって、
誰かいるから淋しくはないし、行きたいところへ行って、好きなことだけして、
家族だって時々逢いにきてくれたら、こんなラクなことないわよ」

そんなふうに喋る私を、母は離れたソファから、
暗くて真面目な顔でじっと見つめている。なんだか怖い。

人に言われてその気になって、決めてはみたけど必ず後悔、
あるいは取り消し。そんなことが続いている。
そうしてだんだん、自分のことがわからなくなっていくのかな。
どこか手の届かない世界にいっちゃうのかな。

だけどこれだけはわかる。
母は明るくて無邪気なタイプの認知症には、絶対ならない。

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アデランス 部分カツラってやつ

12月も半ばを過ぎてから、なんだか急にバタバタしてきた。
仕事も身辺のゴチャゴチャも。なんやかや。

やることがたくさんあって、だけどどうも気分がのらなかったり、
上手くはかどらないことがあったりで、少しだけソワソワした気持ちになる。

それなのに明日の午後は、先月からの予約で、
母のアデランスシフォレ、部分カツラの調整と自毛のカットのために
池袋へお供する日だ。
結構時間かかるんだもの。だけど今さらどうにもならない。

アデランス・シフォレ。
これは一体いくらくらいするのか?
大勢の人がいろいろな検索サイトで調べようとしている。
あの過剰なCMのせいで、興味のある女性はこの世に沢山いらっしゃるのだ。
皆さん、値段を知りたくて、どこかに出てないかと探していらっしゃる。
だけど残念。正式にはどこにも載せていないのよ。

CMで見ると、いとも簡単に装着。
ほんとに素晴らしい仕上がりなんだけど、あれはね、撮影用に完璧に
自毛もセットしなおしてからカツラをつけているのよ。きっと間違いなく。
最近出たイヴファイン・クイックとかいうのは、片手で装着で出来るというのが売り。
頭のてっぺんに、いとも軽々と片手でのせているけれど、
おそらく実際、あんなふうにはいきません。
あれはマジックテープ式で、自毛の上から軽く止めるだけ。
でも、外す時自毛が絡んじゃって大変なのよ。

そして肝心のお値段。クイックタイプの小さいやつで最低30万以上はします。
これは先月アデランスの人に直接聴いたお話。
母のカツラは頭の形状上もっと大きくて、後頭部にかけてもカバーする形。
だから当然クイックではなくて、別のパッチン止めがついているタイプ。
値段も当然その2~3倍はします。嘘のようだが本当の話。

シフォレとかなんだかとかランクがあるのかどうかも、
営業レディは教えてはくれない。勝手に選んで勝手に決める。
パンフレットにもHPにもまったくそのからくりは載っていないから、
私が教えてあげましょう。

まず、パンフレットの郵送を電話で申し込む。
すると何日かして営業レディから電話があり、訪問の日のアポを取ることになる。
ものすごい大荷物で、綺麗な女性が家にやってくる。
ものすごく丁寧に、パーマと染髪がいかに身体に害があるかを説明。
そして他社との違いを強調。
そしてサンプルの部分カツラをつけて、髪を整えて見せる。
「あら、素敵」になったところで、特別な器具を使って頭の型どりをする。
そして一気に髪の色、形、等を、自毛を褒めながらどんどん決定していく。
最終的には契約書が出てきて、洗い替えのために、最低でもひとつ、
スペアのカツラをつくるように強力に勧める。
契約書にサイン。手付金を支払って、仕上がり日を決め、
アデランスに行く日の予約を取る。
以上、ものすごく丁寧に、くどい説明を加えて、約2時間半。
それでも私等は多少せかした。

来てもらったけど、とてもそんなお金は払えない、という人か、
よほど強い意志を持った人でないと、大抵は「その気」になる。
「いいな」と思う。だって詐欺ではない。
「考えようによっては安い買い物じゃないか」とさえ思う。
そして実際、充分に納得して、明るい生活を送っている人も
沢山いらっしゃるのだろう。

母の場合。
後悔している。
なぜかといえば、オーダーしてから今日までの間に、
どんどん前髪が薄くなっていくからだ。
あの時にはもう少しあったはずの前髪が薄くなってしまって、
カツラと自毛が馴染まなくなってしまった。
かといってカツラを前よりにつけるといかにもカツラくさくて可笑しい。
気の毒である。
基本的にあの部分カツラというものは、自分の毛がちゃんとあって、
てっぺんだけが薄めの人。そして指先が器用に使える人。
あまり年寄りには向かないということだ。

部分カツラが気になって仕方ない方、あれはすべて完全オーダー。
テレビで見るほど簡単ではありません。
(カツラがすごく小さければ簡単なのかもしれないけど。)
そしてどこにも値段が書いてないのは、値段を先に言っちゃうと、
誰も寄ってこないからです。それだけ高いということです。
よくよく覚悟のうえ、パンフレットのお申し込みをしましょうね。

ああ、ついついおせっかいしちゃったわ。

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毛ガニをけなす

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母、今夜は毛ガニをけなす。
母のところに昨日、お歳暮として
届いた毛ガニ、2ハイ。

母はこの間から「カニを食べたい」と言っていた。
だけどそれはタラバのでっかいヤツで、
ぷりぷりの足を鍋につっこんで
シャブシャブしてから食べて
「ぅんま~~い!」とテレビでよく芸能人が
やってるヤツ、あれだ。

息子はカニ好きなので、今夜のカニを楽しみにしていた。
それなりに「旨い旨い」と、時間をかけてほじくりだしていた。
「ミソは自分で取って食べるから」と強調された。

私は毛ガニの上手な処理の仕方をネットで勉強し、
こうやって身と甲羅をはがし、次にココをこうして鋏で…と、
丁寧にプリントアウトまでして予習したのだった。
今まではいつも人まかせだったから。

食べながら母は、文句ばかり言っている。

なんだか食べるとこ、ありゃしないわね。
やっぱりどうせ食べるなら、もっと大きいタラバガニね。
これじゃ食べたんだか食べてないんだかわからないわね。
私、鍋で大きい足を食べたいのよ。お正月に買おう。
あんなに丁寧にお礼言ったのに、これじゃね。
目が見えなくて、どこほじってるんだかわかりゃしない。

ハイハイハイハイ!わかりました。
文句を言ってる母の隣で、せっせと身を取って、お皿に盛ってあげた。
ないないって言ってるけど、こんなに身、あるじゃない。
母は全体的には器用な人だが、食べ物に関しては
信じられないくらい不器用な人だ。物を食べたり、調理したり、
いっさい関心がないために、とんでもなく酷い。

さっき楽天のページで毛ガニの値段を調べたら、思いのほか安くて
ふ~ん、そんなもんなんだと知った。母に教えたら、
「ええっ?そんなにするの?こんなのが!?」

って、どれだけ失礼なんだよ?毛ガニに。
そして贈ってくれた人にだよ。

文句の嵐(といってもそれほど強力ではなく、独り言みたいなものだけど)の中で
食べていると、なんだか私までつまらない気持ちになってくる。
食も進まないってものよね。
そうか。それで食後につい、甘いものなどで自分を癒してしまうから、太るんだな。

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関係ないけどついでに、
この「こだこちゃん」。
昨日デパチカで衝動買いしたもの。
100グラムだけ。
「今日のおすすめ!おいし~い、こだこ煮」に
そそられたけど、硬くてね。ガックリでした。
一緒に煮てあったさやえんどうの匂いが
きつすぎると言って、
息子は食べてくれなかったし。

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悪口

娘は今朝早く、家を出て行った。集合場所は学校。
そこからバスで成田へ向かう。

昨日、トランクを学校へ運び、改めていろいろな説明があったようだ。
話を聞けば皆お気楽で、前日の晩になって荷造りができないなどと、
mixiの日記で嘆いていたとか…。
「私なんて、いいほうだよ!」と娘は言う。
まあ、もうどうでもいいや。確かに私がちょっと神経質なんだ。

娘は今もまだ、飛行機の中だな。


しばらくは息子と二人の生活。
今日は水曜日だから、母がいつものようにヨチヨチと、
7時ちょうどに夕飯を食べにウチへやってくる。
ホンダが開発してるロボット「アシモ」の歩幅がもっと小さくなったら、
母みたいだ。膝が曲がっている。

私はアシモの歩き方、立ち姿を見ていると、ムズムズしてくる。
あんなに膝を曲げた格好で私の傍にいられたら、
きっと鬱陶しくて仕方ないと思うわ。

夕飯を終えた母は、テレビをつけて有線大賞を見る。
私なんかは聞いたことも見たこともないような演歌歌手ばかりが
登場して、続々と歌を披露する。
母はそれを見て、延々と文句を言っている。

「着物が安っぽい。売れない歌手はいい着物をつくってもらえないのよ。
冬なのに花火の柄なんて。くだらない歌だ。
どれもこれも同じような歌詞ばっかり。二番煎じね。
若作りして。いい歳して大振袖なんて。歌、上手くないわね。
趣味が悪いこと。ちっとも似合わない」等々…

そんなようなことを、ずっとひとりごちている。
「よくそんなに、人の悪口ばっかり言ってられるわね」と、
努めて優しく、母の肩に手をまわしてみる。いつもそう感じていた息子も
「ほんとうだよ」と同調する。
「いつも一人でテレビ見ながらそんなこと言ってるの?」と訊くと、
「一人じゃ言わない。こんなこと言ってるのが楽しいのよ…」と呟く。

おお、おお、淋しいじゃないの。
そんなこと言ってるのが楽しいのか…。
私にそう言われてから、意識したのかプラスのことを呟いていた。

「やっぱり若いから肌がピチピチしてるわ。
化粧が薄くて清楚な感じだわ」…


母の人生を、そこまでつまらなくしてしまった直接的な原因は解っている。
だけど思えば昔から、母にはそういう傾向があった。
しかしそのことに、まったく無自覚であるのも特技だろうか。

あんなふうにはなるまい、こんなふうにはなるまいと、
ずっと母を見てはそう思ってきた。
そう思ってるんだよ…

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眼医者まで

数日前から母と約束していた。
今日の午後は練馬駅近くの目医者へ連れて行く日。
駅までは到底歩行不可能。バスに乗っても中途半端に距離がある。

「車椅子しかないんじゃない?」と言い、車椅子を押していくことにした。
最近は母も車椅子のラクさにすっかり慣れて、
途中までは歩いて自ら押す、疲れたら乗る、というパターンだ。
人通りの少ないほうの道を通って、ゆっくり押し歩いて20分くらいだろうか。

母は最近「眼が良く見えないのよ」と言っていた。
春にめがねをひとつつくって、「よく見えないんだけど」と眼鏡屋にクレームを
付けに行ったのは憶えている。その頃は確か今よりも歩けて、
私が付き添ってバスに乗っていったのだった。

今日、眼医者さんで眼科助手の女性に色々と質問されているのを
脇で聞いていると、母がなんだかアホくさいことを言っている。
「この頃、目がかすむっていうか、よく見えないの。
遠近両用の眼鏡をつくったのに、ちょっと離れたところは見えても
手元が見えないから、お買い物の時、値段とか見るのに苦労しちゃって」

母は、眼が良く見えない、でも中距離は眼鏡をかければよく見える(当たり前!)、
そして手元用の眼鏡をかければ手元もよく見える(当たり前)、
だが遠近両用の眼鏡で手元が見えない、と言っているのだ。

女性が母の言う、見えない遠近両用の眼鏡を預かって調べたところ
「これは、遠近両用ではありませんね」と言う。
だったら手元が見えなくて当然ではないか。
そういえば眼鏡屋で「見えない」とクレームをつけたとき、
店員が「中距離が良く見える眼鏡をご希望ということでおつくりしたんですが」
と言っていたのを思い出した。

遠近両用の眼鏡と思い込んでいたのは自分だけ。
結局作り直せば?という話になり、処方箋をもらっていた。

アデランスシフォレも今、母の大いなる後悔のひとつだ。
そして眼鏡。それから携帯。
ま、シフォレは桁が全然違うけどね。

持っているのに使わない、これが母の大きなポイントだ。

眼医者からの帰り道、ずいぶんと陽が傾いてくる。
こっちではなくあっちの道を通れなどと、車椅子に乗りながら注文も増えてきた。
それでも母いわく、私は下の姉より車椅子の押し方が上手なんだそうだ。
車椅子を一度も押すことのない人、それは長女よ。

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老化するということ

今夜も母は、気を失いかけた。

夕食後、一時的に血圧が下がって、脳に血液がいかなくなるのだろう。
一過性の虚血状態?
それで気を失うということは、老人には珍しくないことらしい。

そういう場合、意識が戻ってから脳のCTなどを撮ったところで意味はないらしい。

「目の前がだんだん真っ白になって、目が見えなくなっていく」
と、母は表現する。
しばらくすると、「ああ、だんだん目がはっきりしてきた」と言う。

少しの間、慌てずに待つしかないようだ。
こういう低血圧の時に横にならせると、一時的に高血圧になることがあるらしい。
ってことは、無理に寝かせずに、大人しく座った状態で回復を待てばいいのか?
ああ、なんだか厄介だな。

歳をとるということは、いろいろと面倒くさいなあと、この頃つくづく感じる。
痩せて、筋力が落ちて、睡眠障害が増えて、やる気が失せて。
もちろんそんな人ばっかりじゃないけど、そんな人も多いってこと。

寝付けないとか夜中に目が覚めるとか思うように気持ちよくウンチが出ないとか。
食欲がなくなったとか喉につかえやすいとか飲み込みづらいとか。
そんな基本的な人間の欲求が、なんだか上手くいかなくなって、
だけどやっぱり人間の三大欲求だけに、どうしたってこだわるのが当然なわけで。

私もきっと、そうなるんだろうな。
二の腕やお腹まわりの贅肉にこだわっているうちがハナなのね。

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今日の空

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母の薬(っていっても整腸剤)を
取りに、近くのクリニックへ
足を運ぶとき、見上げた空。

この雲にもたしか、
ちゃんとした名前があったっけな。
巻層雲?俗称「うす雲」?
違うかも。

「アンタ、ほんとに今日、
薬、取りにいける?行ってくれる?」と、