道ありき
今日は息子を連れて、母の病院へ行った。
孫がお見舞いに行くと、やっぱり母は喜ぶ。
今日は春分の日。
私はすぐ近くの小さな和菓子屋さんでおはぎを5個買って持っていった。
母はこしあんのおはぎときなこ(中にアンコ入り)を食べ、
お腹の空いた息子はきなこ1個と胡麻(中にアンコ入り)を2個食べた。
食べるだけ食べて、母の問いかけにも「まあ…」とか「さあ…」とかで
なんとも愛想のない息子は、一足先に帰った。
帰りがけに恒例の、母からの握手の求めに応じて、
息子は何度も振り返って手を振りながら病室を出て行った。
そんな姿を見て母は、震えるように「…いい子だよ!」と言う。
そしてすぐに、「男の孫にだけ言う…」と、自分で突っ込みを入れる。
そうなのだ。女の孫には決してそんなことは言わないのだ。
母の年代の女性の多くは、男、というもののほうに入れ込むようだ。
男の子を生むと「でかした!」と褒められる、そんな時代に育ったせいかな。
帰りの電車で、三浦綾子の「道ありき<青春編>」を読む。
三浦綾子の若い頃の闘病生活と、その間の恋愛、信仰について綴られたもの。
三浦綾子は日本のドストエフスキーだなと、私は勝手に思っている。
登場人物についてのくどいくらいの精密な描写が似ていると思っていたら、
やはり若い頃に相当、ドストエフスキーに影響を受けていたらしいことを知る。
どうして三浦綾子の本を読むと、こんなに泣いてしまうんだろう。
決して大袈裟な描写ではなく、今風の上手い比喩とかでもなく、
つまり小手先の器用さで綴られた文章ではなくって、
もっと深いところから湧き出てくるようなもの…。
魂を揺さぶられる、っていう表現がよく似合う。
所沢から各駅電車に揺られて、小平だとか東村山だとか花小金井だとか
なんとものどかな駅名を通りながら、私はずいぶん泣いてしまったよ。
泪を抑えられないのに読むのを止められない、なんという素敵な読書。
過去に実在した、心の美しい人の生き様や在り方に触れると、
つくづく自分の愚かさを思い知るじゃないの。
半世紀近くも生きてきて、
私ってばなんてつまらなくて、そして不潔な人間かしらって。





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