願わくは私も

最近ニフティブログの大幅リニューアルがあった。

説明するのももどかしいが、なんだかもう、更新することもままならない状況。

 

平成三十一年三月が、明日で終わる。

月日の経つのがはやすぎて、これじゃあっという間に棺桶行きである。

「だって来年、還暦ですよ」って、何かにつけ私は最近、心のなかでそう呟く。

 

還暦を迎える東京オリンピックの年に、皆でまた逢おうねって約束したのは、小学校時代のクラス会だ。

数年前のことだった。

まだまだずっと遠い未来のことだと思っていた。

 

死にたくはないけれど特別生きたくもないな、とか思いながら、せっせと薬を飲んだりストレッチをしたり血圧を測ったりしているのは、まだ生きたいからなんだろう。

ちゃっかり生きられるつもりだからだろう。

 

どうせ生きるからには少しでも楽しく、穏やかな心持ちで、なるべくなら笑顔で、欲を言えば自分の持ちうる力で誰かを喜ばせたり、束の間でも誰かの心を震わせたり、そんなことができればいいなと、そんなふうに思うのも普通だろう。

願わくは私も、そう生きたい。

 

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春はユラユラ

黄色いラナンキュラスの
まるい蕾は卵の黄身。

辛夷の蕾はフカフカ。

沈丁花の蕾は香りを溜めて
開く機を窺っている。

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杉花粉が舞っている。
私は鼻と関節と筋肉が痛い。
週2で通うリハビリの甲斐もなく。


春はユラユラ。
息子もユラユラ。

「想像できない」ということを想像する、
というのは難しい。

息子が抱える不安やゾワゾワを
ほんとうの意味で理解することは難しい。

いわゆる定型発達の人が
たとえば半月先、半年先の予定に対して、
それほど恐れることなく、
場合によっては期待に胸ふくらませて
その日に向かっていけるのは、
そこに待っているだろう状況の景色を
おおよそイメージすることが可能だからだ。

たとえば来月初めて行く場所は、
おそらくこんな感じのところで、
ひょっとしたらこんな感じの人がいて、
もしかしたらこんなようなことを言われたりして、
そうしたらボクはこんな気持ちになって…

っていうようなことが、
いちいち言語化しないまでも、
頭のなかになんとなくイメージが湧いてきて、
起こりうるかもしれない出来事を、
大抵は現実と大きく違わない程度に
「想像できる」のが普通なのだと思う。

しかし息子は、まさにそれができない。
普通はあって当たり前のはずの
その能力が、著しく欠如している。
彼が生きにくいのは、ここに原因がある。

彼が彼なりに想像しているつもりの景色は、
現実のそれとはまったく異なっている。
そんなことあるわけないじゃない、
というようなファンタジーの世界を
妄想していたりする。

「想像できない」未来がいくつか重なると、
息子の脳はすぐにオーバーヒートする。
できないことを必死にやろうとするわけだから、
脳の疲労はとんでもない。
このところ毎日13時間くらい寝てしまい、
それでも疲れがとれないという。

彼が今抱えている案件は、
六つか七つか八つくらい存在している。
どうしてこのタイミングで
そんなレアな話まで飛び出してくる?
なんていう皮肉なことまで起きたりする。

そうなると、頓服薬。
家族とその他の支援者たち総動員で対処である。

私は極めて冷静に対応しているつもりでいるが、
昨日からまた、携帯が鳴る度に
心臓がドキンと音をたてる。

春は揺れる。

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新春リハビリテーション

薄暗い土曜の午前中、
音楽を聴きながら惰性で化粧をする。
バルコニー越しにふと外を見ると、
知らぬ間に雪が降っている。

今朝も目覚めたときから
両腕がだるく、手指が痺れている。
頸椎も腰も、もう
何が何だか分からないくらい
身体じゅうに苦痛が満ち満ちている。

「行ったところで無駄なレントゲンを
何枚も撮られるだけだし、
いつだって結局為す術なくて
気休め程度のリハビリに通うだけの
暇と根気があるかどうか、よね」
と傲慢なことを語っていた私であったが、
久しぶりにこの度、
徒歩15分程度の場所にある
整形外科に通うことにした。

両脚裏、両腕、両掌、指に痺れ。
両肘が痛い。足首も痛い。
時々足の甲まで痛い。
首と肩と背中と腰のコリがもう、
どうにもならない。
何をやるにも集中できない。
これで生き続けろと?
術後の首の締めつけだってある。

悲愴感を背負って整形外科を受診し、
痛いところに〇をしろと問診票が言うので、
身体じゅうのいろんな場所に〇をつけた。

早速頸椎のレントゲンを5枚も撮られた。
今の私の状態は、女性ホルモンが一気に
減ったことに原因があるかもしれず、
あと1年とか時間が経過しなければ
薬を飲んでも効かないかも、と言われた。

「キリがないのでまずは頚椎から」と
頸椎対応のリハビリメニューを組み立てられた。
二階のリハビリ室に行くと、
おしゃべりと笑い声に満ちた、そこは社交場。
元気なスタッフが7~8名も動き回っている。

腰の牽引機などの大掛かりなマシンはなく、
その代わりにカーテンで区切られた
簡易ベッドの治療空間が10ほどもある。
機械に任せて放置というより
人の手による施術とリハビリが売りのようだ。

照れ笑いを浮かべたお婆さんが、
若い男性スタッフの手拍子に合わせて
通路で歩く訓練をしている。
中年女性スタッフに施術を受けながら
「肌キレイですよ~」と言われて
喜ぶお婆さんがいる。

若いお兄さんスタッフに
肩甲骨まわりを押されながら私は、
そのまま下がって腰も押してくれ…
と願うが、リハビリメニューは肩だけなので
腰には指一本触れてくれない。

「箸も持てねぇ、字も書けねぇ」と、
カーテンの向こうで嘆くお爺さんの声がする。
お正月、ままならない己の現状に
打ちのめされたのではないか。
餅も喰えねぇ、年賀状も書けねぇと?
そりゃあ悔しかろう、哀しかろう。
抱きしめてあげたい衝動に駆られる。

悪くはないが、これでどうにかなるとも
思えないリハビリを終えると目の前を
少し腰の曲がったお爺さんが歩いてくる。
箸も持てないお爺さんかどうかは分からない。
厚手のジャンパーを持っているが、
下に着ているのは半袖シャツだ。この寒い日に。
お爺さんは全身シワシワでヨレヨレである。
きっと一人暮らしにちがいない。

それでもみんな、生きているんだもんなぁ。
首が曲がっても腰が曲がっても
膝が大きく変形しちゃっても、
痛い痛いって言いながら、
みんな生き続けるんだもんなぁ……

電動マッサージ機を押しつけたり
ストレッチをしたりツボを押したり、
なんとかしなくちゃ、なんとかしたいと
小さなリビングで私は今日も、
ひとり静かに闘っている。

まだ、旅は終わらない。

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孤独を刻む

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髪を短く切った。
これくらい短いのは久しぶり。

「昔はずっと短かったんですよ」
と、何人かの美容師に言ったことがあるが、
皆一様に、意外そうな顔をする。

そんなもんかな。

離婚してから
生まれて初めて髪を伸ばしてみると、
なんとなく周りの眼が変わった。

整形したわけでもなく
化粧だってほとんど変わらないのに、
「女の人らしく」見えるような髪形にして、
顔自体が綺麗ではなくても
「綺麗っぽい」雰囲気をつくることで、
案外容易に人の眼って誤魔化せるんだな、
ということを知った。

なんだかな。


少し前まで、私は何度か
髪を短く切られる、あるいは
切られそうになる、という夢をみた。

夢のなかで私は、
怒って哀しんでわずかに取り乱して、
誰かわからない相手に向かって
泣きながら猛烈に抗議していた。

何をそこまでこだわっていたのか、
ちょっと解らない。
気持ち悪いとさえ思う。

あれは私の、女性性への執着
みたいなものだったのだろうか。


私はこの秋から冬にかけて、
とてもたくさんの気持ちを諦めた。
もういいじゃないかと、
それらを圧縮袋に詰め込んで
クローゼットの奥深くしまい込んだのだ。

私の今の在りようは、
私自身の行動の結果である。
幸福の種をいつだって
自分から放り投げてしまうんだから
これはもう仕方ない。


もしかしたらこの先ずっと、
どんなに少なくとも春までは、
私は首元を隠して暮らすだろう。

タートルネックのセーターを着るには、
ショートカットは都合がいい。

しかし手術と加齢といくらか太った影響で
昔とちがって
私のフェイスラインはもたついている。
だからショートカットも垢抜けない。
仕方ない。


クリスマスイヴの今日、
男性に腕を絡めている女性が多かった。
「だって今日はイヴだもん」って
その片腕が語っていた。

それにしても
街は人で溢れかえっていた。


娘はもうじきライブで
おそらく今、関西にいるはずだ。
息子も今夜、
都内の小さなライブハウスで
弾き語りをしている。

私は今日、
自分のために温かい靴下を買った。
大好きな洋風蒸し鍋をつくって食べた。
トマトとブロッコリーが
クリスマスカラーだった。
男子フィギュアスケートを観た。
私史上、今が最高に孤独な日々。


そんな孤独から逃げたがる自分を今、
私は意識的に引き留めている。
自分のやりたいこと、
やるべき(と思っている)ことを
今こそやらなくちゃと考えている。

「平成最後のクリスマスイヴ」に
わずかに残る私のなかの熱情を、
最高の孤独を、
くりかえし胸に刻もうと思っている。


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耐え難き日々に箱根参り

最後に旅行に出かけたのは、
母が他界したその冬。
三人姉妹で旅行に出かけようと思ったが、
まあちゃん(下の姉)が行かないと言ったので、
上の姉と二人、松本あたりに一泊した。

つい先日、ほぼ七年ぶりに旅行をした。
箱根に二泊。
七年ぶりよ、七年ぶり。
信じられない。
どれだけ閉鎖的で息苦しく
精神的に不自由な暮らしをしてきたのか。

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私は雨女なので、
箱根での三日間はずっと小雨だった。
霧雨に濡れて露天風呂に入り、
霧雨に濡れてバスを待ち、
霧雨に濡れて樹々の中を歩いた。

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いくつもの美術館を巡り、
神社で手を合わせ、
湖のほとりで寒さに震えた。

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美味しいご飯を食べ、
広いベッドで眠り、
温泉の中で手足を伸ばした。


昔から旅行が苦手だった。
環境が変わると眠れないのだ。
そして乗り物酔いがひどかった。
旅先で体調を崩すことが多かった。

この歳になって、
やっといくらかマシになったと思う。
いろいろなことから少しは解放された。

甲状腺モルモン剤と降圧剤、
鎮痛剤と睡眠導入剤等を持参した。
解放された一方で、
守らなくちゃいけないことも増えた。


今年もあと半月で終わってしまう。
来年からは、何かを始めようと考える。
ただ生きるためだけに生きているような、
ここしばらくの日々は耐え難い。

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着地点

退院してから、二週間と一日。
首は相変わらず醜い。
傷の上の皮膚が癒着してしまっていて、
喉をゴックンすると、
首の皮膚が悲鳴をあげるように
不気味に引きつる。苦しい。

喉の締めつけ感、詰まり感、
その他、人には伝えきれないような
微妙で不快な感覚。

もともとあった臓器を引きはがし、
周辺のリンパ節を郭清してるんだから、
喉に違和感があるのは当然のことらしい。


昨日は退院後初めての受診日であった。
病理診断の結果を聞いた。
予想外に、リンパ節への転移はなかった。
嬉しいことだが、正直ちょっと拍子抜け。

細胞診の結果が出た時の説明では、
私の癌は16mmという大きさではあるけれど
甲状腺をはみ出してしまっているために
それだけでステージが上がる(悪くなる)、
ということだった。

甲状腺乳頭癌では55歳以上というだけで
ステージの評価が変わってしまう。
甲状腺癌に限っては、若いほど予後がいいのだ。

つまり当初の想定では、
甲状腺の外にはみだしている、すなわち
頸部の皮下組織や気管、食道、反回神経等に
拡がっている可能性があった。

ひょっとしたらすでに、
肺や骨などへ遠隔転移している可能性だって
否定はできなかった。

だから肺のレントゲンに結節影が見つかり、
甲状腺癌の転移の可能性もあると言われたときは、
それなりに覚悟をした。
(結果的に転移の可能性はまずないだろう。
肺原発の可能性も低そうだが、念のため
近く呼吸器外来を受診する予定)

だから左肘の骨の痛みが
いつまで経っても治らなかったときは、
こんな場所に骨転移なんてあるのかと
必死にネットで調べまくった。
(そしてついに、気晴らしに長時間続けていた
ゲームのせいによる「スマホ肘」と判明した)

だから風邪でもないのに喉が痛み、
咳が治らず声が嗄れてきたときは、
すでに気道がやられているのかと不安になった。
(耳鼻咽喉科を受診したら「寒暖差アレルギー」
と言われ、アレルギー剤を飲んだら治った)

そんなふうに、身体の小さな不都合が、
すべて癌に結びついて妄想に走るという、
ありがちなパターンに私も陥っていた。
日常的に不安をぶつける相手がいないという
哀しい現実のせいでもある。


本来甲状腺乳頭癌は穏やかで進行が遅いので、
仮に転移したとしても、
すぐに命を落とすようなことはないという。
5年後はまだ生きているだろう。
しかし10年後に必ず生きているという保証はない。
そんなふうに思っていた。

息子には、「10年後の生存率はほぼ100%よ」と、
いくらか複雑な想いでメールを打った。


術直後は、吐き気止めの点滴も効かず、
数時間、吐いて吐いて吐きまくった。
7~8回はナースコールをしたと思う。
釣り上げられてもがく魚のように
身悶えしながら数回嘔吐がワンセット。
それの繰り返し。
地獄を垣間見た。

手術自体は、あっさり終わったようであった。
甲状腺専門病院だったので、
医師達の技量は確かなもののようで、
全摘にしては、切開傷も小さい。

術後、摘出した甲状腺を医師から見せてもらった娘は、
「砂肝みたいで美味しそうだった」
「小さくてキレイだった」
「癌って黒いのかと思ったら黄色かった」
と感想を述べた。

そして医師は、
「思っていたよりも(甲状腺から)はみ出してなかった」
と語ったそうである。

つまり蓋を開けてみれば
私の癌はそれほど悪い状態ではなく、
そして結果的にリンパ節に転移もなく、
そのため今後アイソトープ治療で
苦しむようなこともまずないらしく、
なんとも有難くラッキーな結果なのであった。

しみじみと安堵はするものの、
どことなく着地点を失ったようなこの感覚は、
どうしたものだろうかと考える。

逆境に強いタチのようなので、
向かい風が吹いてないと分かったら
気持ちが奮い立たないってことだろうか。

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術後の私

退院してから、一週間が過ぎた。
十一日間の入院生活であった。

甲状腺摘出手術を受けた患者は皆
首の切開傷にテープを貼った状態で
病棟内をウロウロとしていた。

二十代くらいの女の子は
術後の首もとてもきれいで、
鎖骨あたりのドレーンがはずれてからは、
弾むように軽々とした足取りで
洗面台と病室を往復していた。

私を含め六十前後の女性となると、
くすんだ肌色のせいか
身のこなしひとつとっても
何やらもっさりとした印象が拭えない。
共用の洗面台でイジイジと
歯間ブラシを操る様が物哀しく映るのだ。


女性が圧倒的に多い甲状腺腫であるが、
男性の入院患者も結構目立った。
洗濯物干し場のハンガーに吊り下げられている
かなり色褪せて穿きこまれたブリーフが
KISS(ロックバンド)のロゴ柄。
持ち主は、私と同年代くらいの
白髪のおっちゃんであった。
まさか四十年間、KISSパンツを
穿き続けているわけではあるまいね。


退院後、思ったよりは身体が動く。
日頃から多少意識して
筋肉を鍛えていたせいかもしれない。
多少疲れやすい程度だ。

首の皮が、喉に張りついている。
一日中誰かに緩く
首を絞めつけられているような感じだ。
この不快な感覚は暫く続くらしい。

しかしこの首。
どうしたものか、この醜い首。
加齢による皺が、単なる皺ではなく、
深い溝と化して残ってしまった。
このまま生きるのはさすがに辛い。
まだ人生は長い(つもりでいる)。
さて、どうしたものか。


それでなくても気忙しい師走を控え、
私は今、様々な物事の処理に追われている。
追われているというより本当は、
自らそうしているだけだ。

手放すもの。
諦めるもの、諦めること。
赦すこと。忘れること。
調べること。学ぶべきこと。
助けを借りるべきこと。
決断力。行動力。実行力。集中力。

気持ちだけが忙しい私は、
三日前に58歳の誕生日を迎えた。

いつの間にそんな歳に…?

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もうひとつ先のこと

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長い三ヶ月であった。

自分が甲状腺癌のようだと判ったのが7月下旬。
再度の超音波検査を経て、細胞診の結果、
確定したのが9月頭。

その時点で入院と手術日が10月末と決まり、
それから今日まで、あぁ、実に草臥れた。

そもそも甲状腺癌っていうのは、
(ごく一部の悪性度の高いものを除けば)
すべての癌のなかでは最も危険度が低い。
甲状腺癌にもいくつか種類があって、
私は一番ポピュラーな乳頭癌というやつだ。

若い女性がこの乳頭癌を患った場合、
適切な手術を受ければ予後は極めて良く、
10年後の生存率はほぼ100%とまで言われる。

この甲状腺乳頭癌っていうやつ、
進行のスピードは遅いが転移はしやすく、
55歳以上はややハイリスクとされている。

つまり、無駄な心配は要らないけれど
ケースバイケースではありますよ、
仮に肺や骨に遠隔転移したとしても、
すぐに死んじゃうようなことはないですよ、
甲状腺癌でラッキーでしたね、
というようなニュアンスであろうと認識している。


私の場合甲状腺を全摘するので、今後は
甲状腺ホルモンの薬を一生飲み続けることになる。
なんとなく自分は今、
もうひとつ別の人生のステージに移動したなと、
そんな気持ちになっている。

今後を少しでも安心して生きるために、
考えなくちゃいけないこと、
準備すべきことが山ほどある。
(おもに息子に関わる問題である。)

私の想いは今、
退院後にどう動くか、に移りつつある。

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僕等は倒れない

九月最後の日。
日本列島を縦断する台風。
外は強い風が吹き荒れている。

この頃の私は、物をよく失くす。
先月、バスのなかでカーディガンを落とした。
忘れ物落とし物が届くという営業所に届け出たが、
結局戻ってこなかった。

先日は遠近両用眼鏡を落とした。
どこに落としたのか分からない。
確かあの時はかけていて、その後はずした、
ということしか分からない。
立ち寄った所に念のため電話してみたが、
やはり届いてはいなかった。

その前にも外のトイレに眼鏡ケースを、
駅のトイレにひと月分の薬一式入った手提げを、
それぞれ別の日に置き忘れたが、
それらは運良く、どちらも無事に戻ってきた。

こんな私の状況を人に訊ねると、
「それは単純に老化だね」と言われる。
なるほどそうかもしれない。


九月は濃厚な日々を過ごした。
ドキドキやソワソワが多かったから、
血圧もおおいに上がった。
そのせいだか、弁膜症まで悪化していた。
何やらお爺さんになった気分である。


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先日久しぶりに訪れた豪徳寺の招き猫たち。
どんな雨風にも、不思議と倒れたことがないらしい。
ほんとうだろうか。
こんな台風の晩でも?

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惑う。平成最後の夏

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そろそろ閉めるかこのブログも…
と思いつつ、ダラダラと月日が流れていく。

いいかげん削除しようか「くりこさんとお茶」、
ずっと考えながらも、見て見ぬふりで放置。

すでにほとんど見もしないツイッターの、
アカウントなんか消してしまえばいいものを…

曖昧にしておくことも時には必要なのではと、
騙し騙し、自分の心を誤魔化し続けた数年間を経て、
ああやっぱり、私は白黒つけるのが好きなんだと、
呆れながら再確認している日々である。

まあ、それはそれとして。

息子、久々に不安定なんである。
台風が次々と押し寄せるような、
最近の気圧の変化に反応してか、
調子を崩している人続出とのこと。

息子は久しぶりにお馴染みの「やらかし」をして、
グループホームから自宅に帰される、二週続けて。

いったん楽な環境に慣れてしまった私の身体は、
ちょっとしたストレスにも弱くなっている。
以前に比べたらまったくたいしたことではないのに、
息子と過ごした2泊3日、私はクタクタになった。
血圧は上がるし、眠れないし。

「これからも、こういった人間関係のトラブルで、
同じようなことは続きます。ずっと続きます」
とは、ベテラン訪問看護師の言葉。

そうなのだ、「不安のない日々」なんて、
きっと訪れることはない。
それをやり過ごすために必要なのは、
「薬しかないね」
と、主治医は言う。

そもそも息子のような人達に向けて、
「不安に負けるな! 不安に打ち克て!」
というのは、障害を乗り越えろということか。

脚の機能が衰え車椅子を使う人に向かって、
「立て! 歩いてみろ!」
そう呼びかけることと等しいのか。

久々に、携帯の着信音に僅かに怯える日々。

2018年、平成最後の夏も終わる。
今日は8月31日。

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