よその家族を観察する

「お弁当箱が悪いんじゃないでしょ! アンタが悪いんでしょ!」

低い声で淡々と凄む、お洒落なママの台詞が気になる。
綺麗なママは、まだ生後1ヶ月くらいに見える、ピンクの求肥みたいな
赤ちゃんを抱っこしている。

「お弁当箱が悪いんじゃないのに、アンタが自分のせいで躓いたのに、
どうしてお弁当箱を蹴るの!?」

雑貨屋のお弁当グッズコーナーで、5歳くらいの男の子が
顔を強ばらせて立ちすくんでいる。目は真直ぐママを見ている。

ママの怒り方は、感情的になる一歩手前といった感じで、
妙に潔く、清々しく響いている。


「え、モヤシ? モヤシか? モヤシ追加ね!?」

と、携帯片手に食料品売り場で、(おそらく)妻に確認の電話をしているのは
60代くらいの男性だ。
今日は夫が買いもの担当か? 偉いぞ、旦那。声が無駄にデカイが。


「マヨネーズは、昔っからのがいいね。昔のマヨネーズは酸っぱいの。
今のは変に美味しくてね」

と、妻とマヨネーズ選びにこだわりを見せる、70代くらいの男性。
小うるさいタイプ。「昔は良かった」人間か。


「アイちゃん、どうしたの? 疲れちゃったの?
カートに乗る? お父さん! カート、カート! 早く、カート持ってきて!」

食品売り場で、祖父母とパパとママとアイちゃんがお買いもの。
過保護のおばあちゃんは、おじいちゃんを走らせる。

「アイちゃん、大丈夫? 疲れたの? カート乗りなさい」

って、ママまで大丈夫か? と私は、丸々と体格のいい、
どう見ても4歳くらいのアイちゃんを見る。

アイチャンはニヤニヤして、身体をくねらせ、カートの下部に潜ったりしてる。
アイちゃん、カートに乗るにはデカイですから!
それとも何か、人知れず難病でも…?

いやいや、どこから見ても健康そうなアイちゃん、歩きなさいって。
ろくな女になりませんって。家族、目を覚ましなさいって。


ゴールデンウィークの、田無、アスタとリビンでのひとこま。

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没後の厄介

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人が一人死ぬだけで、どうしてこんなに厄介なんだろう。

「もしこれが一人娘だったとしてよ? その子がバカだったりしたら、
どうやってこんなこと、できるっていうのよ?」
私の姉はプリプリして言う。

母が亡くなってからの様々な手続き、お墓のなんちゃら、銀行のなんたら、
面倒なあれやこれやを、忙しい仕事の合間に姉はサクサクと片づける。
姉がバカだったりしたら、もちろん私もできる限り手伝うのだが、
やたらと賢いので、安心して任せているというわけだ。

ナントカ協議書だとかに署名捺印するからと、
昨日私は実印と印鑑証明などを持参して、姉の家を訪ねた。
ナントカ協議書は、義兄が作成してくれたし、
やはり持つべきものは、賢い身内であると痛感する。

賢いわりにそそっかしい姉なので、書類をよく読むと、
「何よ! やっぱり相続人全員の戸籍抄本か謄本が要るんじゃない!」
とかいうことが後から判明したりして、昨日は結局、すべての用事を
済ませることができずに終わった。


しかし、故人の遺したいくばくかのお金を、その子供達が受け取るだけの話で、
どうしてあんなに面倒な手続きが要るというのだ?

まるで銀行さんからご褒美をいただくみたいな格好じゃないですか。
勘違いしないでください、それ、もともと私の母の所有物ですから。

なんて、くだらないことを言ってみたくもなる。
いや、別にそんなつまらないこと、言いたくもないか。


私が死んだら、今の子供達にはこんなこと、できやしないなあ。
そうしたら誰が手伝ってくれるんだろう。
こりゃあとんでもなく迷惑だから、なんとかしっかり、生き延びなくては…。

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月曜日の物思い

月曜日はヨガに行く。

先週の月曜は体調が悪く、火曜の午後に振り替えたのだけれど、
「少し体調が悪い程度ならば、頑張って出てくるようにしたほうがいい。
そうしたほうが、動けばなんとかなるんだって、身体が覚えていくから」
と、ヨガの先生に言われる。なるほどそうだろう。
実は体調だけじゃない都合もあったのだが、素直に頷いておく。

ヨガの会場まで、西武新宿駅から、私の足で徒歩15分強。
教室に入るまでだと、約20分。
だから月曜日はペタンコの靴を履いて出かける。


子供の頃は、ラクラクできたブリッジ。チャクラ・アーサナ。
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今は私、まったくできない。
子供はともかく中高年にもなれば、初心者にはそうそう簡単にはできないらしい。

「自分の身体すら、自分で支えられないんですよ~。
人のことを支えようなんて、無理ですよね~」
と、先生は笑いながらおっしゃる。

ほんと、自分の身体さえ、支えられない今の自分。
若い頃と、一体どこがどんなふうに、変わってしまったっていうんだろう。


小雨に濡れる、新宿のビル街。薄雲に霞む都庁。

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お昼どき、たくさんのビジネスマンやOLが、ランチのために移動する。
スタバのカウンター席では、20代の他人同士のOLが、たまたま3人、
並んで腰かけている。

3人ともセミロングのヘアで、3人とも全く同じ姿勢で、同じように、
スマホの画面で指をピュンピュンさせている。 似すぎ。

平日の新宿高層ビル街を歩いていると、なんとも妙な気分に襲われる。
似たような顔をして似たような服を着た人が、
ゾロゾロとビルから吐き出されてくる。

皆、立派な会社に勤めて、立派な給料をもらっている人達だな。
こういう人達が、社会の主立った部分を動かしているんだろうな。
つまらない人もいるだろうが、素晴らしい人もそりゃいるだろう。
企業っていう、組織っていう、堅い(かもしれない)枠の中におさまって
生きているんだもんな。安心なんだろうか。
それとももしかしたらそれ故に、不安だったりするんだろうか。
まったく世の中には、いろんな人がいるもんだ。いろんな人生があるもんだ。
ところで私は何者だったか。何しに新宿の高層ビル街なんかにいるんだったか。
そうだ、私は自分の身体さえ、支えられない人間だったっけ。

だなんてことを、今日もモオ~ッと考えて、
かつてはほとんど行ったこともなかった、京王百貨店や小田急百貨店などを
チラリと覗いてから、ガード下をくぐってまた、何やらうらぶれた感のある
西武新宿駅に到着するのだった。

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「絵描き小僧展」

昨日、東京オペラシティアートギャラリーで開催されている
「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」を観に行った。

小雨の降る寒い日曜日だったせいか、GW前だし給料日前だから
お金使わないでおこうってことなのか、はたまた
初台っていうその微妙な立地のせいなのか、ビル内は空いてたなあ。

個展そのものはまあまあの人出だったけれど、
人の集う都心の日曜日の飲食店に、席を探すことも待つこともなく
スイスイ入れちゃうっていうのは奇蹟のようだった。

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しかしこの人は、
とてつもなく可愛い人なのだと思う。

描きたいものを描こうと思って
キャンバスに向かいながら、
動物だとか魚だとか花だとか
滅多やたらに可愛いものを
真面目な顔して描いているんだろう。

こんな人が近くにいたら、
そしてその制作現場を
目の当たりにしてしまったら、
間違いなく私、恋に落ちちゃうわと、
そんな気がした。

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「くりこ庵」の鯛焼き

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田無のアスタ地下の食品街に、期間限定でオープンしている、
「横浜・くりこ庵」の鯛焼き。

お値段ちょい高めと思ったら、このボリューム。
なんか、丸々と太った鯛じゃないの。

通常の鯛焼き1個分の厚みのものが2個、その間に餡が挟まってる。
生地は、最近流行りの薄焼きパリパリタイプと違って、肉厚ふんわり。
喩えて言えば、いくぶんパンケーキのようかと。
まあ、これはこれで、美味しいかと。

写真では、鯛焼きが小さく見えなくもないが、
鯛焼きが小さいのではない。私の手が小さいのである。

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ポテトで繋がる

60代後半とみられる夫婦、ファーストキッチンで
フレンチフライポテトMサイズを食しながら、語り合っている。


夫は言う。

  「マクドナルドのより、美味いな」
  「やわらかさが残ってる」
  「しょっぱくて、甘い」

妻も語る。

  「味がしっかりしてるわね」
  「味を染み込ませてあるんじゃない?」 (それは違うと私は思う)


コーヒーを飲みながら、ぼそぼそと時間をかけてポテトをつまんでいる間、
ずっと「ポテト」についてだけ、語り合っている。
互いに、時折り想い出したように口を開くのだが、
出てくる言葉はすべて、目の前のポテトを形容するものだけだ。


どれだけポテトが好きなのか。
あるいは、よほど話題がないのか。

ともかくも、ファストフード店でポテトをつまむのが好きな夫婦であることには
間違いないようだ。

それもまた一興。


ポテトが繋ぐ、夫婦の絆、とかってやつか。

それもまた、一興。

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春の「常識」

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もっと昔はどうだっけ?
四月ともなれば、いくら肌寒い日があったとしても、
少しばかり痩せ我慢をして春物の服を着たり、
しなかったっけ?

例えばこっそりと厚手のインナーを重ねたりしても、
せめて外側だけは春っぽく、
颯爽とスプリングコートなんかに身を包んだり
しなかったっけ?


ここ最近、特に若い人の間に、
「季節感」ってものが薄れてきている
と感じるのは、私の気のせいだけではあるまいな。

三月末だっていうのに、まだそんな完全防寒スタイルですか?という人達、
いくらなんでも四月になればと思っていても、一向に変わらず真冬の出で立ち。

ファー付きモッズコートに、エスキモーブーツなんか履いて、今日も普通に歩いている。
昨日の東京なんか、昼間は20度を超えたっていうのに、
予報でも19度とかいってたのに、それでも街には、
ダウンのロングコートや厚手のウールコートに、スエードのロングブーツ、とか。

特に目立つのが、若い女の子の、ひと冬履き潰した感たっぷりの、
ぺたんこのエスキモーブーツの類い。
どう見ても美しくないが、きっとあまりにも履いていてラクなので、
もうしばらく履けるものなら履いていたい、あるいは
もうこれしか履きたくないの、といった感じなのだろうか。


このところ、夏と冬がどんどん長くなっていて、春とか秋とか、
繊細な季節を楽しむ時間が減っていると感じる。
多少の暑い寒いを我慢すれば、昔のように、春や秋に着るような、
微妙な上着なんか、持ってなくてもなんとかなるっていえばなんとなかなる。

いくら季節が「春」でも、朝晩は寒いんですもん、まだしばらく
厚手のアンゴラ混のウールコートでいいわよ!というのももっともな考え方で、
例えばいきなり気温が上がってしまった時の、混んだ電車内の暑さに
堪えられることができれば、それで何ら支障はないわけだ。


「季節感がないわね」とか「いつまでもみっともないわね」とか、
他人が自分をどう評価するとかしないとか、そんなことは関係ない。
「いくらなんでも暑苦しくないか?」と誰かが眉をひそめることがあったとしても、
自分が寒ければそれでいいのだ。自分の体感にぴったりならば、それでいい。
そして実際、他人はたいして気にとめてはいない。

でももしかしたら「寒がり」なんじゃなくって、ただ「面倒くさがり」だったり、
これって冬の服だよねってことを知らないだけ、「被服界の常識に無知」なだけ
だったりして?


「最近は、季節とか関係ないよ」って、娘は言う。
若い女の子は、夏物のペラペラに薄い綿やポリエステルのスカートなんかを、
平気で真冬にも履いている。
肌の透けない厚手のレギンスを、真夏にも履いている。

寒くないのか? 暑くないのか? 単純に私はそう思うが、
「常識」や「体感」を気にする以上に、これが可愛いと思う、これを着たい、
っていう想い、あるいは思い込みのほうが強いのかもしれない。


「季節感がないわね」とか「いつまでもみっともないわね」とか、
他人が自分をどう評価するとかしないとか、そんなことは関係ない。
人は人。昔の「常識」はもはや「常識」ではないのだ。

街を歩く、60~80代くらいの年配女性のファッションを見よ。
若い人よりもきっちりと皆、「春物らしき上着」を身につけている。
寒さと暑さの狭間に着る、適当なコートやジャケットの類いを、
案外豊富に所有していることがわかる。

年末には年賀状を。彼岸には墓参りを。桜が咲くころには衣替えを。
そんな「常識」が、彼女等の多くには染みついている。


私はといえば、「常識」に多少縛られつつも、
自分の欲求を大切にすればいいのよと、
かえって無駄に自意識過剰になっている。そんな気がする。

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けじめの三月 はじまりの四月

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三月というのはやはり、ひとつのけじめの季節である。

うちの近所の、豆屋なんだか海苔屋なんだか靴屋なんだか服屋なんだか
わからなかった雑貨店も、ついに閉店となったし。

5年半も続けさせていただいた、「すてきな奥さん」の携帯サイトの
「お悩みカウンセリング」も、サイトのクローズに伴って
3月末いっぱいでついに終了した。

世の中はスマホ全盛の時代。
有料携帯サイトという存在自体、もう限界がきているのだ。


5年半っていえば、私が離婚する直前からスタートした仕事ということで、
実は私、どれだけこの仕事に支えられたか分からない。

別れること。出逢うこと。嘆くこと。悔やむこと。
恨むこと。憤ること。迷うこと。ときめくこと。笑うこと。泣くこと。

まったく、喜怒哀楽てんこ盛りだった5年半の間、
いつも私の隣にいて、ほぼ毎週毎週、同じように続いていった仕事。
大事なものを見失うことなく、客観的な眼を失うことなく、
どうにか私が居られ続けたのは、「継続」という枠があったからだ。


母のことと息子のあれこれで、しばらくお休みしていた面談カウンセリングを、
この春から再開することにした。

「お悩み相談室 くりこさんとお茶」

今さらだけど、よろしくである。


豆屋なんだか海苔屋なんだか靴屋なんだか服屋なんだかわからなかった
雑貨店の店長も、きっと様々な想いに囚われる春だろう。


そして四月。

私、今日からまた、ヨガに通い始めた。

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現実は彼を裏切る

さて。
何か書こう、何か書きたいのだと、毎日そう思うのだけれど、
はて。
何を書いたらいいか、何を書きたいのか、分からなくなっている。

いや、書きたいことなんて、実はたくさんあるのだ。
でも、何でも書けるわけではなく、これは書いてはならぬとか、
書くべきではないだろうとか、書いても仕方あるまいとか、
そんなことばかりで、結局何も書かないまま寝ることになる。

「ブログを読んでるから、あなたの近況は知ってるわ」
だなんて、そんなのウソだよ。
ブログに綴っていないところにこそ、私の真実はある。

…なぁんて。


3月も、あと一週間でお終い。
長い長い、大学生の春休みが、やっとこさ終わるではないか。

1月の終わりだかに、生まれて初めて履歴書を書いた息子。
頑張って証明写真も撮ってきて、ネットでエントリーしたアルバイト。
「たぶん、受かったと思う」と、面接直後は採用を信じていたようだが、
話を聞いていると私にはどうしても、「はじめから、不採用」の空気が
伝わってくるのだった。

案の定、結構な日数が経ってから、不採用のメールが届いた。
息子、改めて現実に打ちのめされる。

アスペルガーの特性のひとつとして、顔の見分けがつかない、というのがある。
表情の違いに気づいたり、表情からその人の感情を読み取ったりすることが、
上手くできないようだ。

その場に流れている、「キミにはちょっと、この仕事は無理そうだね。
寒いところ、ご苦労だったね、お疲れさん」と、例えばそういった雰囲気を、
彼は感じ取ることができない。
だから「すごく優しく、見送ってくれた」と素直に喜ぶのである。

そして自分なりの解釈で期待をして待つのだが、
現実は得てして、彼を裏切ることになるのだ。


それきり、バイトへの挑戦はスッパリと諦めてしまった。
臆病キング、不安大王の息子だから、不採用を繰り返すような恐ろしい真似は
絶対にしない。
趣味と睡眠と麺類を食することに今、全力投球である。

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今後のネタは

今年が2012年だということにはやっと慣れてきたが、
今年が平成何年かということは、まだ良く分からずにいる。

平成23年だったか、え、22年?
なぁんて思ったりして、24年だと聞くと、それは嘘だろうなんて思い、
どこかに明記してある「24」を見て、改めて驚いてみたりする。


田無の街もいつのまにか、少しずついろんなところが変わってきていて、
この半年の間に、ファーストキッチンは大幅にきれいになって
集客率をアップさせ、小さくて古かったほうのドトールは潰れ、
その跡に焼き鳥居酒屋ができて、夕方になると田無の街を
焼き鳥くさい煙で包んでいる。

鯛焼き屋の跡地にできたカレー屋は、オープン間もなくすぐに閑古鳥が鳴き、
これまた時間の問題ではないかと、ひそかに気を揉んでいる。
不二家も潰れて、さて何ができるのか。


「母のお見舞い」というものがなくなってから、
1. 運動不足である
2. suicaの減りが遅くなった
3. 読書量が減った
という事実だけが残る。

いくつも電車を乗り継いで、階段を上ったり下りたり、
病院に通うだけでもそれなりの運動にはなっていたのだと、つくづく思う。

長時間、長距離、電車に乗らなくなったので、
suicaをチャージする間隔がだいぶ開くようになったのはいいけれど、
移動時間に読書をするのが好きな私は、最近なかなか
1冊の本を読み終えることができない。


「母ネタ」を失くした私は、ブログを綴るモチベーションがすっかりダウンしている。
「つまんないから、アナタのアスペのことでも書いていいかしら」と息子に訊くと、
「別にいいよ」と言うので、これからは久しぶりにまた、
妙チクリンな息子のことをネタにしようかと考えている。

本日は、中古のCDセールに勇んで出かけ、1枚100円のものを21枚購入し、
ご満悦らしい息子、19歳。アスペルガー症候群。
只今、音楽街道、迷走中。
 

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