母 【2011年12月27日】

母がだいぶ衰弱しているのは間違いないので、年末は毎日、
三姉妹の誰かが必ず病院に行こうと、だぶってもいいから、
それぞれが行きたい時、行ける時に行こうと、上の姉と話し合っていた。
私は二日続けて、母を見舞うつもりだった。

26日の晩、「明日は私が行くから。アンタは今日行ったんだから、
明日は行かなくていいわよ」と電話口で言い張る二番目の姉に、
「もう、そういう段階じゃない」と、私は言い返した。
今となったらもう、義務感で行くのではない。行きたいから行くのだ。
行かなかったらきっと後悔するから行くのだ。

下の姉は、時々に変化する状況を把握すること、
急な変更に対応することが苦手だ。
いつもと同じように、同じパターンを繰り返すことを好む。
そういう脳の特性を持った人なのだから仕方ない。


私はいつもより1時間早い病院の送迎バスに乗って、母の元へ向かった。
少しでも長く、母の傍に居たほうがいいと思った。

母はやっぱり今日も土気色の顔をしていて、もうどこにも肉のついていない顔の
額や頬に触れると、とても冷たかった。
本当に母が、いよいよ死の淵に立っているのだと、思えるような気がした。

それでもどこかで、これだけ覚醒していて、これだけ何でも分かっている人間が、
突然死んでしまうことはあり得ないのではないか。
癌などの病気ならまだしも脳の病気であるならば、
もっと意識が無くなったような状態になってはじめて、死が訪れるのではないか、
そんなふうにどこかで都合良く、考えていたことも確かだ。

「今日はご自分で、点滴はしないって、おっしゃったんですよ」
看護師が部屋に来て言う。母に確認してみると、目を少し大きく見開いて、頷く。
「顔が冷たいですよね」と私が言うと、
「体温は普通でしたよ。今朝、お顔にローションを塗って
マッサージしたんですけど、それでお顔が冷えちゃったかしら」と、看護師は応える。

看護師が本当にそう思っていたのか、母の手前そんなふうに言ってみたのかは
分からないけれど、私の中の「切迫した感じ」はまだ、
看護師の中にはなかったように思う。


一時間後に、下の姉がいつもどおりのバスでやってきて、
病室で妹と一緒にいることが嬉しいのか、いつものように大きな声で
たくさん私に話しかける。
この姉の高く大きな声のおしゃべりが、寝たきりの母にとって
時に酷く苦痛になっていることを私は知っている。

私はちょっと休憩に行かせてもらうことにして、
下の姉を一人病室に置いて、病院の喫茶室に逃げた。
母に静かな時間を提供してあげたかったことと、
姉の場違いなおしゃべりから解放されたかったからだ。

甘いものが食べたくなって、私は初めて和菓子と抹茶のセットを頼んだ。
喫茶室の大きな窓から覗く樹木を、私は何の感慨もなく見つめた。
僅かに枯れ葉を残した樹々が、完全な裸木になる様を思い描くことも、
新緑が芽吹く様を想うこともなかった。

三十分も経たずに病室に戻ると、姉は母と二人だけの時間を
静かにまったりと堪能したように見えた。席を外して良かったと、強く思った。
思えばこれが、姉と母の、最後の別れだった。

下の姉はいつもどおりのバスで、帰っていった。
自分のペースを乱すことはできない人なのだ。


私はそのまま、母の傍に残った。
オムツ交換の時間が来て、いつもだったら席を外すのだけれど、
その時私は、「最後だから見ておこうかな」と、
看護師と介護士の前で笑いながら言ったのだ。
少し経ってから、自分が何気なく発した言葉の残酷さに、ドキリとした。
母は私の言葉を聞いていたろうか。
いよいよ最期を迎える時が近づいたのだと、母は悟っただろうか。

オムツをはずした母の下半身は、
身体というよりは、薄っぺらく角張った、何かの無機質な物体のように見えた。
水分も固形物も摂取していないので、オムツは全く汚れていないようだった。

冷たい顔をした母の口からは、変わりなく「死臭」が漂っている。
母は時々目を瞑り、うつらうつらとする。
自ら点滴を拒んだのは、死期を予感していたからなのか、
ついに母も自分の死を悟ったのかと、
ほっとするような、でもたまらなく哀しいような、そんな想いが巡る。


背中が痛い、脇腹が痛いと、母は言う。
骨を支える肉がもはやどこにもないので、どんな体勢を取ろうとも
どこかしらの骨が床に直に当たってしまうのだ。
私は母の脇腹の骨の下に、しばらく掌をあてがっておく。

看護師達は体位を変えてみたり、エアマットの圧を少し下げてみたり、
さらに何か工夫はないかと、細かく心を砕いてくれる。
ほんとうに、有難くて頭が下がる。


午後3時半をまわって、娘が病室を訪れる。
娘は11月の初めから見舞いに来ていなかった。
昼夜逆転の生活を送るシンガーソングライターの娘は、
私が家を出る直前になんとか起き出してきて、「後で行くから」と、
何故かこの日だけは不思議と強い意志を見せた。

娘は約束どおり、ギターを背負ってやってきた。
前々から「おばあちゃんに歌を聴かせたい」と言い続けてきたのに、
ずっと叶えられずにいたのだ。
娘の姿を見て母は、「嬉しい…」と呟いた。

恥ずかしいと娘が言うので、私は病室から退出し、外で待っていた。
母の好きな「夜空のムコウ」の弾き語りを終え、もう一曲、
自作の歌を唄う娘の声が、部屋の外に小さく響いた。

途中から私も病室に戻り、少し開き直った娘も、
室温25度の中で頬を紅潮させながら、もう二曲、自作の歌を唄った。

さっきまで、時折意識が朦朧としていたとは信じられないほど、
母は両眼をしっかりと見開き、喰い入るように娘の顔を見続けている。
ギターを弾きながら上下に揺れる娘の顔の動きに合わせて、
母の瞳も僅かに上下に揺れ続けている。

娘が新曲を唄い終え、「どうだった?」と私が訊くと、
母は震える右手を布団の中からソロリと出して見せる。
母の右手はしっかりとOKサインをつくっている。
「いい…!」と、母は小さく、でも力強い声で褒めてくれる。

娘の歌声を聴いて、母の中の何かが大きく揺さぶられたことは間違いないと、
傍で見ていて私は確信した。
娘の歌声は、想いは、母にしっかりと届いたはずだ。


「もういい。疲れた…」
母はそう言って眉間を曇らせ、疲労の色を見せる。
おそらく相当のエネルギーを使って、集中したのだろうと思う。
でももしそのことで母の寿命が一日縮んだのだとしても、
少しも悔いることはないと、その時の私は、いや今でも、
自信を持って言うことができる。

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娘のiPhoneで、母と娘のツーショットを撮る。
肉の削げ落ちた母の顔の、両眼はくっきりと現実を見つめていて、
母の意識も魂も、これ以上ないほどに覚醒しているように見える。


それから母は、「点滴をやる」と口にした。
「点滴をしたほうが、ラクなの?」と私が訊くと、母は小さく頷く。
私はナースコールをして、看護師に母の意思を伝えた。

今日は腹部から、ゆっくりと点滴を入れる。
血管にではなく皮下注射なので、時間をかけて浸透させていく必要がある。
母の場合は特に、通常の三分の一くらいの速度で行うと説明を受けた。

母はこの皮下注射による点滴が嫌いだ。
せっかちな母にとっては、10時間ほどもかけて行う点滴は
身体に痛みはないものの、心理的に負担が大きいようだった。


「また来るね。またね」と何度も母に告げて病室を去り、
私と娘は4時45分発の病院の送迎バスに乗った。
外はもう、とっぷりと日が暮れていた。
駅に着き、ホームで上りの青梅線を待っていると、
娘がiPhoneを母の病室に置き忘れてきたことに気づいた。

私達は駅前からタクシーに乗り、病院まで戻った。
病院の入り口にタクシーを止め、娘だけが急いで病室に向かった。
しばらくしてiPhoneを手にして戻ってきた娘から、
病室で看護師さんと娘が会話したこと、
母の病室に笑い声が響いていたことを聞いた。
母の周りに温かな空気が存在していたことに、私は深く安堵した。

母が今日も点滴を始めたことで、私はどこかでホッとしてもいた。
点滴をしていれば死ぬことはない、そんな勘違いをしていたことも事実だ。


後から看護師達に聞いた話では、この日の夕飯は、母の好きなカレーライス。
この病院では、ほとんど食べられない母にも、トレイの上に陶器の食器で、
毎回綺麗に用意された食事を持ってきてくれる。
母が少しでも食べる意欲を見せれば、僅か一口でも口に運んでくれる。

母はこの晩、カレーを一口、食べたのだという。
そして「ちょっと、辛すぎる」と、言ったそうだ。


母が最後に別れを告げたのは、私の娘だった。
普段だったら絶対に、携帯の類いを置き忘れることなどあり得ないと、娘は言う。
おばあちゃんがもう一度、自分を呼び戻したのかもしれないと、娘は言う。


娘が病室を出た7時間後には、母の呼吸は止まっていた。
おそらくまだ、点滴の終わらないまま、
おそらく母は、眠るように逝った。


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母 【2011年12月23日~26日】

母が生きた最後の数日間を、記録しておかなくてはと
思えば思うほど、億劫になってしまう自分がいる。
母のあの顔を、身体を、生々しく思い出せばやはり、心が乱れるからだ。


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◆12月23日(祝)


母は、土気色の顔をしている。
ベッドの上で薄目を開けたまま、うとうとする時間が長くなった。
僅かに開いた母の瞼の隙間から、黒目が左右に動く様を見ていると、
もしかしたらこのまま逝ってしまうのではないか、そんな危機感が
今まで以上に胸に迫ってきた。

でも、それならそれでいい。私が傍に居る時に息を引き取るならば、
私は今、ただ母の顔を見つめ続けるだけだと、
不思議なほど静かな、強い気持ちになって、胸がしんとした。

看護師が点滴をしにやってきた。
この頃にはもう、何度も点滴の針を入れ直すことが増えていた。
母の血管は細く、すでにボロボロで、一旦は上手く針が入ったように見えても
血管の外に液が漏れてしまい、針を挿入した周りが腫れあがってしまうこともあった。
漏れないまでも、痛みだけが強く、結局針を抜くこともあった。
それでも母は、「やります」と応える。

どうにか点滴が上手く入り、母は綺麗に身支度を整えてもらい、車椅子に移動した。
病院の1階ホールで開かれる、無料のクリスマスミニコンサートを観るために、
私は母の車椅子を押していった。点滴の袋をぶら下げた車椅子は、
そして母ほど痩せこけた患者は、どこにも見当たらなかった。
母はおそらく誰よりも一番死に近いところにいるのだと、周囲を見渡して痛感した。

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真っ赤なロングドレスを着たオペラ歌手が、素晴らしい声量で唄う。
日本語の歌の時は、歌詞に合わせて母も小さく口を動かす。
母は歌詞を憶えているのだ。

途中で瞼を閉じかけた母が、20分ほど経過したところで「行こう」と呟くので、
私は車椅子を押してその場を離れた。
そして母がずっと行きたがっていた、病院内にある、
素晴らしく広々とした喫茶室に向かった。
転院したばかりの頃はまだ、母はほんの少しなら、ここでケーキを食べ、
珈琲を味わうことができたのだ。

今はほとんどの食べ物を呑み込めなくなっていることは、
母も私も分かっていたけれど、
母の希望どおり、ショートケーキと珈琲を注文した。
生憎ショートケーキは売り切れだったので、代わりにレアチーズケーキを、
フォークの先にほんの一口、いや、一舐めほど載せて、母の口に運んだ。

珈琲カップをもう一つもらって、僅かに二口分ほど移し替え、
ミルクと砂糖を入れて混ぜ、泪ほどの量が母の口中に注がれるようにした。
それでも母はむせ、呑み下すことはできなかった。


この日の母の口からは、今までは感じたことのない、不思議なニオイがした。
ただの口臭というよりはもっと強いもの。
前の病院で、長く胃ろうをして横たわっているだけの95歳の老女から
時々発せられていたニオイ、かつて私が「死臭」と呼んだニオイに似ていた。

母の喉の奥には痰が絡まっていて、以前は難なく自力で排出できていたのだが、
最近はそれも難しくなってきていた。
喉からはゼロゼロと音がする。咳をしても、痰は喉の奥にくっついたまま、
母は苦しそうな顔をする。
「吸引してもらう?」と訊くと、少し前なら頑なに拒んだ母は、
哀しそうに眉間を曇らせて頷く。私はナースコールをする。

歯の生え揃っている患者は、喉から吸引しようとすると、どうしてもチューブを
噛んでしまうのだという。
母もはじめは口からチューブを入れ、痰の吸引をした。二度、三度。
母の口には力が入り、やはりチューブを噛んでしまっている。
どうしても取りきれない痰を、結局我慢して、鼻から吸引することになる。

「ごめんなさいねぇ」と言いながら、看護師は大胆にチューブをズンズンと
鼻の中に押し込んでいく。苦しそうに顎を上げ眼を固く瞑って
堪えている母の顔を見るのは、あまりに辛い。
見ている私のほうが、胃液が上がってきそうな気がする。

心臓が止まらない限り、こんな苦しい思いをしなければならないなんて、
今の母にとってあまりに残酷だと、私は思う。

「点滴をやると、痰が増えるってこともあるんですよね…」と、看護師が呟く。


「今日は、喫茶店に連れて行ってくれて、ありがとう」と、
帰り際、静かに母が言う。


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◆12月26日(月)


前回、母の主治医と姉が面談をしたのは、11月19日。
私は風邪をひいて熱があったので、その場に同席することができなかった。
そして次回の面談は、1月の中旬と決まっていた。

姉は少し前から、母の点滴をやめさせたいと思っていた。
最低限の栄養とはいえ、点滴をすることで母の命を永らえさせることに、
いったいどんな意味があるというのか…、姉はそう考える。

もし、母の命が何日か、何週間か、延びたとして、誰にも看取られず逝くよりは、
点滴をやめることである程度死期の予測がつくならば、毎日通ってでも、
病院に泊まり込んででも母の傍にいて、最期を看取ったほうがいいのではないか、
姉はそう考える。

だから主治医に、点滴をやめるようお願いしてみようではないかと、
26日の月曜日、ちょうど主治医が勤務している日を狙って、姉と私は病院に向かった。

主治医といっても、普段から特に、母を診ているわけではない。
老人病院では介護が中心になるのだから、母のことをとにかくよく理解しているのは
看護師と介護士などのスタッフ達だ。

主治医は母のデータを見ながら、一通りの説明をする。
母の体重は、11月初旬には32キロ。12月11日にはすでに、28キロまで減っていた。
更に痩せている今は、だから25キロくらいだろうと、私は少し動揺する。
母の身長を考えれば、通常は30キロを切ると危険な状態であるという。
今はすべてがギリギリの状態。

普段している点滴は、もう少しカロリーがあるのかと思っていたが、
たったの100キロカロリーだという。
週に2回ほど、点滴に若干他の栄養をプラスしているとのこと。

一口二口、たまに調子が良ければもう少し食べることができる母でも、
ほとんどは痰と一緒に口から戻ってきてしまうのだから、
一日にほぼ100キロカロリーしか摂取できていなかったことを、改めて知る。
母が日ごとに痩せていくのは当然で、そしてそれが本来の、
動物としての人間の終わり方に近いのだと、考える。


姉が自分の想いを主治医に伝えると、主治医はとても回りくどい、
ひどく解りにくい言い回しで、ダラダラと言葉を続ける。
「ドラマティックなことは期待しないほうがいい」と、主治医は言う。

要するに主治医は、点滴をやめることには反対であるということだった。
今の点滴は、現代の医学では最低限レベルの、当然の行為であること、
それを止めてしまえば確実に、2~3日のうちに死が訪れる。
そういうことは自分自身はやりたくないし、ここのスタッフも望んでいない、
そういうことだった。

そして、点滴をやめれば、皆が母を取り囲んで、例えば「お母さん!お母さん!」
などと声を掛け合う中で息を引き取ることができる…、そんなことを期待するなと、
現実の老人の最期はそんなにドラマティックではないと、おそらく主治医は
そう言いたかったのではないかと思う。

「今夜かもしれませんよ?」と、主治医は釘を刺す。
同席している看護師長が、口下手な主治医のフォローをする。
普通であれば「そろそろだな」という時期がスタッフ達には分かるので、
その時点で家族に連絡し、「そろそろ詰めていらしたほうがいいですよ」と
アドバイスをするというのだ。

しかしうちの母の場合は、それがいつなのか分からない、
ここまで意識がはっきりしていて会話のできる人は見たことがないと、
看護師長は言う。
確かにその通りだと、私達も思う。

母を担当したスタッフ達が、細かい看護メモを残している。
その用紙を覗くと、「足が痛い、背中が痛い、おっぱいが痛いなどと、要望が多い」
などと書かれている。母は娘達にだけではなく、最近はスタッフに対しても
様々な要求を口にしていることを知る。

点滴をすることで痰が増えると聞いたことを看護師長に話すと、
今の点滴の量は、痰が増える程のレベルではないこと、むしろ水分量が少ないために
痰が固くなって喉にまとわりつきやすくなるのだと説明された。
「それにご本人が、点滴をやりたいとおっしゃるのでね。それを止めましょうとは、
こちらからは言えないんですよね」

ただ、この頃は点滴が血管に入りづらくなってきていること、それでも母は
点滴をすれば良くなると思っていること、義務だと思って我慢して従いがちなことを話し、
「本当に母にとって少しでもラクなほうを考えてあげたい」と、私は師長に伝えた。
語り出したら急に、泪が止まらなくなった。

今後は、母が無理に我慢することのないよう、今まで以上に母の意思を丁寧に確認し、
点滴をやるかどうか決めていくと、師長は約束してくれた。


この頃母は、「喉が渇いた」とは言わなくなった。
「お腹が空いた」とも、ほとんど言わなくなった。


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最後の眠り

28日、深夜に、母は逝きました。

最期を看取ることはできませんでしたが、
母は眠るように、おそらくは眠ったまま
静かに、息を引き取ったのだと想っています。

母は幸せだったと、想っていたいです。


今日は通夜。
明日は告別式です。

そして、今年は暮れていきます。

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年の瀬 母の瀬

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母は、生きている。
骨の上に皮をはりつけただけの姿で、
それでも生きている。 2011年、年の瀬。


昨日の母は土気色の顔をしていて、見開いた両眼にも輝きがない。
瞼は落ち込み、頬はこれ以上ないほどに削げ落ち、
以前はやや肉厚だった小鼻の脂肪も、どこかへ消えてしまった。

細くてボロボロの血管に、なんとか点滴の針は入るものの、
肝心の液体が入っていかない。
一旦入れた針を、詫びながら看護師が抜く。

「どうしましょうか? 今日はもうやめてもいいですよ?」
と訊かれても、母は小さな声で 「やります」と応える。

看護師は慎重に慎重に、なんとか使えそうな血管を探す。
手の甲だったり太ももだったり、足の甲だったり足首だったりする。
針を替えて、三度、四度、あらゆる工夫をして試してみるが、
どうにか液は入っていくようでも、母には痛みだけが残る。

結局昨日は、点滴することを諦めた。


血管に入れる点滴が難しくなったら、
お腹への皮下注射によって、8時間ほどかけて補液をする。
あまりに時間が長いので、母はそれが気に入らない。


先週の土曜日には、「死ぬ前に食べたいもの」を列挙した母だった。

「(マグロの)赤身の刺身。ソース焼きそば。銀座千疋屋のフルーツサンド。
ハムサンド。すあま。みたらし団子。ラーメン。玉ひでの親子丼…」

宙を見つめながら小声で呟く母が、少し恐かった。
人間、最後の最後に残るのは、食欲なのか。

それでも母はもう、ほとんど物を食べることができない。
おやつの桃ゼリーも、ふたくち目には喉に詰まり、ヒーヒーと声を上げる。
そして後から、ふたくち分のゼリーが口の中に戻ってくる。
母はもう、何も飲み下すことができない。


これ以上はないだろうと思うほど痩せているのに、
病室を訪れる度に、母はさらに痩せていく。
人間の骨は丸くはなく、驚くほどに四角いことを私は知る。
あまりに残酷な姿は、私の脳裡に焼き付く。


今年いっぱいもつのだろうか…
どんな年越しになるのだろうか…
元日はどんな気持ちで迎えるのだろうか…
そんなことが散らばっていて、何も片付かない、2011年の年の瀬。

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揺れる師走

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今年があと半月で終わるだなんて、誰が信じる?

「今月いっぱいもたないかも…」なんて言葉は、
ナースステーションの床の片隅あたりでとっくに干乾びている。

「胸を擦ってよ」と言う母の、胸というよりは骨の上をただ、
掌でそろそろと撫でるしかない有り様なのに、
相も変わらず母の瞳は不思議なほどに清らかで、
脳ミソはバリバリに冴えわたっている。

「いつまで経っても、少しも食べられるようにならない。
なんだか悪くなってるみたい」と、母は不満げに話す。

「病気が治ったら、いちばん初めに何を飲もうかな」
と言う母は、ただ夢を語っていたいだけなのか。
あるいはその一点の認知についてだけ、
紛れもなく「認知症」であるのか。


母の嚥下状態は一進一退で、
見る度に痩せていっているのは間違いないのだけれど、
それでも頭はきっちりと動いていて、
少しも昼寝をすることがない。

私が病室に入ると、
「あら、久しぶり。一年ぶりね」 などと、冗談のつもりなのだろうが
冗談には聞こえない暗い顔と声で、私に囁く。
真央ちゃんのお母さんが亡くなった原因まで、母は知っている。


私達三人姉妹は、落ち着かない日々を過ごしている。
もうそろそろか、いよいよか、何度もそんなことを感じながら、
そんなことをまったく予感すらしていない母に、
皆がどこかで少し、苛立っているように見える。

「これが例えば5月とか6月だったら、別にいいのよ」
と、下の姉が言う。
「年末年始の仕事の予定が立てられない!」
と、上の姉が悲鳴を上げる。
「大掃除が手につかない」と、叔母がこぼす。

そう、師走だからいけないのだ。
心の片づけようがないのだ。
私も今年ばっかりは、年賀状の手配すらしていない。


今週の土曜日に、病院のコンサートホールで行われる
有料のクリスマスコンサート。
プロの声楽家と演奏家が奏でるクリスマスのメロディ。
母の強い希望で、先月の初旬から予約を入れていた。

こんなにもあっさりと、コンサートの日を迎えることになろうとは、
あの頃は思いもしなかった。


宙ぶらりんのまま師走を生きる私達の想いとは裏腹に、
「一人でいると、時間が経つのが遅いの」と、母が呟く。

スッキリと見開かれた両眼と、少女のような睫毛。
もしかしたら母は、今がいちばん綺麗かもしれない。

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手を握る

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午後からは雨もあがって、病院に着いた頃には
驚くほどの青空が広がった。
今日は久しぶりに息子を連れて、母の元を訪れる。

今日の母は、「足が痛い」としか言わない。
哀しそうに眉間に皴を寄せ、「足が痛い」と。


だいぶ前に見たおばあちゃんとはかなり違っていること、
驚くほどに痩せてしまったことを、
息子には予め言い聞かせておいた。
それでもしばらくぶりに見た祖母の姿に、
息子はひどく衝撃を受けたようだった。

これ以上は痩せようがないだろうと思っていたひと月前よりも、
母は明らかに、残酷なほどに痩せている。
骨のうえに、皮が纏わりついているだけだ。


母があまりにも痛みを訴えるので、ナースコールをする。
看護師と介護士が体位を変え、その後別の看護師がやってきて、
母の両足に、丁寧にオイルマッサージを施してくれる。
母は気持ち良さに目を閉じて、ウトウトとする。
私は有難くて、ほんとうに頭が下がる。


それからオムツを替えて、食べられなかった昼食の代わりに
少しおやつを食べてみましょうと看護師がいうので、
居たたまれない様子の息子を連れて部屋を出た。

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病院の敷地内の遊歩道を、息子と二人で散歩する。
雨上がりの道に、大きなミミズが何匹も死んでいる。
危うく踏みそうになって、私たちは慌てる。
「下を見て歩くんだ」と、息子が言う。
でも、私は青い空と樹々を見上げたい。


「腿が痛い」と、母が言う。
私と息子が腿をマッサージしていると、看護師が点滴をしにやってくる。
血管からどうにか入るうちは、いくらか栄養の高い点滴を入れる。

「足首が痛い」と、母が言う。
私と息子で、足首をマッサージする。


別れ際、息子の顔を見つめて震えている母の手を布団から出し、
握らせる。
母は昔から、息子と握手をするのが好きだ。

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細い、細い、細くて長い母の手を、
肉厚な息子の掌が包む。

長いこと手を握ったまま見つめ続ける母に、
どうしたらいいのか分からない息子は
照れ笑いを浮かべるばかりだ。


「これが最後かもしれないからな」と、
帰りのエレベータの中で、息子が言う。

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蜂に刺された!

゚ヽ(●゚´Д`゚●)ノ゚ ゚ヽ(●゚´Д`゚●)ノ゚ ゚ヽ(●゚´Д`゚●)ノ゚

とっくに沸かしたつもりのお風呂に入ったら、ほぼ水だった。
呆けとるんか、私はっ!?

シャワーだけで我慢して、身体が冷えないように
さっさと身づくろいをして、
冷え性の私はそそくさと、裏パイル地の厚手のソックスをはいた。

その瞬間よ。
鋭い痛みに呻いて、私は慌ててソックスを脱いだ。
針が刺さってる、間違いなく。
あるいはあり得ないけど画鋲か何か。

だけど足の裏には何も刺さっていない。
痛みに呻きながらソックスを裏返すと、
なんと、体長2センチ強はありそうな黒っぽい蜂!

病的な虫嫌いの私は瞬時にソックスを床に投げ捨ててしまったので、
どんな蜂だったのか実はよく判らない。


すっかり気が動転してしまって、とにかく痛くてたまらなくて
「痛い! 痛い!」を繰り返し叫んでいると、
息子が部屋から出てきて「どうした!?」と訊く。
私の百倍くらい、臆病な男だ。

私はキッチンのシンクに、短い脚を持ち上げて突っ込んで、
流水を足の裏にかけた。
風呂場に行けばいいものを、せめて洗面所でもいいものを、
なぜか一番位置の高いキッチンのシンク。
動揺していたんだと思う。
足の裏はあっという間に赤く腫れあがっていて、ズキズキと痛む。


「その靴下のところに蜂がいるから、
このクイックルワイパーでつぶしてよっ!」
と、私以上に虫恐怖症の息子に命令しちゃったりする。

蜂は靴下から移動して、私の机の下をゆっくりと歩いている。
「無理だ! 生きてる! 向かってきたら怖い!」
と息子がやっぱりどうしようもなく頼りにならないので、
私は痛む足を引きずりながらクイックルワイパーをつかんで
残酷にも蜂の身体の真上から、垂直に床に押し付けた。
いつもだったら到底為し得ないだろうこと。

「掃除機持ってきて、吸い込んでよ!」と興奮している私に、
「死んだのか? 死んだのか?」って息子が訊く。

もうどうでもいいから始末してくれよ。私は足が痛いんだよ。

息子はクイックルワイパーをずらし、「おお、死んでる」と呟いてから
蜂の上にティシュを2~3枚かけ、掃除機で吸い込む。


「蜂に刺された時の対処法、調べてよっ!」
って、意味もなく私は、息子に命令する。 だって痛いんだから。

調べているうちになんだかちょっと不安になってきて、
病院に行ったほうがいいんだろうかって気にもなってくる。
私、蜂に刺されるの二度目だし。

救急医療電話相談は、混み過ぎていて繋がらないし、
近所の救急病院に電話しても、今ものすごく混んでるって言われる。

でもアナフィラキシーを起こしているわけでないことは確実なので、
まあいいかと思い、念の為にもう一度、
なぜかキッチンで足を持ち上げて患部を水で流してみる。


私の部屋に掃除機がそのままになっていて、
いつもだったら腹も立たないのに、なんだかイラッときて
「片づけてよぉ~!」と息子に言う。

息子、束の間姿を消していたと思ったら、
「ツイッターで友達に警告しておいた」とにやけている。
「靴下はく時は蜂に注意って?」と訊くと、ニヤニヤする。


そのとおり。
靴下をはく時にはまず、裏返してみてから。
中に蜂が休んでいないか確かめてからね。

って、誰がそんなこと、する?


その靴下は、確か昨日バルコニーに干していて、
きちんとたたんで、チェストの引き出しにしまっておいたもの。

私は靴下は、爪先のほうをピンチに挟んで吊るすと決めている。
ってことは、蜂のヤツ、下から潜って入りこんだっていうのか?


もう靴下をはくのが私は怖い。
そして足は今でもちょっと痛い。

゚ヽ(●゚´Д`゚●)ノ゚

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秋の色と、痛む骨

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紅葉が真っ赤で。

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空は真っ青で。 銀杏は真っ黄色で。

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きれいだねぇ きれいだねぇ と言いながら私は、
病院の敷地内の遊歩道を散歩する。
何も応えない母を車椅子に乗せて。

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お母さん、ほら見える? 可愛いね と言いながら私は、
母の硬い首を少しだけ、花壇の方に向ける。

母の顔筋はぴくりとも動かない。

外気に触れるのは嬉しいらしいのだが、
季節を感じて喜びに震えるほど、今日の母は潤ってはいない。


脇っ腹が痛いと、母が眉間を曇らせる。
母の左側の脇腹に手を当ててみると、太い骨がくっきりと触れる。
ああこの骨ね、この骨が当たるのねと、
私は自分のマフラーをはずして折り畳んで、
母の脇腹と背中の間にしのばせる。

しばらくするともう一度母が
脇っ腹が痛い。もう帰ろう と言うので、
病院内の散歩はやめにして、病室に戻った。

お痩せになってるからねと、看護師長さんは言う。
母の身体にはもうほとんど肉がないので、
骨がダイレクトにぶつかってしまうのだ。

母の体重は今、32キロほどだという。
最盛期には60キロほどあった人だ。
それでもこれだけ痩せて骨と皮だけなのに、
まだ32キロもあるというのはやはり、
背が高くて骨格がガッチリしているからだろう。
30キロを切ると危ないらしい。

脇っ腹をさすってよ、背中も痛いのよ、と母が言うので、
しばらくの間、母の背中の骨を擦り続けた。
なんだか触れちゃいけないものを触れているような感覚。


今日の母はまったく呑み込めず。
水をほんの少し口に含めば、すぐに痰で戻ってくる。
おやつのコーヒーゼリーを一口入れても、
なかなか呑み込めず、呑み込んだように見えても間もなく、
戻って塊のまま吐き出される。

美味しいから食べると、母がコーヒーゼリーに執着を見せるので、
とりあえず口に入れて味だけ楽しみ、
そして吐き出せばいいと思って、母の望むようにした。

母が欲しがるままコーヒーゼリーを5~6匙、
お茶のゼリーを3匙ほど含ませたが、
完璧なほどにすべて、吐き出されてしまった。
母は目を見開いてじっと私を見つめながら
必死に呑みこもうと喉を絞るように動かすのだけれど、
今日の母にはもう、呑み下すだけの力がないのだ。

もう、いやになっちゃう と母は言う。
ほんとうだよね と、言うしかない。


でもお母さんの病気はコロコロ調子が変わるのが特徴だから、
今日は食べられなくてもまた食べられる日もあるからね、
今までだってそうだったでしょ と、母を宥める。


帰り際、喉が乾燥してたまらなかった私は、
母から少し離れて、後ろを向いてこっそりと
手もちのお茶のボトルを開けてコクリと呑んだ。

振り返ると母が、
「ゴクゴクお茶呑んで、いいなあっ…!」
と、小さな子供が拗ねるみたいに哀しい顔をする。

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夕陽は柿の実

たいしたことない風邪からは、さすがにすぐに回復する。
昨日もよく眠ったもんな。

二日間睡眠をたっぷりととると、気のせいかお肌もつやつや。
やっぱり眠るのって大事。


昨日は化粧もせずに、一日家にこもっていたから、
今日は朝からしっかりとメイクをした。
さすがに化粧のノリもいいわあと納得していた。

大事な仕事が控えている娘に風邪をうつすまいと、
家の中でもマスクをしていたら、
出かけようとマスクをはずした自分の顔があまりに汚くて腹が立つ。

マスクって、化粧が崩れるんだなあ。
これも歳のせいかと肩をおとす。


近所のモスバーガーで、
玄米フレークシェイク<柿&マロン>を食す。
酸味のある柿ソース、栗味に合わないよと私は思う。


夕刻、空が真っ暗になったと思ったら夕陽が顔を出し、
雲が劇的なスピードで動き出した。

Pb200940

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バルコニーの壁のタイルに、
熟した柿の実色の夕陽が映る。

その瞬間が好き。

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食べて寝る雨の土曜日

風邪をひいた。

喉が痛いの鼻の調子が悪いのと嘆いていたけれど、
やっぱりそれは空気の乾燥のせいだけじゃなく、
単に風邪をひいたってことだった。

久しぶりの風邪。
でもたいしたもんじゃなく、熱も37度2分程度。
ちょっとダルイんですけど、っていうくらい。


市販の風邪薬だとか鼻炎薬だとかっていうのは、
どんな大きさの人に対しても「大人」で括るから、
どうも私には効きすぎるよう。

ベンザブロックS(鼻水鼻づまりに)ってやつを昨晩飲んだら、
しばらくして熱が下がり、なんだかちょっとラクになった。
そしてものすごく珍しく、夜の10時過ぎに寝てみることにした。
ものすごく珍しく、目覚ましをかけずに寝てみた。

途中何度か目が覚めるも、身体は布団に貼りついたまま、
何と朝の8時近くまで、私は布団の中で固まっていた。
起きようと思っても、身体が動かない。
催眠にかかってるみたいに、手足が固まっていて動かない。


今日は11時から母の病院で、
主治医との面談に姉と二人で出向くはずだったけれど、
病棟内に風邪菌を持ち込むわけにはいかないので、
姉にお任せすることとした。


暗い、雨の土曜日。
私は少し仕事をして、いつものようにチョコチョコと食事をし、
薬を飲んだら熱が下がってラクになり、
そして夕方にまた、ベッドの中で固まっていた。

「熱も下がったし、無理をすれば買い物に行って、ご飯をつくれる」
と言うと、「行かないほうがいい」と息子に止められる。
外は大雨。出かける気も失せて、久しぶりにピザのデリバリー。


動かないわりに、無駄にカロリーを大量に摂取したな。
なんだか、生きている意味すらわからなくなりそうな一日。

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